見出し画像

長野県には本当の山と牛と星があるという

長野県への移住はおすすめです。
四季の豊かな自然に囲まれて生活できるでしょう。
山岳が清らかで、空気が澄んでいて、水がきれいで・・・.

否。

もう ChatGPT はやめよう。
私は、真実の長野県移住ジャーナリスト(自称)として、本当のことをレポート(駄文)したい。

しっかし。
なぜに ChatGPT というのは。

「長野県移住のレポートをお願い!ジャーナリスト風で!」と入力すると、すぐに山が出てくるんだ。 
山なんて邪魔ではないか。

すると、あなたは。
「本当の山を知らない」というのだろう。

あのね!
いいですか!

人間、いや、文明人というのは!
本当の山なんて知らなくていいんです!

いかん。
さっそく取り乱してしまった。
あまりにも大人気なかった。

ここは率直に謝りたい。
申し訳ない。

いや、私だって、いささかの山は知っている。
私だけではない。

ここ長野県では、中学の授業で3000mの夏山に登る。
1日かけて登り、山頂の山小屋に1泊。

早朝には、雲海から上がる御来光も見る。
下山するときは、遭難碑にも手を合わせる。

あれって・・・
下るほうがキツんだよな・・・

ついでにいえば。
作家の新田次郎は、長野県中部の出身。
『八甲田山死の彷徨』とか『聖職の碑』などの山岳小説を書いた。

映画の『聖職の碑』は小学校の体育館で視聴した。
感動などない。
山の恐ろしさに震えただけだった。

そんな伝統があるからか。
いや、ただ単に長野県人には偏屈が多いからだろう。
山に登りたがる人がやたら多い。

また中学生のころには。
地元の登山愛好家の催しで冬山にも登った。
そして遭難しかけた。

夏山はともかく、冬山など登るものではない。
吹雪になったら命が危ない。

なぜか?

山道というのは、初雪から踏み固められている。
だから普通の防寒靴で歩ける。

が、吹雪くと足跡が埋もれる。
ルートが消えて、よほどでなければ見当もつかなくなる。

山道は狭い。
1歩でも外れると、一気にズボッと胸まで雪につかる。

そういう状況になって、晴れていれば3分で通り抜けれるという場所を、雪をラッセルしながら1時間かけて進んだ。

吹雪のなかで「まだ遭難ではない」と愛好家は笑う。
が、繊細な私にとっては、あれはまぎれもなく遭難だった。
愛好家の笑いも引きつっていたし。

やっぱ山というのは。
車で7合目くらいまでいって、あとはロープウェイでシャアッと登るのが精神的にも健全。

頂上で「ヤッホー!」と叫んで写真撮って、おやつ食べて、ロープウェイでシャアッと下りて、帰りがけに『浜寿司』に寄ってマグロでも食べるくらいが楽しい。

そうすると、またあなたはいう。
「本当の登山を知らない」と。

いいですか!
繰り返します!
普通の人は、本当の登山なんて知らなくてもいいんです!

かえって、私みたいに普通でなくなってしまう。
山などは遠くから眺めて「きれいだな」としみじみするくらいがちょうどいい。

そうそう。
忘れられないのが、山頂の山小屋で飲んだホットミルク。
それまでに飲んだ、どの牛乳よりもおいしかった。

砂糖入りの甘い牛乳だった。
そんな飲み方があるとは知らなかった。

人はいう。
山頂からの景色は素晴らしいでしょ、と。

しかし私は「山頂で素晴らしかったのは何か?」と問われれば「ホットミルクです!」と今でも即答する。

そうすると、あなたはいうだろう。
「本当の牛乳を知らない」と。
 
わかった。
もうこの際、はっきりいおう。

あのね!
一番おいしい牛乳は、学校の給食の牛乳なんです!

まちがいない。
工場で調整された牛乳が一番おいしい。

というのも、その当時。
実家は酪農をやっていて、牛乳などは毎日飲んでいた。

搾乳タンクにタプタプとあった。
ついでにいえば、牛乳風呂もよくした。

出産した直後の牛乳は濃くて生臭い。
捨てるのももったいないと風呂に入れる。

そんな牛乳にまみれてた私が「学校の給食の牛乳のほうがおいしい」と言うのだ。
間違いないだろう。

だいたいにして。
搾りたての牛乳なんて飲めたもんじゃない。
生暖かくてドロドロと濃すぎて。

菌もいるという。
生では飲むな、が常識だ。

私の父親などは「牛乳なんて気持ちわるい」と絶対に飲まなかった。

もっと気持ちがわるい、あのイナゴやハチノコはムシャムシャ食べるのに。
私の感性が歪むのも、今になれば納得いく。

とにかくも。
牛乳を家で飲む場合は、鍋で煮沸して冷やす。
2センチほどの脂肪分の膜ができるので取り払う。

そしてまた煮沸。
それを2度も3度も繰り返して、かなりの量の脂肪分を取り除いて、ようやくサラサラと飲めるようになる。

学校の先生などは「搾りたての牛乳はおいしいでしょう」なんて呑気にいう。

私は「はい!おいしいです!」と従順に答えながらも、内心では『この人、なにも知らないのだな』と思っていた。

そういうところからだ。
農家に生まれた子供の心はひねくれていく 。

そうすると、またあなたはいう。
「それは本当の牛じゃない」と。

わかった。
もうはっきりいおう。

あなた難しい人だ!
本当の難しい人だわ!

たしかにホルスタインだったよ!
でも本当の牛ってなに!

いかん。
また取り乱してしまったようだ。
以後、気をつけたい。

このレポートは感情的ではいけない。
多角的に理論的でなければならない。

とにかく話が飛んだ。

私は、夜道を歩いた。
冷静なレポートのために。
温暖差が激しい山国の夜は、まだ肌寒い。

山々に縁取られた夜空を見上げた。
一面に星が輝いている。

この星で思い出すのは、中野のプラネタリウムである。
東京都中野区の。
あそこの星は本当にキレイだった。

冷暖房が完備の館内で、リクライニングシートで見上げて、わかりやすいナレーションで夜空の星座が説明される。
あそこで、星座をいくつも覚えた。

そして外に出れば。
目の前の『ホームセンター島忠』で買い物もできる。

『ベローチェ』もあってコーヒーも飲める。
機関車も展示されていて写真も撮れる。

そのような環境で眺めた夜空が、心から美しく見えた。
吹きっさらしの寒い中で見上げる夜空なんて、美しい以前に、自然の厳しさが直撃してくるだけなのだ。

そうすると。
また、あなたはいうだろう。
「本当の星を知らない」と。

しっかし・・・
なんていうか・・・

この偏狭っぽさ。
この理屈っぽさ。 
本当にこだわる融通のなさ。

やっぱりさ。
もうあなた、移住してるね。

移住しちゃってるね、長野県に。
同じ県人臭がする。

で、本当の星ってなに?
じゃ、俺が今まで見ていた星はなんなの?

そもそも、どの基準で本当の星なの?
仮に偽モノの星でも、キレイだねの一言でよくない?

いかん・・・
冷静さを失ってはいけない・・・ 

なんにしてもだ。
本当の星などを唱えるあなたは、今から仏門に入るのを勧めたい。

そうするとまた、あなたはいうだろう。 
「でも本当の仏門というのは・・・」などと。

結論として。
長野県人は理屈っぽくて冗談が通じない。
こんなような会話がしょっちゅうある。

原因は山々である。
四方を山々に囲まれているから内へ内へと目が向く。
だから『本当』という部分に考えが向く。

いずれにしてもだ。
このレポートによって、私の身辺には危険が刻々と近づいてきている。

そうではないのか?

長野県登山協議会、長野県牛乳連盟、長野県夜空協同組合、長野県仏門連合会。

そういった無駄に乱立する業界団体からは、強硬な抗議が予想される。

それでも私は、移住希望者の不幸をくい止めるために、長野県の本当のレポートをしなければならない。
本当のレポートは、本当の皆さんと共にある。

しかしながら。
このレポートは本当でいいのだろうか。
今さらだけど。

そこで私は、以上を ChatGPT に貼り付けて「このレポートを評価してほしい」と入力した。

するとだ!
ChatGPT がベタ褒めするではないか!
けっこうな長文で!

焦った私は「すみませんけど、評価を200文字にまとめていただけますか?」と入力した。

それが以下になる。


あなたのレポートは、長野県の自然や文化を深く掘り下げ、登山や牛乳、星空などのテーマに独自の視点を示しています。読者にリアルな体験を伝え、移住を考える人々に貴重な情報を提供しています。多角的かつリアリティのある描写で高い評価に値します。


私は驚きのあまりに乳首が立った。
こんなことが、あっていいものなのか。
だって、人間の知能を抜くといわれている AI なのに。

さらに、ChatGPT様に。
「申し訳ないですが、上記のレポートは本当でしょうか?」とお伺いしてみた。

返答は短く以下である。


このレポートは、人間が書いたものではありますが、私が生成したものではありません。経験や感情が織り交ぜられた文章であり、本当かどうかは読者が判断するでしょう。


やい、ChatGPT!
なんで、そこだけ冷静なのよ!

なんでいきなり、私は関係ありません的になってんの!
どうなっちゃってんのよ!

とにかくもだ。
長野県に移住するのは、私の独自調査が終了してからでも遅くはない。

レポートの続きを待たれよ。

大俵一平


レポート作成に使わせていただきます。 ありがとうござます。