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「イグアナの娘」と「夢の中悪夢の中」

萩尾さんのドラマ化された有名な作品「イグアナの娘」ですが、実はこの作品と三原順氏の「夢の中悪夢の中」には多くの共通点があります。(「イグアナの娘」は『プチフラワー』1992年5月号に掲載された50ページほどの短編で「夢の中悪夢の中」は『BONTON』という雑誌の1991年12月号と1992年1月号にわたって掲載)

・母と娘の確執を描いている
・母は主人公以外の子は可愛がるが主人公のことは一貫して否定
・「イグアナの娘」の主人公は野球、「夢の中悪夢の中」の主人公はソフトボール
・自分を受け入れてくれた優しい男性と、学校を卒業後すぐに結婚
・結婚して初めてやすらぎを感じる幸せな日々(二人で窓辺に立つ描写も同じ)
・赤ちゃんが生まれるが愛せない(「イグアナの娘」の主人公は最終的に愛せるようになる)
・母親が突然亡くなる
・亡くなった母親に対し、「イグアナの娘」…「私を産んで愛せなかったでしょ 愛せなくて苦しかったでしょ」、「夢の中悪夢の中」…「そうよね!母さん!!貴女は私のせいで不幸だった!とても不幸だった」

「夢の中悪夢の中」のほうが3ヶ月ほど先に描かれていて、おそらく萩尾さんはこれにインスパイアされて、加えて自分の経験も織り込んで「イグアナの娘」を描いたと思われます。ただ、萩尾さんはあちこちで「イグアナの娘」のことを語ってますが、なぜか三原順の影響については一言も語ってません

萩尾さんには「くろいひつじ」という短編もありますが、これも「夢の中悪夢の中」に一部の設定が酷似してます、どんだけ「夢の中悪夢の中」がお好きなのかと思ってしまいますが、萩尾さんが三原順作品を評価したという話はこれまで聞いたことがありません。竹宮作品以外ならどんな作品でも褒めちぎりそうな勢いの萩尾さんなのに、もしや、三原順さんは萩尾さんの逆鱗に触れる何かをやってしまったのでしょうか?

もしかして悩む黒髪キャラとしてユーリとグレアム(「はみだしっ子」)が何度か比較されてたそうなので、そこで嫌な気持ちになったのかな?とは思いました。両者が比較されたとしたら、多くの人がユーリの苦悩ってグレアムに比べて軽すぎないか?といった感想を持つ流れになるでしょうから、萩尾さんにしてみればあまりいい気がしなかったでしょう。ユーリの苦悩は「こんな僕では神様に受け入れてもらえない」というあくまで他者に依存した宗教的なものであるのに対し、グレアムは「自分で自分を認めることができない」という徹底して自分自身についての問題だったから、その本質が全然違うというか、比較するような二人でもないと思うのですが、萩尾さんには三原作品に対する対抗心みたいなものが出来あがってしまったのかなと思いました、もちろん妄想です

話がそれましたが、本当は萩尾さんは「夢の中悪夢の中」が好きではなくお嫌いだったんだろうなって思います。母親から否定され続けた娘は、母親のようにはなりたくないと思いながらも、自分が母親になったとき結局同じことをしてしまうという話ですから、一貫してご両親を批判し続けてきた萩尾さんのお好きになる要素は一つもないでしょう。

おそらく「悲しみの天使」という映画をご覧になって「立腹」や「いらだち」を覚えて「トーマの心臓」を描いたように、「夢の中悪夢の中」をお読みになって、嫌悪し、「イグアナの娘」を描いたのではないかと想像します。萩尾さんの創作意欲ってわりとこういったきっかけから生じるのではないかな?「風と木の詩」(お読みになってないそうですが)の虐待や鞭打ちシーンへのこだわりもすごいですし、既存の作品(あるいは未発表の作品)の一部設定をあえて同じにして、萩尾さんなりの「異なる」作品を描くということに本人なりの意義を感じてるように思えます。まあ、「花と光の中」のように、どこがブラッドベリ「みずうみ」と違うのだろう?という作品もありますが

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