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追悼・石沢元準名人

ookomimiです。いつもは競技かるたの作戦について書いていますが、今日は、先日に逝去された石沢直樹元準名人のことについて書かせてください。

石沢さんは、名人戦・クイーン戦のテレビ中継を実現させ、さらに、その後のかるた大会のテレビ・ネット中継にも何度も関わられた方です。石沢さんのことを書くなら競技かるたの普及への功績を紹介することは外せないのですが、恐らく次回のかるた展望で多くの方が追悼記事を書いて紹介されるでしょうから、このnoteへの投稿では、長期間にわたり超A級選手として活躍された石沢さんのかるたのことを書こうと思います。


石沢さんは種村永世名人と同世代の選手で、実力的な全盛期は昭和の終わりから平成の始めだと思いますが、それからだいぶ後の平成後半までA級の上位選手として活躍されていました。石沢さんの代名詞といえば、何といっても「高速」石沢。とにかく圧倒的なスピードが特徴でした。石沢さんが勢いよく札を払った後に音が聞こえてくる、そんな場面に遭遇したことは一度や二度ではありません。

石沢さんは名人を何度も取っていても全く不思議でないレベルの選手でしたが、獲得されたタイトルは準名人1期と選抜優勝1回のみ。名人戦は途中から裏方に回って選手としては出場しないなど、あまりご自身の成績には汲々とされない方だった印象ですが、それだけでなく、同世代に多くの強豪選手がいたこともあるかもしれません。種村永世名人と渡辺永世クイーンという歴代最強レベルの選手がいて、そのほかにも望月元名人や上野元準クイーンら、40歳前後までトップレベルの実力を維持し続けた選手が何人もいらっしゃいました。石沢さんは種村永世名人との名人戦では3-0で敗退していますが、直線的に長い腕を一閃させる石沢さんの払い手は、長く並んだ上段浮き札を正確な手捌きで取り分ける種村永世名人には分が悪かったのではないかと思います。

私の個人的な印象かもしれませんが、石沢さんはあまり枚数差を広げずに勝つ選手でした。相手と実力差がありそうな試合も最終的には10枚程度の差で終わることが多かったと思います。石沢さんが20枚近い大差の試合をしていた場面はあまり記憶にありません。試合を見ていると、石沢さんは、取る札は有無を言わせず取るが、そうでない札は無理に取ろうとしていないように見えました。暗記に負荷を掛けてお手つきをしたり、狙いすぎて手が止まったりするリスクを避ける判断だったのかもしれません。それは反面では試合がもつれて終盤の出札運勝負になってしまう危険を孕みますが、スピードに絶対の自信があった石沢さんにとって終盤のスピード勝負はむしろ望むところだったのでしょう。長身でリーチの長い石沢さんは、自陣でも敵陣でも、狙った札は相手が反応する前に吹き飛ばすことができました。最大の武器である常人離れしたスピードを最大限に利用する試合運びをされていたのではないかと思います。初めて石沢さんのトップスピードの取りを見たときの驚きは今でも覚えていますし、その後も石沢さんの驚異的なスピードを目にする度に感動を覚えるほどでした。


今となっては、その感動的な高速の取りを見ることは二度と叶わなくなってしまいました。石沢さんのご冥福をお祈りします。

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