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川勝平太知事に見る差別の本質


はじめに

先日、静岡県の川勝平太知事が6月で辞任することを発表しました。
リニアモーターカーへの事実上の妨害工作で有名だった方ですが、辞任の直接のきっかけは4月1日に行われた新規採用職員への訓示でした。
この訓示の中の以下の発言が、職業差別であるとして批判されたのです。

毎日、毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったりとかということと違って、基本的に皆様方は頭脳・知性の高い方たちです。

朝日新聞『川勝知事の訓示全文 静岡県の新規採用職員へ「県庁はシンクタンク」』

黒田健朗 太田原奈都乃2024年4月2日 22時55分


詳細はニュースサイトなどに譲るとして、私は上記の「差別発言」の中に、私たちが克服するべき差別の本質があると考えています。
では、差別の本質とは一体何なのか。
「差別発言」から垣間見えるポイントを検証し、差別の本質について考えてゆきたいと思います。

1、「面白い」と思って発言した

さて、そもそもなぜ川勝知事は今回の「差別発言」をしてしまったのでしょうか。
実は、今回の訓示の全文を見てみると、問題となっている「差別発言」のくだりは訓示全体のテーマとは関係がなく、言わなくてもよかった話、つまり不要な部分であったことが分かります。
(全文は以下のサイトをご覧ください。)

この記事からは、「公務員は学びが大切だ」という今までの文脈を遮って、唐突に「差別発言」が発せられた様子が分かります。
なぜ、川勝知事はあえてここで「差別発言」を行ったのでしょうか。

それは、この「差別発言」が「面白い」と思ったからだと私は思います。
より正確な言い方をすれば、この「差別発言」をした方が聴衆(この場合は新規採用職員)はハッとさせられ興味を持つだろうと思ったのでしょう。

大勢の前で話す機会のある者にとって、聴衆が自分の話に引き込まれてゆく様を見るのは他に代えがたい快感です。
私も人前で講演を行うことが多々あるため、この感覚は理解することが出来ます。
訓示の全文を見るに、川勝知事は原稿ではなくその場のアドリブでこの訓示を話していたようです。
その中で、ツカミを狙って「面白い」話を挿入しようと考えた結果、「一次産業・二次産業従事者とちがってあなた方は知性が高いのだから……」という発言をしてしまったのでしょう。

2、自分も被害者だと主張する

次に、川勝知事の弁明に目を向けてゆきたいと思います。
川勝知事は発言後の記者会見で以下のように述べています。

傷付けたことにつきましては、私の心も傷付いておりますので、申し訳ないと思っております。

4月3日 記者会見

――発言が不適切だったのではないかという問いに対して――
不適切ではないと思いますが、一部そこのことろだけ取ればですね、皆さんが仰っているような、職業差別に落とし込むことが出来る発言であったかもしれませんね。

――報道機関はそのまま切り取らずに報道しているという指摘に対して――
いや、切り取られたんだと思いますね。

――中略も切り取りもしていないという反論に対して――
いや、文章全体の流れ、脈絡から外れているんじゃないですか。

――報道の受け手の知性が低いと言いたいのかという指摘に対して――
とんでもない話ですよ。
ごれは誤解も甚だしいというか、曲解も甚だしいと思います。
しかしそういう人がいたということは誠に残念で、是非その誤解は解いていただきたい。

……(中略)……
ここまでですね、こういう風潮が瀰漫しているということに対しましては、憂いを持っています。

4月2日 記者会見

上記を見る限り、川勝知事は自身の発言を以下のようにとらえていることが分かります。

  1. 今回の自身の発言は差別的ではなく、問題はない。

  2. にもかかわらず今回の発言が批判されているのは、意図的に発言を編集・改変している者がいるためである。

  3. そのため、自分は被害者である。

ここでは特に2に注目したいと思います。
川勝知事の中では、自分は結果的にいつも正しい、間違えることはないという確信があるのでしょう。
(”結果的”にと書いたのは、川勝知事に「あなたはいつも自分が正しいと思いか?」と問えば当然「まさか!」と答えるはずだからです。しかし、当初の考えは間違っていても、熟慮を重ねたり他者の意見を聞く中で、最終的には限りなく正しい答えを出しうるという自信があるのだと思います。)

その正しい自分の言動が批判されているのは、意図的に攻撃を加える者、ないしは正しい言動を理解できないほど論理的ではない(川勝知事の言い方を真似れば「頭脳・知性の”低い”方たち」)者がいるためであるというロジックが、川勝知事の思考の道筋なのです。

3、変わるべきは自分ではない

以上のポイントを踏まえ、今度は発言を撤回した会見を見てみましょう。
ちなみに、川勝知事は当初、謝罪はするが発言に問題はないので撤回はしないという立場を貫いていました。

生業の違いでしかありませんという説明が聞く耳を持っていただけない状態になりましたので、熟慮しまして、ここのところは削除いたしますという、そういう結論に先ほど達しました。

4月3日 記者会見

職業差別であるというふうにご理解されている人が急速に増えてまいりました。
これは不正確で、そういうご理解をしていただくのは本意ではございませんので、全部削除して撤回いたします。

4月5日 記者会見

これらの発言に一貫しているのは、「差別発言」が問題視されるのは、受け取り手が変質したという主張です。
川勝知事にすれば、彼の発言はその正しさゆえに今までは問題なかったが、「説明に聞く耳を持っていただけない人」や「職業差別であるというふうにご理解されている人」が「急速に増えて」しまったために起こった、現代特有のトラブルなのです。

つまり、変わるべきは川勝知事ではなく、社会の方である。
あるいは、川勝知事は変わる必要がないが、社会が変質したことで川勝知事を社会が受け入れられなくなってしまったため、これ以上彼は知事を続けることが出来ない、というのが川勝知事の考えであると思われます。

4、差別の本質~川勝知事に見えていないもの

なぜ、川勝知事はこのような不適切な考えに陥っているのでしょうか。
それは、彼が差別の本質を間違て行動しているからです。
差別の本質は、一つ一つの言動にあるのではありません。
差別する側とされる側の「関係性」に本質があるのです。

川勝知事は、差別は一つの言動をどう評価するかの問題だと考えています。
ですから、自分に差別の意図があったのか(自分は自分の言動をどう評価するか)、相手はどのように受け取ったのか(相手は自分の言動をどう評価するか)という視点で「差別発言」を弁護しているのです。

しかし、前述したように差別の本質は関係性です。
一方が一方をあなどったとき、あるいはあなどることが許される構図が成立したとき、そこに差別が生まれます。

例えば、LGBTへの差別が問題となるのは、そこにあなどりが生じているからです。
私は個人的には女性の権利を侵害してまでLGBTの権利を重んじるべきではないという立場ですが、トイレや更衣室の関係でLGBT差別が問題となるのは、今までまるでLGBTという人々が存在せず、居てもそれはごく一部の異常者だと扱われてきたからに他なりません。

例えば、かつてのTVでは石橋貴明扮する「保毛尾田保毛男」や宮迫博之演じる「轟さん」が嘲笑の対象として消費されていました。
「保毛尾田保毛男」が一体何をしたかとか、「轟さん」がどのような人物に描かれていたかというような、ひとつひとつの事象に問題があるのではありません。
その根底にあるあなどりと、それを許す「関係性」が差別の本質なのです。

愛情があるかとか、親しみを感じているかとか、意識的か否かということは関係ないのです。
どのような状況であろうと、そこにあなどりや軽んじる心があれば、それは差別です。

5、川勝知事の発言は差別的か

そのうえで、今回の川勝知事の発言を再度見てみたいと思います。

まず、川勝知事が主張するように、問題ない発言をが切り取られた結果、「差別発言」に仕立てられたという主張は受け入れることはで出来ません。
前述したように、今回の「差別発言」は文脈上必要ない話であり、前後の話題とも関係性は薄弱でした。

それにも関わらずここで「差別発言」が展開されたことを、この訓示がアドリブに近い状態で話されたことを鑑みれば、普段から川勝知事は知性で人を判別し、その職業と関連付けて考える習慣があったと考えられ得るのです。

次に、「差別発言」の文章の構造や文意を見てみましょう。

毎日、毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったりとかということと違って、基本的に皆様方は頭脳・知性の高い方たちです。

この発言は市役所職員と一次産業・二次産業従事者を比較し、その知性について分析しています。

ですから、この発言を逆にすれば、

「皆さま方と違って、毎日、毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったりとかという人たちは、基本的に頭脳・知性の低い人たちです。」

という文章がごく自然に成り立ちます。

また、前半を変更して

「天皇陛下とか、上皇をはじめとした皇室の人たちと違って、基本的に皆様方は頭脳・知性の高い方たちです。」

とか

「静岡県の有権者と違って、基本的に皆様方は頭脳・知性の高い方たちです。」

という発言を川勝知事はするでしょうか。
絶対にしないと私は思います。
天皇陛下も有権者も、川勝知事にとってはあなどってはならない対象だからです。

つまり、発言の内容をだけを見ても、発言から切り離した川勝知事の人格やスタンスを見ても、彼が一次産業・二次産業従事者をあなどっていることは疑う余地はなく、明らかな差別的であると言い切ることが出来るのです。

まとめ

川勝知事は差別の本質を誤解していたため、事実上一次産業・二次産業従事者をあなどったばかりでなく、その反省もすることが出来ませんでした。その結果、彼自身が社会からあなどられ、政治的に不要かつ有害な人材として批判されるに至っています。

私たちも、差別の本質たる「関係性」に注意を払い、常に相手に敬意を払うという美徳を身に着けたいものです。
それが出来れば、私たちは自分の身を守るだけではなく、自分自身のことをより一層好きになってゆくことが出来ることでしょう。


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