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知的財産権制度は、なんのためにあるのか? ~特許制度の意義、特許の哲学、特許の理論について~


 本記事は、パテントサロン主催「知財系 アドベントカレンダー 2020」寄稿の機会を借りまして、冒頭に掲げた疑問に対して、先人達がどのようにそれについて悩み、各自答えを出してきたのか、皆さんの未来の思考の糧に出来るものを提供できればと思います。

1.知的財産権制度はなんのためにあるのか?

 最近、初学者の方から、「特許制度は産業発展のためにある」、と屈託なく即答を頂いたときに、少し思う所がありました。本当にそうでしょうか?
ちょっと意地悪な言い方をしました。もし「それは本当ですか?」と聞かれたら、どのようにお答えになりますか?

 確かに、現行の日本の法律にある目的条項(と条文に即した試験の解答としてはOK!)からすれば、その答えに間違いはありません。しかし、そうした法律がない場合はどうでしょう?例えば、米国や欧州の特許法には、日本の様な目的条項はありません(でも、近いと考えられる条文は存在します)。

第一章 総則
(目的)特許法第一条 この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もつて産業の発達に寄与することを目的とする

 実のところ、「特許制度が必要か否か」を巡り、「産業発展に本当に役立っているのか」、「イノベーションの創出に役立っているのか」という、根幹を揺るがす存在意義についての議論は、特許制度の誕生とともにつきまとい、くすぶり続けています。
 過去にオランダでは、一度導入された特許制度が廃止され、また復活した経緯があります(その間に、エジソンの電球に関する特許にライセンスを払わずに済んだフィリップス社は世界的な電機メーカへと変貌を遂げました。その後オランダは特許制度を復活させ、現在、オランダの特許庁と欧州特許庁は同じ建物にあります。欧州特許庁の初代長官はオランダ人で、欧州特許庁の創設に貢献をしています。)

 そもそも、条文ありきでもなく、条文は結果でもなく、最初に思想があり、その思想の理論的根拠の構築を求め、法律の体系が生まれ、その時代に合わせた条文が試行錯誤の中で作られ、その思想(理想と置き換えることも出来る)を現実のものとすべく、多くの努力が重ねられて初めて、結果として現れるとも言えます。ではその思想や理論的根拠をどう求めたら良いのでしょうか?

2.自己紹介とテーマを選んだ理由

 自己紹介が申し遅れましたが、私、大樹七海(おおきななみ)は、科学・知財の社会普及、科学・知財人材育成に資するコンテンツを製作しています。

 例えば、知財のプロ「弁理士」になるための、国家資格取得のためのノウハウを詰め込んだ<受験シミュレーション漫画>「弁理士への道」を描いています。

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 続いて今年出版した<知財業務ガイドと弁理士への依頼の仕方の指南書>「弁理士にお任せあれ」では、知財をビジネスツールとして用いる意義と、弁理士を用いたその幅広い知財活用方法について書いています。

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 また、一般の学生・ビジネスマンを対象とした「ストーリー漫画でわかるビジネスツールとしての知的財産」にて、ビジネスマンガで知的財産権の活用を楽しくイメージできるように描いています。

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 他に、特許事務のための研修漫画、特許調査従事者(サーチャー)のため仕事や組織の意義、企業経営を考えた漫画(非商用、内部使用のため非公開)等も制作してきました。

 一貫して考え続けているのは、科学・知財コンテンツクリエイターとして、科学・知財に携わる方々がモチベーションを得られる、維持できるような価値観やビジョンを生むこと(クリエイトする)、そのベースとなる職業観・目標・社会貢献意義とは何かを考え、伝えること、そのために、「なんのために自分達は働いている(=生きている)のか?」という哲学的な命題への答えに繋がることであり、「知的財産権制度はなんのためにあるのか?」というのはその中でも最たるものだと考えます。本テーマを選んだ理由はそこにあります。

 それでは以下に、特許の存在意義についての哲学&理論の追求の歴史を、きわめて簡単にご紹介したいと思います。


3.特許の哲学・正当根拠

①自然権説

17世紀、哲学者ジョン・ロック
(アメリカ独立宣言・フランス人権宣言に影響を与えた!)

 個人が生来もつ侵すべからず権利(=自然権)の1つとして財産権を挙げ、その正当性の根拠を「労働所有権論」という、自らの労働の成果は労働を行った者に帰属すべきという考えに求めました。それを知的創造活動の成果を創造者への帰属にあてはめたものです。
(では、最先の出願人たる発明者にしか権利がもたらされない点をどう考えたら良いでしょうか。)
18-19世紀、哲学者ヘーゲル
著「法の哲学」
 自然権において、その根拠を「人格権」に重きを置き、その正当性の根拠を「精神的所有権論」に求めたものです。➡著作権の考えに親和性。
(上記と同様。)

以下からは、インセンティブ論になります。

②報酬説

 発明によって社会は利益を享受する。そのため、社会はその貢献に報いる義務を負うという考えです。
(では、貢献度合いに応じた報酬を与えるべきであると考えられますが、同じ発明でも資力など権利者の能力により大きく異なる点をどう考えたら良いでしょうか。)

③公開代償説

 発明を公開した代償として保証を与える考えです。
(では、特許権を得られない国へも公開され、無償利用される点をどう考えたら良いでしょうか。特許制度は属地主義であり、世界統一特許は存在していません。)

④発明奨励説

 独占的利益を与えることにより発明意欲を刺激するという考えです。
(では、現実、発明の多くは利益を得られていないことをどう考えたら良いでしょうか。)

⑤競業秩序説

 模倣による過当な競争状態を防ぐという考えです。
(では、過当な競争を防ぐ以上に、権利の濫用が生じる点はどう考えたら良いでしょうか)

 以上、上記の説それぞれに、補てんすべき部分が生じます。つまり、特許制度の全ての正当性を一つの説で説明することは困難(普通に考えて、まあそうですよね💦)です。また、産業ごとに最適な知的財産権制度の設計があるのではないかという議論もあります。
 主なものとして、以下の理論のそれぞれを、各産業を念頭に整理がされました(参考書:Burk&Lemley 2002)。

4.特許の理論

①プロスペクト理論 (1977年 Edimund W. Kitch)

 同一発明に対するレント・シーキング(ロビー活動のようなもの)を抑止(生産に結び付かない資源の浪費に費やすことにならないようにする)することを重視し、さらなる関連発明の投資に対するインセンティブ(期待)を与えるという理論です。
 主に「製薬企業」に適用されると主張されています。
薬の場合、ロビー活動が起こる可能性が高いこと、また臨床試験など高額投資が必要で、1つの特許で1つの製品をカバーできることが多く、早期に特許を与えても弊害が少ないと考えられているためです。

②競争的イノベーション理論(1962年 Kenneth Arrow)

 特許の保護がなくても(たとえば、ビジネスモデルは、発明として認められる前から存在し、特許制度の有りなしに関わらず、発明がどんどん生まれていた)、十分なイノベーションを行ってきた競争市場における理論です。
 主に「ビジネス方法」に適用されると主張されています。

③累積的イノベーション理論(1990年 Robert Merges, Richard Nelson)

 技術は単独でイノベーションが進むわけではなく、従って、基本発明と改良発明の双方にインセンティブとして特許権が与えられることになります。その結果、互いにブロッキングされますが、それは単なるデフォルト・ルールであり、ブロッキングを回避するために契約をすることになるため、交渉を促進させるというものです。
 主に「ソフトウェア産業」に適用されると主張されています。

④アンチコモンズ理論(1998年 Michael Heller, Rebecca Eisenberg)

 コモンズ理論(共有地の資源が乱獲されること)の反対であり、共有されるべき特許が細分化され(すぎて)いるために活用が妨げられ、資源の過小利用(利用するのが大変だから)になる、(例えば、遺伝子断片のような特許が多数存在することで、かえってイノベーションが進まなくなる)という弊害を指摘しています。
 主に「バイオ産業」に運用されると主張されています。

⑤特許の藪理論(2001年 Carl Shapiro) 

 特許が広すぎる場合、又は同一のものを対象としている場合、特許クレームの重複が起こり、これを特許の藪と呼んでいます。アンチコモンズの問題と同様に、複数の発明を利用した最終製品を作ることを難しくするため、クロスライセンス等により整理する必要が出てきます。
 主に「半導体産業」に運用されると主張されています。

 ただし、産業ごとに制度設計を別にするという考えは、TRIPs協定では技術の種類に基づく特許の付与に関する差別を禁じており、また、産業毎の垣根も明確なものではなく、不確実性を伴うこともあるので慎重に扱うべき議論です。一つの理論で全てを説明するものではなく、状況に応じて複数の理論から検討するアプローチが良いと考えられます。
 更に付言するならば、規範の定立を立法がすべきか、司法がすべきか、という点も検討すべき課題となります。

 以上、本来ならば膨大な論文と考察を紹介すべき深淵な問題ですが、お忙しい皆様、また初学者の方も、簡単に理解し、記憶に留めておける範囲内で、先人達の思考・社会実験の経緯をお伝えするため、わかりやすさを優先させて頂きました。ご紹介させて頂いた主な理論から、さらに現在、様々な展開がなされているものであり(時間があるときにアップデートできれば)、不十分さや、法律的に正確な表現に欠ける点につきましては、ご容赦願いたいと思います。

5.おわりに。

 現実社会というのは、実に「流動的で変化が激しい」ものです。とりわけ近年の技術進歩における社会情勢の変化は驚異的です。たとえば、徳川幕府(1603-1868)の200年と、直近200年を比べれば、人類は蒸気機関車(1802年)からスマートフォン(1992年)までを一気に発明しています。
 常に起き続ける、現実社会と法との矛盾、保護と利用のバランスをどの位置に持っていくのが良いのか、「今がベスト(完璧)」ではなく、より良い形へ自分達が変えていく、変えていけるのだ、という思考を持ち、どう行動していけば良いのか、考え続けていくことが重要だと思います。 

今後も、希望を持つ社会を作るために、社会の制度設計の一つとして、知的財産権制度の活用を、皆さんと考えていきたいと思っています。 大樹七海


【参考文献】
・知的財産法の理論的探究 (現代知的財産法講座I) 高林龍 (編集), 三村量一 (編集), 竹中俊子 (編集)
・知的財産権法の新たな理論の構築に向けて その1・その2 特許法における政策レバー Dan L. Burk and Mark A.Lemley 山崎昇(訳)知的財産法政策学研究 Vol.14(2007)
・Is Patent Law Technology-Specific Berkeley Technology Law Journal, Vol. 17, Issue 4 (Fall 2002), pp. 1155-1206 Burk, Dan L. Lemley, Mark A.
17 Berkeley Tech. L.J. 1155 (2002)
・知的財産権法の新たな理論の構築に向けてその7 知的財産法政策学の試み 田村善之
・特許制度の正当化根拠をめぐる議論と実証研究の意義2015.9 特許研究No.60 中山一郎
・風車、チーズ、知財の国・オランダ 曽我 亮司 tokugikon 2011.28.no260
・The Nature and Function of the Patent System Edmund W. Kitch
The Journal of Law and Economics Volume 20, Number 2
Oct., 1977  The University of Chicago Booth School of Business and The University of Chicago Law School
・Economic Welfare and the Allocation of Resources for Invention
Kenneth Arrow, 1962, pp 609-626 from National Bureau of Economic Research, Inc
・ON THE COMPLEX ECONOMICS OF PATENT SCOPE Robert P. Merges and Richard R. Nelson, Colum. L. Rev. 839 1990
・Can Patents Deter Innovation? The Anticommons in Biomedical Research
Science, Vol. 280, May 1, 1998  Michael Heller Columbia University - Columbia Law School, Rebecca S. Eisenberg, University of Michigan Law School Date Written: May 1, 1998
・Navigating the Patent Thicket: Cross Licenses, Patent Pools, and Standard-Setting,14 Jun 2001, Carl Shapiro University of California, Berkeley - Haas School of Business

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