二人の話をしようか

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お忙しいとは思いますが、1番最後にどうしても伝えてたいことを書いてあるので最後までお付き合いいただければ幸いです。

今回は僕の彼女についてと彼女が経営する『セルフ写真館』のお金だったり誕生秘話だったりと裏側のお話です。


彼女の経歴
もともと東京でヘアメイクアーティストとして働いていた彼女。
芸能人のヘアセットや〇〇コレクションなど大きいイベントに動員されたこともあるらしい(;・∀・)すげえ、さすが東京!
それから2021年1月ごろに退職し沖縄に帰郷しました。
   彼女のヘアメイク ポートフォリオ

 


スゴイデショ




セルフ写真館のきっかけ
沖縄に帰ってきてからは、少しの間のニートを満喫した後、再びヘアメイクアーティストとして沖縄県内のとある事務所に所属し働きました。
しかし、その労働環境がまあひどい
美容業界はブラックだとか下積み時代が長いだとかよく聞きますが、
彼女の場合、出勤するだけで赤字になる日も
詳しいことは割愛しますが、本当にまあひどい(2回目)

さらに本当にひどいのが雇用契約の話
当初、数か月は時給制の下積み契約で終了後に本契約の予定でしたが3か月後に言われたのが
『1人前でデビューできる実力じゃない、今後は無給で働くか辞めるか選んでほしい』、、、はい?

む、む、む無給?? 無給ってマ!?

せめて実力が足りないというなら時給制で下積み続けたらいいじゃね?
いろいろ都合良く使おうとする部分が
見えてきたぞ
さすがにこれには怒りました( ;  ; )
俺が直接言ってやろうかとも言いましたが彼女にはさすがに止められましたけど,,,
そんな時たまたま、彼女が出した話題が
『東京ではセルフ写真館って遊びが流行ってるみたいよ?』
セルフ写真館なにそれ??ふむふむ、なるほど
そーいうことね!それ仕事にしたら??
本当にやるなら手伝うよ!!
こうして、ノリと勢いだけでセルフ写真館作りが始まりました。笑

(ちなみにセルフ写真館と並行してヘアメイクアーティストもやってるのでご依頼ある方は彼女のInstagramからどうぞ!)


それからもう、大変どころの騒ぎではありません。知識も経験もない二人がゴールもわからず突然走り出したわけですから、喧嘩が起きないはずがありません、

今まで全くなかったと言ってもいい喧嘩をあり得ないほどたくさんしました。
システム作りは彼女が、レイアウトと内装は僕が担当だったのですがお互いこだわりが強い分、互いの分野に口出しては喧嘩の毎日。
あと、ちなみにですが、金融公庫は落ちましたので自己資金だけでやりました。笑

業者を入れず全て自己完結しました!!
座ってるのはトクトと
龍ちゃんです!


なぜ落ちたか?セルフ写真館が今まで沖縄になかったからです。
事業計画書もそれなりに作りましたが未知な物に金は出せません。
そりゃそうです。笑

慣れない工事やシステム作り、
大変な毎日でしたが、彼女の根底にあったのは
ヘアメイクアーティスト時代に培った根性と
お客様を笑顔にしたいという気持ち。
実は沖縄に帰ってから、お客様を笑顔にしたいという気持ちが強くなったんだとか。
数ヶ月ヘアメイクアーティスト事務所に所属した中で感じたことそれは


結婚式がコロナ禍の中で開催できない為、せめて二人の記念を作ろう。と沖縄でウェディングフォトを撮りにわざわざ来沖してくださるお客様、
それでもやっぱりコロナ禍の中でたくさん制限がありました、
安くない金額を出してるのに満足のいく写真にはなってないのかも!?ふと疑問を持つように。
そして私自身、近頃、友達にも会えず全然思い出に残せてないなぁ


と、くすぶる思いがあったようです。


沖縄にはまだなかったセルフ写真館
低単価なのに高画質、しかもプロのカメラマン要らずでお客様達だけで楽しめて、難しい操作はなしで老若男女楽しめる。気軽に日常や記念日の思い出作りにはもってこいのエンターテイメントです。
まさに彼女のくすぶる気持ちと重なるものだと思いました。
結局のところ、友人や恋人と撮る1枚にはプロも敵わなかったりするもんなんです。

そしてオープンまでにたくさんの人に朝から遅くまで
支えていただきました。
内装工事を機になかなか会えてなかった友達にも会えました。
無鉄砲で計画性のないチャレンジでしたが、人との縁や繋がりを
再確認させてくれたのです。
自分の気持ちを述べてしまいましたが、彼女も同じことを思っていてくれていると思っています。

OPENから今日まで、本当にたくさんの経験をしました。
今では商談相手、取引先にもちゃんと意見を言えるようになった彼女。
皆さん、あんまり考えることも少ないと思いますが、
価値を創造する側、提供する側は、本当にしんどいです。
本を読んだり、税金や広告運用の勉強、テスト何回も繰り返しました。
おそらく彼女もなかなかにストレスが溜まっていると思います
それでも試行錯誤しながら、迷いながらも持ち前のポジティブ精神と肝っ玉を武器に進んできた彼女、辛い時もあったことは容易に想像できますが、
1度も弱音を吐いたことがありません。

いつでも明るい彼女
底なしの明るさで逆に僕や周りを明るく照らしてくれました。
彼女といることで笑顔が溢れ、
僕も前向きな気持ちになり数えきれないくらい救われました。
きっと彼女と関わったことのある人はわかると思いますが、誠実で優しくて、気遣いができて、誰よりも人想いで、良いところを挙げたらキリがないくらい素敵な女性です。

山頂に登ってご機嫌な彼女(笑)

そんな彼女が作り上げてきた
『セルフ写真館Genigraph』今ではテレビにも
紹介され自分たちが思ったよりも大きくなってきました。
そんなGenigraphが今日で1年を迎えました。
7月16日から18日には1周年祭がありますので
顔出すだけでもみなさん来てください!
泣いて喜びます!(告知すいません笑)

話を戻して
長くなりましたが、素晴らしい彼女の魅力 少しは伝わったでしょうか、ここでは語りきれないくらい他にも素晴らしい部分がたくさんあります

どこに出しても恥ずかしくない、素晴らしい自慢の彼女です、
彼女と付き合えたことは自分の人生においてこの上ない幸せです。

そんな彼女は今日、『僕の妻になりました

100本のバラと彼女(当時)

令和4年7月7日 安谷屋 佳希

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