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長野県での自給自足にトラクターは必要なのか?

上の畑から緊急レポートである。

上?
空中?

あ、いや、もとい。
ここ山国の長野県の日常会話では、方向を示すのに東西南北は使わない。

山がある方向を『上』。
川がある方向を『下』という。

「信号を上にいって、県道を下にいって、次の四つ角を右にいく」で伝わる。

いや、そんな道案内はどうでもいい。
今の時代、スマホがある。

さて。
突然だが、長野県への移住を考えているあなたに問いたい。

移住してからの生活をどうするのか?
収入の見込みがあるのか?
貯金はあるのか?

とはいってもだ。
私は、あなたのお母さんではないから、それ以上は聞かない。

ただ、はっきりと言えるのは、それなりの暮らしをしようと思ったら、なにか経済的な裏付けがなければいけない。

すると、あなたは。
「自給自足をする」というのだろう。

やっぱり。
そうくると思った。

ほんっとに、あなたという人は。
すっとこどっこいだなぁ。

どうせ『ポツンと一軒家』見てるんでしょ。
うっかりと『光る君へ』を見逃したから、もう『ポツンと一軒家』のほうを見てんでしょ。

いかん。
さっそく悪態をついてしまった。
あまりにも大人気なかった。

ここは移住ジャーナリスト(自称)として率直に謝りたい。
申し訳ない。

しかながら。
冷静になって状況をみてほしい。

あの番組のおばあさんは、生まれたときから住んでいる。
かの地を上から下まで知り尽くしている。

それを、東京で快適な生活しているあなたが、いきなり移住して「自給自足をする」だなんて。

無理だとはいわない。
けど、自給自足はすぐにできるものではない。

その間の生活をどうするのか?

すると、あなたは。
「今の時代、ネットがあるし」というのだろう。

そんなことじゃなくて、汗水流して働いて、少しづつでも貯金をして、人に迷惑をかけないように、もうちょっと地に足がついた生活をしなさいって、私が散々とお母さんに言われ続けてきたことではないか!

もういい。
あなたとは、お母さんごっこをするつもりはない。

すると、あなたは。
「畑を借りて野菜をつくる」というのだろう。
「道の駅で野菜を売る」というのだろう。

わかった。
では、あなたに確かめたい。

150万はあるんだな?
現金で手元にあるんだな?

なぜかといえば、トラクターが必要だからだ。
30馬力だったら、中古でも150万はする。

イセキのトラクター
23馬力のトラクター。ヤフオクで80万から120万ほど。

断っておくが、このレポートは、長野県への移住を反対するものではない。

移住はどんどんしてほしい。
ただ安易な移住をしないように考えて頂くのが目的である。

それに、農地やトラクターの問題はセンシティブなテーマ。
少々長くなるが、なぜいきなりトラクターなのか、順を追って説明したい。

まず去年。
親戚の89歳の叔父さんが、やっと免許返納をした。
それまで4年の説得がある。

高齢者がアクセルとブレーキ踏み間違えて子供を轢いたってニュースでもいってるでしょと、周りがどれだけ言っても頑固にきかない。

そんなときに、あの一平が帰ってきたとなって、私も簡単に「乗っけるよ」と言ってしまったものだから叔父さんも免許返納した。

免許返納したということは、軽トラでいく上の畑はやめることになる。

以来、その畑はどうなったのかというと、どうもしてない。
草ボウボウ。

一反の畑
一反の畑となる。ポールが立つ部分には自然薯がそのままになっている。

晴れが続いた2日目。
やはり叔父さんが杖をついてやってきた。

「やい、一平」
「なに」
「上の畑、そろそろ草が伸びているからトラクターやってくれんか」
「ええ、また?」

なにも作ってない畑なのに。
春と夏と秋と冬前と、トラクターで一面を耕すのだ。
狂ったみたいに。

3時間か4時間で終わる。
が、草のために、そんなに耕す必要があるのか。
軽油代だって、1回で3000円ほどかかるのに。

「でもさ、耕す必要ある?」
「あのな、農地は耕さなくなるとダメになる」
「それはさ、馬や牛で耕していた昔の話でしょ?」
「いや、ダメになる」
「まあいいや。だけどな、なにも作ってないから、草なんていくらでも生えてもいいでしょ?」
「そうするとな、農業委員会が草だけはなんとかしてくれないかって話になるんだよ」

彼らからすれば、伸びた草は悪の存在なのだ。
彼らとは、農協を枢軸とした一派だ。

それに今、不耕起農業が唱えられて広まっているのに。
一派は、とにかく耕したがる。

不耕起農業の是非は長くなるので、本レポートでは省く。

とするとだ。
あなたはいうだろう。
「空いている農地は、農業法人に貸したらどうか?」と。

うん。
あなたも呑気な人だ。

それくらいは農業委員会の耄碌もうろく 方々でも考える。
だけど、この村の人々は貸さない。

なんでかって?

この辺りに進出してきている農業法人は、とにかく農薬を撒きすぎる、という悪評が立ってしまっている。

個人的は、適量だったら農薬はいいとは思う。
現に、村の人々は、それを何十年も食べて長生きしている。

ただ、その農業法人はケタ違いに撒く。

収穫する朝になっても、なんやら大量に撒いていて、作物が液体まみれになっている。

村の人々はビックリして「あんなにも撒くのだったら貸したくない」と頑固になってしまった。

それはそうと、トラクターである。

農薬の是非も長くなるので、本レポートでは省く。

雑草がボウボウの畑
20センチから2メートルほどの雑草が生えている状況。

あと1点だけ。

「田や畑を貸してほしい」という声はよくある。

私の高校の同級生などは、静岡県の浜松のほうでサラリーマンをしているのだけど、仕事の傍らで無農薬の稲作をやっている。

あっちのほうで無農薬栽培の稲作を実践する会があるらしく、そこに参加して9年やっているので方法は熟知している。

で、ここでも無農薬栽培を広めようと「田んぼをやらせてほしい」と親戚の農家を回ったけど、誰も貸さなかった。

無農薬の有望性を説いても、相場以上の賃料を払うといっても、いくら資料やデータを示して説明しても、結局は「俺が死んでからいくらでもやってくれ」となる。

特別なケースではない。
どんな素晴らしい理念や科学があっても、金銭を示されても、身内であっても、年寄りは簡単には貸さない。

農業に興味がある若手がいるのに、それをさせないとは。
最初は、年寄りのわがままだと、これこそ老害だと思っていた。

しかし「俺が死んでからいくらでもやってくれ」と各所で3度ほど耳にしてから、それが年寄りの気持ちだとやっとわかってきた。

まあ、言い方をカタカナに変えれば。
農民とは思い入れが強いクリエイターというのか。

長年やってきたものを、作ってきたものを、ここにきて否定されたくないのだ。

それがわかっていたから、トラクターを頼んできた叔父さんにもいってやった。

「どうせ、俺が死んでから好きにやってくれって話でしょ」
「はっはっは」
「でもな、叔父さんみたいな偏屈が長生きするんだよな」
「はっはっは」
「でしょ?いい人って、みんな早死にするでしょ?」
「じゃあ、おまえは、この村で一番に長生きするな」

泣く子と年寄りには勝てないとは本当だ。
とくに長野県の年寄りは、体は弱っても、口だけはよく動いて屁理屈をいう。

とにかくも。
私はトラクターで畑に入り込んだ。

イセキのトラクター

なぜ、トラクターが必要かの説明だった。

話はアメリカに飛んでしまうが、ご容赦いただきたい。

というのも、アメリカの5大湖の周辺には『アーミッシュ』のコミュニティーがある。
厳格なキリスト教徒の村々だ。

その数、35万人。
農業を営み自給自足しているのだ。

村営の学校に子供は通い、家やインフラは村人全員でつくるなど協力してもいる。

驚くのは、彼らは移民してきた当時の生活を続けおり、文明を拒否している。

電気を使わないから、テレビも電話もない。
自動車も使わないから馬車を使う。

賛美歌以外の音楽をきかない、写真も撮らない、
男女の服装も決まっていて鏡も使わない。

たまたまYouTubeで現地の様子をみて、その徹底さに厳格さに、あとは自給自足の完成度にも驚いた。

するとだ。
畑にはトラクターがあるのだ。
ちゃっかりというように。

YouTuber も驚いて村人に質問すると、トラクターだけはいいと口ごもっている。
聖書の解釈によると、トラクターは認められるらしい。

いやいや。
仏教徒がいうのもなんだけど、そこ聖書は関係ないでしょ。
ただ単に人力じゃ無理なだけでしょ。

トラクターをかけたあと
こんな感じに、雑草もろとも耕していく。

いずれにしても、私は確信した。
筋金入りの彼らであっても、トラクターだけは受け入れた。

自給自足するには、車もテレビも電話もなくてもいいが、トラクターだけは必要。

だから結論として。
自給自足するというあなたに、トラクターを買う150万はあるんだなと訊いている。

いずれにしても。
このレポート(屁理屈)によって、私は非常に厳しい状況に陥るだろう。

これだけの批判と告発をしたのだ。

長野県農協ファンクラブ親衛隊、長野県農業委員会耄碌 もうろく連盟、長野県農業法人連合会、アーミッシュ長野県支部、そういった団体から強硬な抗議もあるだろう。

しかし、私はどのような圧力にも屈しない。
引き続き、あなたの幸福のために、移住の真実をレポートをしなければならない。

私は空を眺めた。
青空が広がっている。

長野県の青空と畑
この風景は、子供のころに見た40年前と全く変わらない。

すると、あなたは。
私の懸念もおかまいなく「トラクターは気持ちがいいでしょう」と呑気にいうのだろう。

ほんっとに、あなたという人は。
すっとこどっこいだ。

あのね。
トラクターの運転は、エンジンに乗っているようなもの。
熱気が直撃する。

そりゃ、風向きで、熱気が反対側に逃げるときもある。

が、どういうわけか。
私という人間には、トラクターの向きを変えるたびに風向きも変わって熱気が直撃してくる。

それに、長野県の日中は暑い。
内陸は海からの風がない。

埼玉の熊谷が暑いように、長野県の日中も暑い。
山に囲まれている長野県は、日中の温度が急激に上がる。

温暖化もきている。

私が子供のころは、エアコンがある家など1件もなかったのに、今では普通にある。

耕したあとの畑
ちょうちょも飛んでいた畑だったのに、なんか無残。

そんなこんなで、なんとか終えた。
草が生えすぎていて、2度かけたから4時間かかった。

でもな。
あの叔父さんの姿さえ目にしなかったらな。
こんな畑のトラクターは適当にやっておくのに。

去年の秋だ。
最後の収穫を終えてから、小さなビニールハウスの撤去の手伝いもした。

帰りがけに叔父さんは、寂しそうに畑を眺めていた。
いや、寂しそうなんてものではない。

魂が抜けた人みたいな顔をしていた。
あんな人の顔、はじめて見た。

考えてみれば。
80年以上も休むことなく、この畑を耕していたのだ。

あんな叔父さんの姿を目にしちゃったから。
年に4回のトラクターくらいはやってあげてもいいか、仕方がねえなぁ、と思ってしまう。

でもいかん。
感情的に結論してはいけない。

長野県移住ジャーナリスト(自称)としては、合理的で理論的な結論にしなければ。

自然農法

それはいいけど、あなたはいうだろう。
「真ん中は、なんで草ボウボウのまま?」と。

あそこは、放置してある自然薯をまた掘ってもいいし、剪定した庭木の枝葉を燃やすスペースだからと、叔父さんには話すつもり。

が、あそこでは自然農法をやる。
雑草と共存する自然農法とやらを試してみる。

叔父さんには無断で。
こっそりと。

だって、自然農法をやるといったものなら「俺が死んでからやってくれ」って話になるんだもん。

もう叔父さんは1人でこの畑には来れないから、なんとか杖をついて来たとしても緑内障だかで目もよく見えてないから、ここからだとそれをやっているとわからない。

それに、あの叔父さんは、まだまだ長生きする。
しかめっ面で偏屈な人ってのは、なにかとしぶとい。

そうこうしているうちに、今度はこっちがしかめっ面の年寄りになって、やっぱり次の若い世代に「俺が死んでからやってくれ」って話が繰り返されてしまうのが予想される。

無断ではある。
が、どこかで新しいことをやらなければ。
新しい作物が採れるまでは、3年はかかるとみている。

というか私は、すっかりと農民になっているではないか!
あのアーバンな私が!

そんなわけで。
唐突ではあるが今回のレポートを終えたい。

そうそう。
確かめるのを忘れていた。

あなたは、150万はあるんだな?
現金で手元にあるんだな?

ない?
お母さんに頼んでみる?

となるとだ。
自給自足どころじゃないだろう。

あなたみたいなすっとこどっこいは、まずは安易に体一丁で長野県に移住して、スコーンと一発不幸になって、そこでお母さんのありがたみを知るほうが先かもしれない。

なんにしてもだ。
長野県に移住するのは、私の独自調査が終了してからでも遅くはない。

レポートの続きを待たれよ。

大俵一平

レポート作成に使わせていただきます。 ありがとうござます。