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桜に願い

「小さめの短冊に好きな人の名前を人差し指で書くんだよ。指には何もつけずにただなぞるんだ。」

祖母は囁くように良之に話した。

誰にも言ってはいけないよと言いはしないが、そんな無言のメッセージを良之は祖母の語りかける瞳の輝きから感じた。

「そして自分で考えたおまじないを短冊に筆か万年筆で書き込むんだよ。開けごまでもいいし、座右の銘でもいい。好きな詩の一説でもいい。自分の最も深い心の中にある言葉を書くんだ。そして花咲く前の桜の枝にそっと結わえるんだ。桜の花が咲く頃にはたくさんの花見の客が桜を見に来る。酔っ払った人もいれば風流な人もいる。桜は名残り惜しむ事なく風に散って、その跡は無残だ。虫がつくから人に嫌われて、ぽいっと捨てられる。桜の花が散って、若葉がさんさんと太陽を浴びる頃、自分の結わえた短冊が人からむしられる事なく、風に持っていかれる事なく、桜の若葉の中で風に揺れていたら、人差し指でなぞった人とあなたが結ばれる。桜の木は淋しがり屋だから、桜の花が散った後に見に来てくれる人の願い事を叶えてくれるんだ」

祖母は最後まで言い終わると、にこやかな笑顔で良之を見つめた。それは自らが実行し確かな手応えを得た実感のある自信に満ちた笑顔だった。

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