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左近司祥子「哲学のことば」① 渋谷幕張中過去問

渋谷幕張中の平成29年度入試問題で、左近司祥子さこんじさちこの「哲学のことば」が出題されました。

一番大切なことは単に生きることそのことではなくて、よく生きることである。
ソクラテスの言葉です。

「哲学のことば」左近司祥子著 岩波ジュニア新書P.180

よく生きることは、生きることに集中しているという意味・・・
生への集中心が途切れた時、死に誘われる・・・

「哲学のことば」左近司祥子著 岩波ジュニア新書P.182

時間は、私が決断に困ってうろうろしているときでさえ、無表情に流れていくのです。

「哲学のことば」左近司祥子著 岩波ジュニア新書P.188

人生というものは決断の連続です。
その決断の責任は、誰のせいでもなく、全て自分にあります。
決断に成功して満足のいく人生を送っている人は、自分は「よく生きている」という実感を持つことができるでしょう。

生きていることに集中している人は、「自分がよく生きているか」考えることもありません。
ところが、人間は、とかく迷いがちです。
ふとした瞬間に、「自分の人生これでいいんだろうか」と思ってしまうのです。
仕事や学業など、目の前のことに集中している時には、このような気持ちにはなりません。
しかし、5年10年と長い間努力をしていても、目に見える成果が出てこないような状況に置かれると、このような気持ちにおそわれてしまうのです。

20年、30年と、この道一筋に生きていた40代~50代になって、突然このような気持ちになってしまう場合が多く見受けられます。
イギリスでは、このような年代に見られる心理的に不安定な状況を「ミドルエイジクライシス」と言うようです。
働き盛りのビジネスマンが、人生の中盤に差し掛かり、今一度、自分自身を振り返る時期を迎えた時、「このままでいいのか」と不安や葛藤を抱え、不安定な状態になってしまうのです。
これがひどくなると、メンタルがやられてしまい、取り返しのつかない結末を選択する場合もあるようです。

「哲学のことば」中で、著者が「生への集中心が途切れた時、死に誘われる」といっているのは、そういうことなのでしょう。
若くないことを自覚することは、時の流れを実感することでもあります。
時を忘れて、何かに熱中している人は幸せです。
著者が言うように「よく生きている」と言えるからです。
しかし、忘我没頭で生きる状態を長続きさせるのは、非常に難しいことです。
誰でも、心の隙間に魔が入る瞬間があります。
そんな時に、突然、虚しさにおそわれることになってしまうのです。

哲学を学ぶことで、「生きる」ためのヒントや答えが得られることは多いでしょう。
「哲学なんか何の役に立つんだ」と言っている人は、このような虚しさにおそわれたことのない幸せな人なのかもしれません。
人は真剣に生きれば生きるほど、ふとした時に虚しさを覚えることがあります。
よく生きようとする人ほど、このような虚しさとの闘いが強いられるでしょう。
そのため、哲学的にならざるを得なくなります。
哲学を含む「人文学」は、よく生きる人にこそ必要なものなのです。

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