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萩尾望都とSF界隈と『バルバラ異界』

2021年4月『一度きりの大泉の話』(大泉本)発売直後は5ちゃんねる少女漫画板にある萩尾望都スレが賑わっていました。元々の住民だけでなく、あちこちから大泉本を読んだ人たちが集まってきていて、私も新参者の一人でした。大勢の人が集まったせいか、萩尾望都スレとは言え、過激な萩尾擁護者の声は思ったより小さくて、今から思うと大変「まとも」な状況でしたね(5ちゃんねるは住人が多いスレほど健全な傾向があると思ってます、特殊なスレは知りませんが……)
しばらくして派生スレとして大泉スレが立ちました。大泉本の話ばかりで萩尾作品の話がしにくい状況でしたので、これも自然の流れでした
私は実は大泉スレが立った頃には、そろそろスレから離脱しようと思っていたのですが、住人の数が少なくなるにつれ、ありがちのことですが、次第に過激な萩尾擁護派の占める割合が高くなり、萩尾批判者をアラシ扱いするようになって、これはちょっと許せないという気分になったこともあり、noteなんて書き始めちゃったことも手伝って、ずるずると現在に至ります
そういえば、『週刊文春エンタ!』というムック本に「『一度きりの大泉の話』の衝撃!“花の24年組”の幻想」という記事が書かれたのですが、その中に「インターネットの掲示板では、それぞれのファン同士が論争」とあって、これはおそらく5ちゃんねるの大泉スレのことを指しているのでしょう。ただ、当初から大泉スレに参加している竹宮ファンはほとんどいなかったという印象でした
現在の大泉スレはめっきり住人も減り、それに反比例するように住人の先鋭化が進みきった状態になってます、その中の一人である私が言うのもなんですが(笑)

で、まだ大泉スレが初期の頃、しかし、とっくに過激萩尾擁護者の声が大きくなっていた頃に、SF界隈の人がスレで声を上げました。村田順子さんという漫画家で竹宮ファンクラブの会長もやっていた方が、ブログに書いたことに不満があったようです

排他的独占願望もよくわかりません。寺山修司さんや光瀬龍氏に関しては、あちらが同時期にお二人にアプローチして来ただけで、

もうご本人が削除してしまった記事ですが、この中の「光瀬龍氏が同時期にお二人にアプローチして来た」という部分が気に入らなかったようです。光瀬氏側からアプローチした事実はないというのがSF界隈の人の主張でした。結果的に確かにこれは誤りだったのですが、竹宮さんがこのことを主張していたならともかく、村田さんが単に記憶違いしていただけのことかもしれないのに、ここまで食いつくというのが当時から不思議でしたね、しかもこのブログ記事は書かれてすぐに村田さんが削除しているんですよ?
SF界隈の一人である長山靖生氏は『SFマガジン』の連載にも、最近出版された『萩尾望都がいる』にも、この村田さんの勘違い?を書いていますが、それがそんなに重要なことなのか?と思ってしまいます。どうせなら同じ村田さんのブログでも

竹宮先生の名誉のために少し補足させていただくと、先生は思っていることをストレートに言ってしまう人ではありますが、影で人を陥れようと画策したり、誰かのせいにしたりする人ではけしてありません。若干人ごとのように「俯瞰するとこういう構図で、こうだったのでは?」と状況を分析するので、だからそれが「別の原因のせい」だと言ったように勘違いされることはあるかもしれません。増山法恵さんは正義感の強い人。私はお二人からただの一度も萩尾先生の悪口を聞いたことがありませんし、萩尾先生の作品を妨害するようなこともない、、、というか、あり得ない!

この部分のほうがよほど価値があるでしょう

以前も書いていますが、5ちゃんねるが匿名なのにどうして5ちゃんねるにいるSF界隈の一人が長山氏だとわかったかというと、これから出版される予定の『SFマガジン』の記事内容を「自分が書いた」という体で詳細に語って、かつそれが事実だったからです
彼らは当初から、自分は一人ではなく背後に仲間がいることを仄めかしてました、長山靖生氏と小谷真理氏は萩尾ファン?ということで繋がっているようで、「小谷さんもそのうち何か書く」というようなことをSF界隈の誰かが5ちゃんねるで言ってましたが、未だに書かれてないようです。ただ小谷真理氏は『SFが読みたい2022年版』ベストSFとして『一度きりの大泉の話』を挙げているそうです。いったい『一度きりの大泉の話』のどこがSFなのでしょう?やりたい放題というか中学生が好みそうな冗談だとしか思えません

調べてみたら、長山氏も小谷氏も「日本SF大賞」という賞を評論で受賞していて、萩尾さんの『バルバラ異界』も日本SF大賞を受賞しています。
日本SF大賞を受賞した人は今度は審査員になることが通例らしく、『バルバラ異界』が大賞を取ったときの審査員は小谷さんが入ってました。
正直、『バルバラ異界』のどこが面白いのかさっぱり理解できない私としては、内輪で回してる「賞」という印象が拭えません。同時期に同じ『月刊flowers』に連載されていた『7SEEDS』(田村由美)のほうが、はるかに面白かったです、登場人物が30人くらいいるのですが、キャラの描き分けが絵についてもキャラの内面についても見事としか言いようがなく、素晴らしいSF作品です

『バルバラ異界』は萩尾さん本人もいきあたりばったりで描いていたと認めているように、まとまりのないエピソードの連続で最後は無理矢理「魔法のような力」で強引に都合よく終わらせたという印象です。最後に謎が解けたってとくにカタルシスを感じることもなく、なぜか父親には過去の記憶が残って、息子は(別人だから?)何も知らないというのも、魔法だから突っ込んでも仕方ないとは言え、なんだかなーと白けちゃいました
強烈だったのは、老女が若返って、主人公の男性と一晩過ごすエピソード、あれは読者サービスだったのでしょうか???

そういうわけで、『バルバラ異界』に日本SF大賞を授与してしまうSF界隈(ごく一部でしょうが)に感じる胡散臭さはスレが進むにつれどんどん大きくなっていきました、当初は私ではなく別の住人さんたちがSF界隈を疑問視していて、私は「花と光の中」や「F誌(婦人公論)」のほうに興味が向いていて、SF界隈に関してはほぼスルーしてました。5ちゃんのこんな偏ったスレで自分の連載を宣伝するなんてよくやるよ程度にしか思ってなかったと思います。
そして、この頃はSF界隈の人は長山氏一人なんだろうと思ってました。ひょんなことから複数(二名以上)ということが判明したのですが、まさかお仲間同士連れ立ってこんなスレに来てるなんて私の想像を超えてましたね

それで2021年の年末に、SF関係者の忘年会(Zoomでやったらしい)で、何か質問したいことがあるか?と5ちゃんねる上で聞かれたので、私はSFの人は「花と光の中」と「みずうみ」の類似についてどう思っているのか質問しました。返ってきた回答は「『花と光の中』は落下死の系譜に属する」という、ウケ狙いなのかただごまかしたいのかよくわからないもので、煙に巻かれた気分でした。ところが、最近発売された長山氏の『萩尾望都がいる』(光文社新書)で転落死を取り上げてるんですよ、もしかしてあの時、長山氏は大真面目に語っていたのでしょうか

 精神分析ではよく、飛翔からの転落を性的な象徴とみなしますが、萩尾作品の転落死には先行する飛翔がなく、エロスなきタナトス(死)であり、むしろコペルニクス的転換により転落自体が逆に飛翔、すなわちエロスを阻むアガペー的純化への願望のように思われます。

これ、仮に自分が書いたとするなら完全な冗談以外のなにものでもないのですが、長山氏は本気なんでしょうかね?

長山氏は『SFマガジン』2021年10月号と2022年2月号の連載記事に少女マンガ関連の話を書いてます。本人(らしき人物)が5ちゃんねるで語ったところによると「事実を重んじ、確認したことのみ記し極力公平な記述を努めました。誰であれ非難する意図はありません」ということらしいのですが、とてもとてもそうは読めないんです

その中でもとくに酷いと思ったのが、岡田史子氏の漫画家復帰を竹宮さんが「阻止」したという記述です。簡単に説明すると、岡田史子さんが1995年に、再び漫画家活動を始めようと考えて、『COMICアレ!』の新人公募に応募した際の審査員が竹宮さんだったのですが、落選という通知だけでは失礼だと思ったのかわかりませんが、竹宮さんが岡田さんに手紙を書いたらしいんですよ、そのことを岡田さんが語っていて(「岡田史子を忘れるな<特別インタビュー>」Quick Japan>Vol.17、1997年7月)

選者のひとり、竹宮恵子さんから手紙をいただきまして。作品自体の出来がよくない。あなたは漫画界の現状を知らなすぎるようですと書いてあった。それでマンガ家への道をあきらめたんです。私のマンガ家生活は、それで終わったんだと思いますね

これに対して、長山氏は『SFマガジン』2022年2月号「SFのある文学誌」第80回の中の【復帰を熱望した萩尾望都、しみじみする江口寿史、阻止した竹宮恵子】で

 前出のように竹宮恵子は、1970年前後の岡田作品から多大な影響を受けていた。その竹宮が、岡田に私的な勧告をして復帰を阻んだのだった。この手紙の件を、内容も含めて、同じく審査員の江口寿史や業田良家は知っていたのだろうか。応募作不採用は厳正な審査の結果だが、手紙は必要か。またもし手紙を江口が書いていたなら、あるいはその後の岡田のモチベーションや行動は違っていたのではないか。それを思うと残念でならない。

と語ってますが「阻止」という言葉の意味はgoo辞書によると「自分たちにとって好ましくないことが行われないようにじゃまをしてやめさせること。特に、力でおさえるような場合にいう。」らしいのですが、いったいどこからそんな事実が読み取れるのでしょう?竹宮さんの「阻止したい」という強い意思はどこに書かれているのでしょう?竹宮さんの手紙が全文掲載されたわけでもないのに、これはもう誹謗中傷レベルではないでしょうか?
しかも岡田さんのインタビュー全体を読むと、離婚してお金に困って投稿したことも神様がいるからマンガを描く必要がなくなったことも書いてあり、マンガに執着している様子はちっとも感じられません。そもそもマンガ家への道を諦めたのは成人した一女性である岡田さんが決断したことですよ?あまりに岡田さんをバカにしすぎなんじゃないかとも思えます

このあたりから、長山氏への不信感は一気に強くなりましたね
長くなりましたので、長山氏の著書『萩尾望都がいる』に関しては別の記事で詳しく書いてみたいと思います

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