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なれない

この前、神奈川から友人が遊びにきたので車を運転した。当たり前みたいに自分が運転して行き先をあれこれ提案していることが不思議だった。もう苦じゃないな。運転。だからって油断は禁物だけど、運転席の窓から入る五月の風が爽やかで気持ちいい。うれしい。大好きな季節だ。五月。

山奥で車を運転していると、目の端に流れていく野草について意見を言うしかない時間というのが訪れる。そうすると若葉が綺麗とかホトケノザが咲いているとか、そんな何度も口にした言葉を独り言みたいに口にだすだけで楽しいときがあって、そういう簡単さに癒される。別に癒されてもいいんだよね。変に冷笑する態度をとらなくても。もっと簡単に癒されていい。

また失業した。また? と思った。なんていうか、自分が他者から必要とされていないと知る瞬間というのは本当に傷つくし、慣れない。誰か特定の人ではなくて、組織だからそこに感情なんてなくて、私がちょうどいいパズルのピースじゃなくなったってだけ。でも私はパズルのピースになりたくて、なれなかったのだ。そういうことを味がするかぎりは噛み締めて、文句を言いたい。ていうか失恋もした。失恋は特定の人に必要とされなかったっていう事実だから、傷つく以外にやることない。失業と失恋を連続で与えるのやめてほしい。とりあえずしばらくはバンドミュージックだけを聴いて車を運転すると思う。

また、どこへでも行けるし何にでもなれる状態になっちゃったな。でも、もう誰とも戦わなくていいんだと思ったらすこしほっとした。戦わないと勝てないけど、勝てなくても願いが叶うならそのほうがよかった。

夜中の3時に目が覚めちゃって、ちょうどよかったから深夜ラジオ便を聴いた。伊舎堂さんがゲストで出ている回。短歌のことを普段は忘れているんだけど、こうやって人が短歌のことを話している様子を聴いていると、肌に身につけたものを順番に思い出すみたいに側にあった心地がするから不思議だ。なんなんだろう、短歌って。

『トントングラム』を買い戻したくなった。司書講習に行ったとき隣りの席になった女の子に借りパクされちゃって、手元にないのだ。また会おうねお茶をしようねと言って別れた。それきり連絡してない。それを買わないことを、次に会う約束をしないままでいることの言い訳にしていたんだけど、多分もう一生会わないから、買ってもいいのかもしれない。



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