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AIイラストの登場によるイラストレーターの苦悩

イラスト制作活動とアイデンティティ

商業であれ同人活動であれ、イラスト制作は、多くのクリエイターにとって自分のアイデンティティの一部です。一方で彼らは元々、社会的に高い評価を得てきたとは言いづらいところがあります。

例えばサッカーを趣味とする人は好人物と評価されても、イラスト制作活動はそれと同等かそれ以上の時間をかけていたとしても「オタク」と蔑称されることも多いです。その過程で彼らのアイデンティティー形成は歪みを伴うことが多く、事実、メンタルが弱い人が多い界隈といえます。

元々そんな地盤があった中に登場したAIイラストの発展。それによって新たな課題に直面しています。

AIイラストの登場とクリエイターが失うもの

AIイラストが高品質な作品を生み出すようになると、一部のイラストレーターは自分のスキルが不要になると感じるかもしれません。とはいえ商業作家ならともかく、趣味としてイラストを描く人も不安を覚えるのは、一見不思議なことです。

AIがどれだけ優れた絵を描いても、人間が描きたいものを描くこと自体に意義があります。仮に絵が下手でも、その行為自体が自分のアイデンティティーの形成や救いになることがあります。

ですが、たしかに奪われるものがないとは言い切れません。

これまで絵描ける人が少なかったからこそ、絵のクオリティが低くても、マイナーなジャンルを選んで活動すれば、その界隈で尊重され、SNSなどで承認欲求を得られていたことでしょう。クオリティだけが評価基準とならず、自分の趣味嗜好を表現し、他者と繋がることができるのは、同人活動の本来的な良い作用です。

しかし、AIによって絵を描く行為が簡単になると、そんな自分だけの城が侵害される可能性があることは確かです。

アイデンティティーの構築は大切ですが、それが特権意識になると負の作用が働きます。その作用が外側に向かえば、AI絵師に対して誹謗中傷となり、内側に向かうと筆を折ることにも繋がってしまいます。

それを、大人として成熟できていないことから生じる幼稚な独占欲だと一蹴することもできてしまいます。クリエイターに限らず、そういった幼少期の心理的課題を解消できていない大人は意外と多いものです。

しかし、AI発展のために必要な犠牲だと、軽視して良い問題だとは言えません。

絵柄と著作権の問題

また深く触れるほどの知識は持ち合わせていないので、詳しく書けませんが、「絵柄」問題もあります。

AIによる絵柄のコピーは、構図が違ったとしても、原版を盗まれることに等しく実質的に盗作であるという主張は、心情として理解できるものです。
それに絵柄のコピーが簡単になれば、安易なエロ・グロ表現によって、絵柄それ自体の価値は下がってしまうという主張も同意できます。著作権的には問題がなかったとしても、これも無視できる問題ではありません。

一方でドライな反論として、「絵柄」は「手癖」を美化した言い換えに過ぎず、その模倣を禁止するのは、ただの暗黙の了解にしか過ぎないし、国内でその了解を保持できたとしても、他の国に通用するような主張ではない、という意見も一定の理解ができる主張です。

まとめ

AIの登場は、人間に新たな苦悩と課題をもたらしています。イラスト界隈の問題は、それが先んじて生じているだけに過ぎません。

私たちは仕事をどう変化させていくかを考えるだけでなく、人間としての在り方も見つめ直す必要がありそうです。安直に描くのであれば、人間とAIが共存する未来を模索しよう!と表現されることですが、実際にはもっと破壊的な変化が伴ってくることは明らかです。

人間は、ある行為をすること自体に、金銭価値だけではない、人間にとって独自の意義が生じます。それはAIに代行してもらうことでは、得られてない価値であると、少なくとも現代の生きる私たちは思っています。

最後までご覧いただきありがとうございました🙇🙇