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11月3日

教会(プロテスタントの日本基督教団)に通い始めたのは、認知症のためグループホームでの生活が相当と判定された母の付き合いからでしかなく、幼い頃は日曜学校にも行き毎日イエス様にお願いしていた以来だったが、その間長い間まったく無縁だった

様々な付き合いを求められる公職を退き、更に時間をかけて準備を整えて晩年にようやく洗礼を受けた母の葬儀が、今の牧師さんによるキリスト教式による、参列者が10人にも満たない小さなものにも関わらず、自分の不義を厳しく叱責されたものだったと思い知らされたものになり、以来コロナ関連で体調を崩しても、毎週日曜日の午前の時間はネット配信で礼拝を守ってきた

昨日11月3日の日曜日は「昇天者祈念礼拝」という日に当たっていて、母の遺骨が説教台の背後に納められているということもあり、前日夜から心身の調子を整え、起床して諸々の準備をそつなく終えて、持っていく写真を時間をかけて選んだ

それらはキリスト教とは無縁の父も厳粛な表情で臨んでいた、教会でのキリスト教式の結婚式をあげていたこと示すもので、葬儀の際に亡き人を偲ぶような何かをと探す中で偶然見つけたものだった

年初に引っ越した後の片付けさえ気力体力も回復しないまま一向に進まず、最低限の生活と季節に合わせた服装だけは引っ張りだしているが、あの時に見つけた写真や案内状はどこに仕舞ってあるか見当もつかないまま、手短かなところにまとめて置いていただけの中から探す

母だけではなく父のものも含めて選定していると重い気疲れに襲われ、這々の体で遺影にも使った晩年の写真を選ぶよりなく、その後横になって半時間ほど休んだものの、クルマの運転に支障のない程度ではあれめまいやふらつきが残ってしまったので、より一層の安全運転を心がけて礼拝が始まる時間にに滑り込んだ

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人数はそれほど多くはないが、信仰を持つ方々が大いなるものを前にして頭を垂れ、思い思いの祈りを捧げる光景は、ネット配信からは決して伝わってこない、言葉でも思考でも捉えられない、とても大事な何かを感じさせてくれると礼拝に足を運ぶ度に感じる

そこは、人により価値観や志向に違いはあっても悪意を持つ人が皆無という場所であり、心から安心できるという意味でも自分には十分過ぎるほど大切なところになって久しい

思い出話を交わしたりして遅めの時間に帰宅すると気力を張っていた分の疲労が戻ってきて、就寝までほぼ寝たきりとなってしまったが、わざわざ出かけて得たものと比較すれば大したものではない

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翌朝起床して振替休日だったことを確認し、休日向けのラジオ放送を聴くともなく流していると、11月3日は父の誕生日だったことに気づかされた

誰がどう思うかは知らないが、無理をしながらも礼拝に駆けつけ、そのために用意しようと父の写真も幾つか見つけ、翌日に「昇天者祈念礼拝」が父の誕生日でもあったと知らされたことは、「導き」によるとしか感じられない経験だった

なにしろ父に関する記念日は、今もほとんど頭から抜け落ちているのだから

僕が使うスピリチュアルという言葉はこうしたことを指している

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吹けば飛ぶような零細とはいえ会社を営む父は、屋根付きのガレージに大切に保管していた古えの時代のハーレー・ダビッドソンに乗り、自分よりも若い人たちばかりのツーリングにも時折り参加していた

足腰が悪かったので乗馬の習得を諦めざるを得ず、代わりに乗り換えたのものだ

僕も勧められるままにしばらく乗馬クラブに通っていたが、ちゃらんぽらんにしか見えない当時の有り様の行末を心配してか、父から厩務員になってはどうかと真剣な表情で語りかけてきたことも今でも忘れることは決してない



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