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認知症高齢者は自分を映す鏡

 こんにちは、おーじです。
 私は介護士をしていたので、認知症を患っている高齢者と関わる機会は非常に多くありました。今回はそんな認知症高齢者に関する話です。

認知症高齢者について

 多くの介護士は「認知症」を患っている方の対応をした時に、こう感じた経験があるのではないでしょうか。

「人の気分を逆撫でするのが上手すぎる」

 こんな事を言うと「お前は何様だ?」とか「介護のプロじゃないな」と言われるかもしれません。ですが、そんな事は置いておいて、一度冷静に考えて見てください。

 夕方になればBPSDが顕著に現れます。そう言った場面で介護士は認知症高齢者の行動を制止することがよくあります。またまた、こんな事を言うと「制止って何だよ!」と言われそうですが、そんな言葉遊びは不要です。

 そして、その際の関わり方次第で、介護士の望む行動をしてくれる時もあれば、望まない行動をされる時もあるわけです。その望む行動をしてくれる確率が高い介護士が実力があると考えられていますよね。野球選手と同様です。

 さて、ようやく本題なのですが、認知症高齢者が感情的になった時、対応している介護士に心的ストレスを与えるような言動を自動的にしています
 これは視線などの非言語的なものもそうですし、言葉も洗練された悪口を選びます

 私は、本能的に人が嫌悪する態度というものがあり、それは感情が昂った時に表出するものだと考えています。そして、認知症高齢者はそれが発生しやすいのでしょう。本来は「それ」が表出することを理性が止めますが、認知症のように脳の機能障害があれば、止めきれないのでしょう。

 理屈は分かっているけど、こっちも感情的になってしまうという方もいるでしょう。

 では、スピリチュアル的な視点から見ればどうなるのでしょうか?

鏡の法則

 野口嘉則さんの書かれた『鏡の法則』をご存知でしょうか?
 ご存知でしょうか? などと偉そうに言っていますが、私は読んだ事がありません(苦笑)。ですが、スピリチュアルや量子力学を幾許か学んできた私は、そのタイトルを見て関連する経験があることに気が付きました。

 その経験というのが、まさに認知症高齢者の介助中に起こりました。

「怒ったんか?」

 私の部署には、大柄な体格の男性の利用者がいました。その人のご家族は、所謂「ヤ○ザ」と関わりのある方だったので、対応する時は少し緊張していました。
 その人は体の形状的な理由から、頻繁に尿もれを起こしていました。

 その出来事があったのは、夜勤中にその人のオムツ交換を行う時でした。居室の匂いですでに気付いていましたが、布団を捲ってみると案の定、尿がベッド全体に漏れていました。

 それを見た瞬間、私は頭の中で舌打ちをしました。すると、その人は閉じていた目をゆっくりと開けて、私にこう聞きました。

怒ったんか?

 その人は普段、声を発することが殆どありません。なので、私はビックリして「なんで分かったんですか?」と間抜けに聞き返していました。
 その後は、感じていた怒りは不思議と消えていました。

 まるでを見ているようでした。

まとめ

 このケースだけを見れば、偶然に過ぎないと思うでしょう。ですが、多くの介護士のみならず、多くの人間が似たような事を経験していると思います。
 よく「仕事終わりに楽しいことがあれば、いつも嫌だと思っている仕事も楽勝!」のような話があるでしょう。まさにアレです。
 楽しい事が間近に迫っていれば、近くの嫌なことなんてどうでも良くなるアレです。

エイブラハムの教えと鏡の法則は同じようなことを言っているのかもしれませんね。

 つまり、何かで悩んでいる方(大雑把ですが)は、その悩みを捨てて、近々起こる楽しい事(旅行や友人との飲み会など)に集中していれば、そんなに嫌な思いはしないという事です。

 寧ろ、自分を楽しませる予定を立てまくる事をオススメします。

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