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働き方の違和感から見えてきた問題

そもそも、前職を辞めるつもりは全然なかった。 
出勤時間は選べるし、シフトも自分で決めることができる。
残業時間を調整するために、仕事が早く終われば定時前でも帰っていい。
仕事自体もトップダウンで指示がくるわけではなく、状況を見ながら思うように動かせてもらっていた。
営業などの数字に現れる仕事ではなかったので、詰められることもない。
業務の幅が広く、専門職の仕事にはまらない業務は何でもやっていた。これも飽き性なわたしには面白かったので苦にはならなかった。

改めてこう書くと、めちゃくちゃ自由な環境でのびのびと働かせてもらっていたのだなぁと思う。

じゃあ、何が理由で辞めたのか。

わたしは自分に自信がなく、いわゆる『自己肯定感が低い』のを、仕事で評価されることによって補っていたのだ。
だから、周囲が私をどう思っているのかを常に気にしていた。
何をやったら認めてもらえるのか。
どうなっていたら成功なのか。

企画広報という職種は、とてもその成果が目に見えにくいポジションだと思っている。たとえSNSでフォロワーが増えたとしても、それが実際の契約にどう営業しているのかを計り知ることは難しい。
各部署が相互に影響をもたらし合いながら働く中で、

“自分がどこまでやればいいのか”

がわからなくなってしまったのだ。やろうと思えば、できることは山ほどある。
でも、それはどこまでやるのが正解なのか。
営業は契約が取れればそれでミッションクリアになるが、企画広報はなにが達成されたらクリアになるのか。
そもそも、企画広報のミッションがクリアされていても営業がコケると利益が発生しないのだ。

となると、本当はもっと他部署と腹を割って協議して対策を講じていかなければならなかったのだと思う。
分業化されすぎて、そこにかまけて自分の担当以外の業務には口出ししない・積極的に関わろうとしない、という姿勢でいたことがそもそもの間違いだったのだ。

今、落ち着いて振り返るとそう思えるのだが、あの時はメインの業務以外にもボリュームの大きなプロジェクトを抱えていたり、部下のマネージメントがあったりで、
いかに自分の業務の範囲を明確にするかに固執してしまっていたのだと思う。

そもそもあまり人と関わることが得意ではないので、マルチタスクをこなしながらその苦手分野にも着手するのは当時の私にはできなかった。


さらに悪いことに、適切な業務量を図るために周囲と比較してしまったのが良くなかった。
だれがどれくらい給与をもらっているのかは全く知らなかったが、残業時間も多くスタッフの表情もギリギリの状態の部署と、
気がつけば世間話や業務に関係のない話をよくしており定時で帰っていくスタッフのいる部署があることに、同じ会社で働いているのになぜこんなに違うのか、違和感でしかなかった。

それぞれが違う働き方をしていることに十分に納得していれば問題ないのだか、「納得している」というよりは、忙しすぎてそこを見てないだけなんだと思う。

人のことをどうこう言う前に自分が動けばいい。
それはそうだと思うけど、それにも限度がある。

また、かなり小さな話にはなるが、出勤時間ギリギリに出勤してタイムカードを押して、朝ごはんを食べながら業務時間にメールチェックしてるという人も少なからずいた。それもどうなんだと。
残業管理に対しての意識のゆるさも相まって、時間管理という概念がなんのためにあるのかわからなくなってしまった。

そういう違和感やモヤモヤと、自分自身が抱える問題が重なりに重なって辞めたという経緯である。

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