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20230624(上)

 ソウル‧フラワー‧ユニオンの20周年ツアー夏篇。この眼に焼き付けておこうと思ったのは、京都磔磔で拝見している時だったか、ライブが終わった時だったか。秋篇があれば、次も2度拝見したくなるだろうとも。休みと財布の加減が合えば、また同じ様に拝見したい。と、ツアースケジュールが発表される前から、ぼんやりと考えている。

 さて、昨日から東京に来ていて大井町の宿に宿泊。朝早くに目を覚ましたものだから、宿のチェックアウトの前に散歩でもと思い、大井町駅の北側の賑やかな方から、東に向かって歩いた。一度、何でも無い様な京急の駅から、何気なく電車に乗ってみたいという思いもあって、青物横丁の駅を目指してみる。商店街の様な、繁華街の様な夜には賑やかになりそうな通りを抜けて、道なりに歩く。何気ない通りではあるけれど、歩いていると、東京には坂が多いと何度と無く思う。
 京急の青物横丁駅。地図の上では遠い様に思えたけれど、時間は掛からなかった。

青物横丁、改札口へと向かう歩道橋の上から。

 国道15号線を渡れば、青物横丁駅という所で、横断歩道を探すも見当たらず。
 国道15号線を跨ぐ歩道橋があったので、それを渡るより他は無さそうで、登ったり、降りたりと面倒臭いけれど、駅に向かう為には仕方が無い。そんな事を思いながら歩道橋を登ってみると、歩道の先に駅へ続く入り口があった。
 歩道橋から駅に続く入り口があるなんて流石東京と感心。歩道橋から降りる必要も無くなった事も嬉しかった。些細な事ではあるけれど。

青物横丁。

 先に進んで、軽く電車に乗る。多摩川を渡って、川崎まで。川崎で朝食を摂る事にした。
 高架駅で電車を降りると、地上にも支線のホームがあって、今まで気が付かなかった。改札を出て、賑やかな京急川崎駅から県道9号線に沿って南に歩いた。
 漢堡王。お店に入って席を確保。注文をと思い、カウンターに向かう。
 お店の人が一向に注文を取りに来ないと思っていたら、注文はタッチパネルと自動会計機の様なもので行う様になっていて、流石川崎と思う。些細ではあるけれど、さっきから感心させられる事が多い。
 注文した品が揃って、食べて、終えて、そそくさとお店を出る。
 通りの向かい側に朝早くから行列が出来ていて、ラーメン屋さんかカレー屋さんか、と思って行列の先頭まで行ってみると、パチンコ屋さんに出来た行列だった。
 何かが待っていると期待をしていた訳では無いけれど、パチンコ屋さんと知った時、並ぼうと思っていた訳では無いけれど、珍しいものを期待した気持ちが、少し損をした様な気分になった。

JR川崎駅。

 それで折返し、川崎からはJRで大井町まで戻った。
 少し時間に余裕があったので喫茶店で書き物など。ツラツラと書いて、さて、宿にある大浴場に入って、それからチェックアウトという段で、大浴場を利用出来る時間はとっくに過ぎてしまっていて、大きな湯船に浸かる事は出来なくなってしまった。
 どうしようも無くなってしまって、部屋のシャワーを浴びて、宿のチェックアウトを済ませた。

 さて、今夜の宿がJRの京浜東北線の蒲田駅の近くのカプセルホテルなので、大きな荷物は、一旦、蒲田駅のコインロッカーに預けて、今日一日を過ごす事にした。
 どうしようか、相変わらずのノープラン。以前に伺った時の記憶と印象が残っている、横浜は阪東橋にある本屋さん「本屋 象の旅」に伺う事にした。
 京急や京浜東北線で向かうのも悪くは無いけれど、折角、蒲田に居るので、ここは東急多摩川線に乗って、多摩川まで行って、そこから東急東横線に乗って横浜まで向かおうかと考えた。
 東急多摩川線。どんな多摩川具合なのだろうと期待を胸に。
 東急蒲田駅。JRの蒲田駅と垂直の位置関係にあって、東急池上線の終点でもある。
 櫛形のホームの屋根の向こうに、土曜日、午前中の青空が広がって、山手線を都心とするなら、そこから少し離れた東京が広がっている様な気がした。

東急蒲田駅、櫛形ホーム。

 電車は相変わらず矢継ぎ早にやってくる様な印象で、入って来ては出ていって、それが東京の忙しさと何度となく思った。
 そんな風に入線して来た電車に乗って、何とか座席に着いて、書き物等をしていると、息つく間も無く電車は発車。東急多摩川線、どんな車窓の光景を見せてくれるのだろうかと、期待を胸に。
 蒲田駅を出て、一つ目の駅が「矢口渡」多摩川のこの辺りに、かつてあった渡し船の名残だろう、そんな頃に思いを馳せた。
 それから電車がどんどん進むと、多摩川駅に向かって電車の中に人が増えて、人が増えるに連れて、窓の外が見辛くなる。と同時に、どうも多摩川の近くを走っているという気がしない。本当は近くを走っているのだけれど、立ち並ぶ建物で多摩川の光景が遮られているのだろうと思う事にした。
 そうして、到着したのは東急多摩川駅。
 到着したホームは地下なのか、それとも地上のトンネル状になった場所なのか判らなかったけれど、東急東横線に乗換えるにはエスカレーターに乗って、一階上に向わねばならないとの事で、駅の案内に身を委ねて進む。
 先を急ぐ訳でも無かったので、目の前に停まっていた、優等列車を退避している風な電車に乗って、横浜方面へと向かった。
 東急東横線、多摩川駅を出発して、すぐに渡ったのは多摩川。

多摩川河川敷。

 川面がすこし澱んだ様に見えた。多摩ニュータウンはこの上流だろうか、そんな事を思いながら、多摩川の様子を写真に収めた。
 どこの駅だったか忘れてしまったけれど、優等電車に乗り換えて、電車はアッという間に横浜。前回は京急の上大岡駅から地下鉄に乗換えて阪東橋まで向かったので、今日は横浜から阪東橋に向かう事にした。
 横浜の地下街は相変わらずややこしい。
 地下鉄の駅に向かうべく地下街を歩いていると、行き先案内の先を示す矢印が下を向いていて、行き先を案内する矢印は、たいていの場合、上を指して「このまま真っ直ぐ進めば良い」という解釈なのに、目の前に掲げられている、下に向いている矢印は一体何を示しているのかと、少し考えねばならなかった。
 折り返せという意味なのか、それとも、矢印は通路を示して、ここを真っ直ぐ行けば地下鉄の駅に向かう事が出来るというものなのか。考えがまとまらず、ならば一度折り返してみるかと、折り返すと地下鉄の標記が無くなってしまった。これはおかしい。それで、再び折り返して進んでみると、どうやら地下鉄の駅に近付いている様子だったので、下向きの矢印は通路を示しているのだと理解出来たのは、そんな事を経験して5分程経ってから。紛らわしさにも程度がある。と、怒ってみた所で、矢印に対しての思い込みは自分だけかも知れない、きっと誰にも理解されないだろうと、気を取り直して、地下鉄の改札を通ってから降りてホームに向かった。

下向き矢印の案内
さっきの看板から少し行った所で、上向き矢印の看板。

 横浜市営地下鉄。ヨコハマ、ヨコハマと。平山みきさんが歌う「ビューティフル‧ヨコハマ」のファンクが頭の中で流れた。
 横浜の地下鉄には各停と快速があるのかと感心しながら、やって来る各停を待った。相変わらずの人の多さにゲンナリしながら、やって来た電車に乗ると、少し違和感があって、辺りを見回して、その原因を探ってみると、どうやら人の乗り降りするドアーの幅が少し広い様な気がした。
 これで乗り降りするお客さんの利便を計っているという事だろうか。違和感に間違いが無ければではあるけれど。

 そうして今年に入って二度目の阪東橋駅。駅の造りに親近感を感じながら地上へと。以前に阪東橋辺りに伺った時は平日のお昼過ぎで、今日は土曜日のお昼前。空以外の景色は変わらないけれど、時間の過ぎ方や空気感が圧倒的にそんな時間帯の雰囲気だと思いながら、向かうのは横浜橋通り商店街。
 家の近くにもこんな商店街があれば良いのにと、伺う度に思う。

 以前に伺った時は地図アプリを利用したけれど、今回は地図を利用せずとも。場所は忘れていなかった本屋さん「本屋、象の旅」に伺う。
 やはり本の並べ方が面白いと伺う度に思って、その時の自分の気分や興味で視点が変わるのに応じて貰っている気分になりながら、棚を内側から一周して、次に外側を。目ぼしい本を心の中でブックマークして、後で何冊かレジへと持って。
 何冊か選んだ書籍、自分でもなかなか面白い選択だと思いながら、会計を済ませて、また伺う事を心の中で伝えて、お店を出た。

 駅まで戻る途中、横浜橋筋商店街を通りたかったけれど、土曜日の空気感で、アルコールの誘惑に負けそうな気がして、商店街と並行する住宅街の中を歩く。突き当たりに大通り。このまま横浜市営地下鉄の阪東橋駅から戻っても良かったのだけれど、何やら京急の駅も近いらしく、ならばと少し歩いてみる事にした。
 これが横浜かと思いながら、頭の中でストリートスライダーズの「パノラマ」の一節「どこにでもあるのさ、パノラマの街」というフレーズが流れて、大岡川を渡ると、そこに京急の黄金町駅があった。
 特に意味無く、隣の駅、南太田まで向かってみた。

ひとりぼっちの南太田駅。

 本当に意味は無かったのだけれど、阪急電車の神戸線の六甲駅を思い出させる駅の構造で、六甲駅というと、山陽電鉄が六甲駅まで乗り入れた頃の事を思い出した。
 改札を出て、駅前の焼き鳥屋さんに入ってみたいと思いながら、また改札の中に入って、折り返し横浜方面へと向かう。

 いい加減書き物もせねばと、鞄の中から、アナログの手帳と持って来たノートパソコンを取り出して書き物などを始める。

 各駅停車に乗って電車が進む間、書き物が捗ったのかどうだか忘れてしまったけれど、ふと顔を上げて到着している駅の名前を見てみると「花月総持寺」駅とあった。
 記憶に間違いが無ければ、子安にある「そうじじ」の表記は「總持寺」だった様な気がするのに、駅の表記は「総持寺」とあった。京浜急行の駅名。漢字での表記には、前から感心するところがあって、それは「屏風浦」駅の漢字、屏の表記が難しい方の漢字で表記されていたのに唸らされた。
 そんな事もあって、扉が開いて一瞬の判断で花月総持寺駅で降りてみる事にした。
 降りて、ホームから改札口へ向かう階段を上って、改札を出ると、並行する東海道線や京浜東北線を見に来ている、小さなお子様を連れた家族が、陸橋の上から行き交う電車を熱心に見ている。
 向こうから見慣れない形の車両が来たなと思っていたら、小耳に挟んだ話では相鉄線の車両だそうだ。
 感心しながら駅の周りを回ると、駅の最寄りの施設を案内する看板にJR国道駅への案内があって、いつだったか、ツイッターのタイムラインに流れて来た、何とも言えない佇まいの駅では無かったかと、過去のログを遡る事もせずに向かってみる事に急遽決定。

 「乗り鉄」ならぬ「降り鉄」という鉄道趣味のカテゴリーが有るのか無いのかは知らないけれど、そんなカテゴリーを掘り起こした様な気がした。

 花月総持寺駅の階段を下りた通りの向こうに大きな道路が見えて、どうやらそこが国道15号線らしい。その道を北東に進むとすぐにJR鶴見線の国道駅が現れた。

国道駅。

 高架線の下の駅で、その佇まいは阪急電車の中津駅を彷彿とさせたけれど、もう少しシンプルな感じがして、これが川崎市内の駅なのかと。

国道駅、高架下。

 無人駅の具合と構内の暗さと。時間の流れに取り残されている様な佇まいで、電車が入って来て、そこで人がドッと降りて来て、一瞬、賑やかになって、また静かになって、そんな事を繰り返しているのだろうなと思った。

 降り鉄という、新しいカテゴリーを発見したのは良いのだけれど、降りるには電車に乗るより他無く、国道駅から次に降りる地点を探してみた。
 というよりも、確か、この辺りにレコードのプレス工場を持つ東洋化成さんがあったのではないかと地図アプリで調べてみると、隣の鶴見小野駅が近いらしい事が判明。

 これは向かうより他は無いだろうと、ICカード。こんな時に使うのはICOCAを改札代わりの機械で入場の記録を付けた。

 国道駅。高架のホームに上がってみると、上りのホームと下りのホームを渡すアーチ状の屋根が渡っていて、その形状に刻まれた場所の記憶みたいなものを、想像は越える事が出来ないけれど、賑やかだっただろう頃を思っているうちに電車が駅に入ってきた。

アーチ。

 やって来た電車は205系。国鉄時代のルーツは同じだけれど、JR奈良線を走る205系とは趣が違って、都心の外れを直向きに走る様子が感情に訴えかけた。

 乗って、ひと駅で鶴見小野駅。

 鉄道の愛好家がレールが出来る製鉄所の様子を見に行く様に、レコード愛好家がレコードの産地を拝見に伺うのもひとつ。自分にそんないい訳をして、駅を降りて、踏切を渡って、拝見したウェブサイトにはレンガの道を真っ直ぐ行けば良いらしい。きっと昔は何やらの工場に引き込んでいた線路があった様な幅の遊歩道で、明らかにここにレールが有ったという道を歩く時は、そんな頃に思いを馳せる。

廃線跡の佇まい。

 やがて道が広がって、ここには留置線なんかが在ったのだろうか、等々、勝手に想像をしていると、東洋化成さんはとっくに通り過ぎていた。
 という事を地図アプリで思い知らされてUターン。東洋化成さんの前に到着して、レコードの断片でも拝見する事が出来るかと淡い期待をしていたのだけれど、当然乍ら淡々とした工場だった。
 けれど、ここがレコードの産地かと思うと、感慨深くもなる。
 ただただ怪しいだけの人と化して、鶴見小野駅まで戻って、JR鶴見線を国道駅まで、それから、京急花月総持寺駅までの道を戻って、やって来た各駅停車に乗って移動を続けた。

<<続く>>

京急屏風浦駅。「屏」の漢字にグッと来ます。

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