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前略プロフ

自分語り殴り書き場です!

インターネットは実名顔出以外は全員誹謗中傷者みたいな世界になったことに合わせ、元々のアカウントと実名を紐付けていった結果、窮屈になり逃避した先のサブ垢になります。ただいまインターネット。

半匿名ぐらいでないと書きづらいプロフィールを、この場に書いておければと思います。

なお年齢はギリ平成生まれの男性です。

仕事のこと

自営業者で、web制作のお仕事をしています。たぶん業界歴13年目ぐらい。

高卒で元々ITベンチャーのアルバイトとしてwebメディアの運営担当や広告担当をしながら、デザインもプログラミングも片手間に学ぶという見事な叩き上げ屋で、高学歴化・ちゃんと教育の伴っていく世界をよその世界のように感じながら見ています。

web系の仕事でめちゃ複雑なことはしないんだけど、複数人でなく一人にまとめてお願いしたいなんて稀有な案件があればご相談くださいませ。

趣味的なこと

趣味や学習がてらこんなサイト作っています。たしか25歳ぐらいから。

■歌い手・ボカロデータベース

niconico直撃世代なもので。いまはGoogleのアルゴリズムが変わってしまったのであれですが、3年4年ぐらいは「歌い手」で検索するとずっと1位でした。多い時で月間PV20万ぐらい。

■エゴサッター

元々自分用に作っていた、複数のワードのエゴサ結果を一つにまとめて見れるツールです。

性質上、たくさんの人が使う類のものでないですが、ネット上に作品を上げる人やインフルエンサーさん達にご利用いただきました。

■めちゃんこ占い

西洋占星術な占いサイトです。累計利用回数が15万回ほどになりました。すごい。

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どのサイトも作るたび自分の各スキルの至らなさを感じるのですが、よく言えばマルチな能力値のおかげでどのサイトもご利用いただけているのが嬉しい次第です。

思想的なこと

こんなサイトを作っていたりする中で、身内の読書会やらでお前の思想が見えないとか、まともそうな面してるのに大学中退どころか入学すらしていないのが謎とか言われるので、軽く少し重いバックボーンを書いておきます。

家庭環境の話から入ると、両親が敬虔なキリシタンだったりしたのですが、宗教的な活動には熱心だけど家庭は崩壊して離婚するみたいな最近では割とベタな設定の家庭でした。

少しずれますが、有名なエンジニアやボカロP、YouTuberなんかも自身や親がキリシタン話ちょいちょい出てきますね。米津玄師が楽曲制作中、ずっと聖書読んでたってエピソードが一番メジャーでしょうか。

なお僕は宗教二世あるあるの不真面目さ全開で、全然聖書とかわからずなんで日曜に礼拝いくの退屈派でした。最近になって今さらたまに聖書を1ページ読んでは飽きて畳んでいます。

その後、父子家庭となりじーさんばーさんに甘やかされながらの、祖父が他界したのを切っ掛けに、中学生になった時元々の両親が再婚に至りました。

子を思っての判断だったと思うのですが、日々両親が薄い壁の向こうでケンカする嫌気がさす日常に。たとえ信仰があっても人は人なのです。

一度離婚を経ている距離感の複雑さもあり、無難な反抗期もできず高校生になった時「大学に入っても実家通いだろうし、あと5年はココにいるの俺?」程度の感情が大学にいかなかった動機なんだと思います。クソ真面目な家出をしてしまった。

唐突に占いのサイトを作ったのも、単純にアニメ好き中二病的な興味関心を持っていたのもありますが、キリスト教的には魔術的なこと・占いはガチNGなのでそこへの心理的な抵抗心がまだあったのかもしれません。

時代が違い、性別も違っていたり見た目に優れていれば夜の世界で働くコースだったのかもしれませんが、ITベンチャー黎明期で、高卒のようわからんやつでも周りの世話を受けながら、良く悪くも食っていける日々を生きることができました。感謝。

新海誠監督『天気の子』の主人公である帆高が、新宿の街を彷徨いながら、零細編集プロダクションで働く描写がクリティカルに刺さる変な生き方をしています。

なお宗教からのベンチャーっていうのが自分の中では象徴的で、端的なワードにすれば、来世信仰からの現世信仰、神からの金、みたい対極さを感じています。

宗派によって信仰と富の捉え方はまるで違うので、一括にできないのですが、両親はだいぶ清貧派だったのでここではそうさせてください。

紆余曲折ありますが、神もテクノロジーも程度や方向性は違えども、元にある概念は素晴らしいと思っています。

ただそこに多くの人が集うと色々と形骸化しいく負の面を30年かそこらの人生で早送りに2度見たような感触があります。神も金も死んだ。

とはいえ、国内ITベンチャーという極端な個人主義・拝金主義に陥りがちな世界を経て、確固たるスキルや実績がないのに関わらずネット上に悪口を書き続けるマンにもギリならず、なんとか崖っぷちで理性を保っているのは、どこか善を信じているからの気もします。

今もなお、聖書とスピリチュアル本とニーチェのツァラトゥストラとビジネス書と技術書を併読するようなかんじなので、これを相対主義といえばそうなのかもしれませんが、よくわかんねぇなと我ながら思っています。

中二病で済ませて終われば良い要素が、人生に荒く絡みついているので、いまだ本読むなり文を書いて消化しているところです。

幸いに、ネットで炎上を起こす変な人が「なぜそんな極端で非常識的なことをするのが理解できない!」と言われているのを見ても、いや感情はわかるやんと理解を示せるようになったので、noteに書くネットウォッチングはだいだいその気持ちの整理です。

変で極端な人にも救いがあると良いな、とただ揶揄せずなんとか踏みとどまった文を書くことで、自分への救いを生みたいのかもしれません。

同時に最近だと、変な人が生きづらいのはある程度仕方ないけれど、普通の人すら生きづらい世の中であったりして、せめて普通の人は普通に救われてくれよってのも興味関心ごとだったりします。

話が込み入ってきたのです、とりあえず以上です。こんな人が書いているnoteをどうぞよしなに🙇🙇🙇

最後までご覧いただきありがとうございました🙇🙇