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静寂

静寂。決して「無音」と同義ではない。言わずもがな、「騒音」にもなり得ない。一つ一つの細かな音が、更に「静寂」たるを響かせる。それは言うなれば、一寸のズレもない平らなグリーン上を、最適な速度でカップめがけてボールを転がすようなものなのだろうか。「騒音」間では雑音の一端でしかない音音が、「静寂」に綺麗に溶け込んでしまうのだ。
開け放たれた窓から覗くのは、永続的な空。今見えている青さは、永遠に続かないことを、私は知っている。しかし、文字通り世界を見下ろす澄んだ空は、私を吸い込んでしまいそうだった。永遠に。
そう。無音ではない。車の走る音、たまに、選挙直前の演説。田舎ではないから、可愛い鳥のさえずりよりカラスの耳をつんざく声が響く。しかしやはり、「静寂」だった。
このいつもの風景は、私を不思議な境地に陥らせた。理屈抜きに、心が澄み渡っていく心地。この駅前の一帯は、日常的に、「居心地の良さ」を提供していた。居心地の良さ、悪さは紙一重であるはずなのに、総力をあげて「静寂」を演奏する様子は、見ていて気を悪くしなかった。
私は明日、高校に入学する。地元でも中堅層の公立校だ。勉強はもう、うんざりだった。私は私なりに地道な社会経験を積み、苦労もした。しかし今まで学んだどの教科も、人生において必要である素振りすら見せなかった。だから私はある結論を出した。
「勉強はやる意味が無い」
多くの学生が、こうして学習そのものに早い段階で見切りをつける。それにしては私は、この判断を下すまで時間がかかった。それは、私の理解力が乏しい訳では無い。少なくとも私はそう思う。私は、自分でもわかるくらい聡かった。大人が親身になって叩き込もうとする教育。それ自体の効用は想像出来なかったが、それを受けることそのものが私たちには必要なのだと、子供ながらに私は悟った。「私の方が経験が豊富だ」と、一段高い場所から自信ありげに悠々と言い放つ大人に抗えなかったせいもある。しかし、私は学んだ。「経験」──「経験」というのは、量でも質でもなく自分がどう感じるかによりけりで、ある一点を境に経験則なんざケロリと一転する──から。
私にとって、大人はずっとそうだった。大人は、私の前で常に「ロック」をまた一段とうるさく演奏した。バラードのように、麗しく「静寂」と一体化することは今でもない。

私はだから、ロック音楽が好きになれない。

顔、顔、顔、鞄、ドア、チャイム。雄大な黒板、窓、のどかな春の景色。そしてまた、顔、顔、顔、顔、最後に──
教壇に立ち、手は教卓に置き──彼はチャイムが鳴り終わるまで目を瞑っていた。
彼は「静寂」を聞いているのだと。私はふと、そう思った。
彼は瞼を開いた。視線を感じたのか、瞬間、私の目を真っ直ぐに見た。私の熱烈な視線に、根負けするでも、火花を散らすでもなく、ただただ静かに、応えた。
彼は軽く腰を曲げ──会釈したのだ──ふっと微笑んだ。とても自然な所作だった。
彼の一挙手一投足は、空気のようで、しかしこの独特の緊張感の中、異様な存在感を発揮した。彼が私の視線を切り辺りを見渡した時、皆がゴソゴソ姿勢を正した音が、それを証明している。
私の高校生活は、こうして始まった。「静寂」だと、私は思った。しかし私には、他の音を聞く余裕すら無かった。私だけが、日常を彩る空気に溶け込めない「ロック」だった。

彼の名は、日野 紫陽(ひの しょう)と言った。私の新しいクラス、A組の担任だと、彼は言った。自己紹介は実に簡潔だった。
「よろしくお願いします。」
私は恐らく嬉しかったのだろう。今まで、それほどまで自然に対等に扱われたことなど無かったから。彼が我々に敬意を表した上で迎え入れてくれる、それだけで、ひとつ成長した気分だった。
その後は収容数に長けた、簡単に言えば無駄にデカい講堂で入学式を行った。教頭、及び校長先生の話は、半分も耳に入らなかった。私はひたすらに考えた。恋心でも、リスペクトでもないこの気持ちを。とはいえ、考え事がなくとも話など聞かなかったろう。
それだけだった。後はあっさり、「家に帰ってこれからの準備をお願いします」と。相変わらず緊張の大海の上を余裕綽々船を乗りこなす──というより、溺れてることに気づいていないと言った方が近いかもしれない──私は、なんだ、そんなものかと帰路についた。
よく、よく、よく眠った。多分、彼の夢を見た。起きた時、心が熱かったから。


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