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「幸せのレール」から脱線する事

長い事人生を生きているわけでも経験を詰め込んだ人生でも何か特別な事が起こったわけでもない人生を歩んでいるわけですが、それでもまぁ生きています。

そう書き綴っていると普通の人生だと思われがちですがやはり生きている以上人間には何かしらの「趣味」があったりするわけで、一般的生活とは常軌を逸した生活をしている方もチラホラいたりします。
いわゆる「キモオタ」と言われている人達です

”生誕して友人と遊んで恋愛をして大人になって仕事に精を出して結婚して親族に見舞われながら死ぬ…”
というのが一般的な人間のスパンですよね。
(色々思う所はあると思いますがそうなんだなと思ってください)
これって素直に凄い事だと思います、まず私はもう仕事に精なんて出していないから、よくTwitterとかで「仕事したくない」と言っている者も
そう言いつつ労働をしています、生きるため、仕方がないですよね。
私は最小限の労働しかしてないので収入は最低ですが、色々幸運が重なっているので何とか食いつないでいる感じです、(本当は死ぬまで絵描いてゲームとアニメを見ていたい)

「それとキモヲタの何の関係があるんだ、オタクかって趣味に没入しながら幸せな家庭を築いている」と、言われればそれまでですが
あくまでそれは一部の選ばれたキモヲタであってあぶれ組のキモヲタは結婚はおろか相手と接する事も出来ずオタク道を突き進んでやがて朽ち果てます。
最初にキモヲタと記しましたがこのような状況はキモヲタだけではありません、キモヲタではなくとも人格に問題があって人々から避けられたり、何かしらの状況に陥って幸せのレールから脱線した者たちでこの世は溢れかえっています。

さて、では上記で記した一般的な人生スパンを外れた者は一体どのような
暮らしを営んでいながら人生を謳歌しているのでしょうか。
私自身インターネットに毒されている人間ですので悪く言うつもりはないのですがはたしてその「一般的な幸せのレール」を脱線してやる事とはなんなのでしょうか?

趣味は十人十色、インターネットだったり、ギャンブルやコソコソ何かをやって快楽を覚えている「おこだわり」の人達…
その様な人達はいるのですがあまり聞けないので私自身で表しますが
まず私は「絵」を描きます。

今私はTwitterに一日一投稿の四コマ漫画をやっているのですが、もはや
この行為が「呪い」に感じてきました。
まずやっていく度に思う事が「楽しさ」より「義務」の方が高くなっている、という事です そんな義務どこにもないのに。
この前あまりにも暑く惰性が物凄くなった時に「一週間ほど投稿をおやすみします」と報告してTwitterを閉じました、しかし実際のところ休んだのは
発言した後の一日のみ、Twitterには投稿せずとも一日一話せかせかと描いていたのです。

習慣づけてやっていた行為をストップするのは中々難しい、というか描かない事は「私の存在意義がない」と思い始める程に悪化しています。
描く事は義務であってやらなければ意義がない
したがって描く事で精神安定剤になっているのです。
描かないよりはマシだと思われますが描き続ければならないというのも考えもので、旅行や終電が無くてどこかのネカフェに寝泊まりした時
頭では分かっているのですが「一日描かなかった」というありもしない義務が一瞬過ってアセアセしてしまう事もしばしば、これではせっかく楽しみにきた旅行も終盤不安に変わってしまいます。

=一日何かしら描かなければ私は労働をして金銭を稼いだとしても五割程
「何もしてない」状態に陥ってしまいます。
私は強い人間ではないので「労働終わって帰ってから完成させりゃいいじゃん」というのは毎回毎回できるわけでもないのです。
でも普通の絵描きはそうなのかもしれない。

結果仕事にも精が全く出ずメリハリもつけられないままで気が終わった時やっと思いで内定をとった会社もすぐやめてしまいました。
もうこの時点で社会の歯車という名目は外れグッと「幸せレール」から
遠ざかってしまう意味合いでもありました。
それでも稼がなければ食えないので当分の間日雇いなどをしており現在はとある労働をチマチマやっているのですが、ある時労働で嫌な事があり
その鬱憤をTwitterで愚痴ってしまったのですが、私はTwitterではそういう労働的な情景と政治的な事を呟いたら「負け」だし楽しくないと思っているを思い出して、それに耐えきれず呟いた自分に自己嫌悪してしまう事すらありました。

プラス前々から気づいていたことがもう一つ、
それは一つの空間に自分以外の人間と一日以上暮らす事が苦痛に感じるという事です、耐えれて三日ぐらい。
こうなっているという事は普通に結婚なんて夢のまた夢でこのままでは俺が気が狂って死にます。よくこれでヒモになりたいとか言ってたもんだ
する気もない事なので心配する必要もないですが。
以上の事によって私はレールに乗れないあぶれキモヲタだという事が分かりますね。

だからといって全く幸せじゃないという自信もどこかしらにあってこれを書き終えた後も日常が滞りなく進んでいくのですがそれも仕方なし。

後は私もこれを読んでいるアナタも今日から10年、20年経っても
根拠のない自身を持っていればなと思います。

「幸せのレール」から脱線する事。

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