いのちの授業を受けて(ゴルゴ松本さん)
命について私は何度か考えることがあった。
生きている限り心と共存しなければならない。
命とは心であり、その心は音の心と書いて意という字となると教わった。
それに志を足すと意志となり、生きる力となる。
私も意志をもって生きていきたいと思った。
20歳で死のうと思っていた。
そしたらだらだらつづいて22歳になってしまった。私の今の目標は「27まで生きてみよう」である。世界的ロックスターが27で死んでしまったからである。
それでも、色々な人と関わって、
やりたいこと「意志」ができて27で死ぬには
早すぎると感じるようになった。
きっと私たちはなんとなく生きていることでなんか救われているのだと思う。
そういった救いが重なってたまには良い出会いが
あって生きていくのだと考えるようになった。
だからこそ私は今生きている。
死にたがりの私でも死ぬことはやっぱり怖い。
でもいつかは死ななければならない日が来る。
安楽死が出来たら、と何度も思ったことがある。
でも意志が続くまでは生きていきたいと感じた。
また、意に味をつけると意味となると教わった。
生きる意味とはなんだろうか。
誰かとのかかわりの中で生きていく。
そうやって関わってきた人たちを喜ばせたりするのが生きる意味なのではないかと考えている。
また、自分のやりたいことを体現することも生きる意味になってくるのだと思う。
結局私は鬱の生で希死念慮は消えない。
だけれど私の意思は生きたがっている。
死ぬまでに、私は何が出来るだろうか。
何人の人を助けて何人の人を傷つけてしまうだろうか。
分からないけれども生きてみようと思えた。
死ぬまででもし、私の鬱の苦しみが、誰かへの共感に変わって、誰かへの生きるメッセージへと変われたらいいなと思う。
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