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「ポーの一族」と自由

先日、知人と、「ポーの一族」がいかに自由であるかという話題になりました

この知人は超理系人間で、細かい感情の機微についてはそれほど得意ではないのですが、本質を見る目が鋭く、私もたびたび彼女の意見を参考にしています

知人は、「秋の旅」は良く出来たストーリーだという意見(もちろん皮肉)もそうですが、他には「毛糸玉にじゃれないで」について、自己中な中学生の現実逃避という夢をリアルに描いている(ただし萩尾さんはそれを意図したわけでない)説、「イグアナの娘」はそもそも「物語」として成立していない、あれは読者にとって「こんな有名な漫画家も、毒親持ちの自分を支持してくれるのだ」というメッセージにすぎない、だから、毒親持ちではない部外者の一般読者が「ナニコレ?」と思うのは当然なのだという説などを語ってます

彼女は私より若いので、「ポーの一族」がなぜそんなに一世を風靡したのか(したんですか?)、理解できなかったそうです。私も連載時にリアルタイムで「ポーの一族」を読める年齢でなかったから、そこはよくわからないのですが、知人はこれについてある仮説を立てました

それは、「ポーの一族」がなにものにも囚われず、あまりにもとことん自由だったからというものです

読者である中高生は、有無を言わさず学校に通うことを強いられ、将来のためと自分に言い聞かせて、勉学に励んでます。親にも教師にも反抗せず、部活動でも、先輩に服従するという不文律に従い、仲間内でも暗黙のルールに外れぬよう気を遣い、そんな毎日にうっすら疑問を感じつつも、自己抑制して日々、窮屈な思いを押し殺して生活しているのです(私自身はそこまで抑圧された学生時代を過ごしたわけではなく、想像です)

そんな彼らの日常に比べて、エドガーとアランはなんと自由なのでしょう!なんせ、彼らには「生きる目的」というものが皆無ですから、何の義務もありません。なぜかお金もいっぱいあって、やりたい放題で、アランなんていつも心底楽しそう。たまに、ロビン・カーやらエルゼリやら、悲しい出来事も起こりますが、それはあくまで彼ら自身に限った問題です。仮に周囲に影響を与えるとしても、「人間世界」のことなんて知ったこっちゃありませんから、「小鳥の巣」にみるように、好き放題やっても、さっさと退学して出て行けばいいのです

ここまで社会と切り離されている存在、ここまで何も期待されないお気楽な存在なんて、中高生が自分自身で空想するとしても、そうそう思い浮かばないのでは?

思春期真っただ中のもやもやした鬱屈した想いを抱えている中高生が「ポーの一族」を読んで、パーっと世界が開き、心が救われ、エドガーやアランに憧れたのはとても自然なことでしょう

「ポーの一族」が連載されていた1970年代の他の少女漫画を見ると、「ベルサイユのばら」は民衆のために戦いますし、「エースをねらえ!」はスポ根、「ガラスの仮面」は紅天女を演じる女優、「キャンディキャンディ」は良き看護師を目指すわけで、どの作品も主人公が目標に向かって精一杯努力するんですよ。
「はみだしっ子」だって自由に生きているようで、常に自問自答を繰り返し、自分はどう生きていくかを真剣に考えてます。
「はいからさんが通る」もめちゃくちゃやってるようで、紅緒が少尉を、少尉が紅緒を愛し抜くという少女漫画における絶対ルールは外してません。
つまり、皆さん、とても真面目に生きてるんです

そうした要素が「ポーの一族」にはびっくりするほどありません
その点で、「ポーの一族」は他の少女漫画と比べて、極めて異質です
彼らは何も考えずふわふわと生きているだけ
たまに、エドガーが「孤独」と言っていて、彼なりの悩みはあるようですが、読者からすれば、いったい何が孤独なのかわからない(共感できる人もいるのかな?)。そもそもメリーベルを自分の手で吸血鬼にしたことを後悔しているはずなのに、なぜかアランも吸血鬼にしてしまうエドガーに「苦悩」という文字は似合いません
ここまで自由なキャラって小説でも漫画でも他にあるのでしょうか?ちょっと思いつかないのですが……

なぜなら、彼らが自由であるのは、吸血鬼だからという理由だけではないからです。彼らの自由の根源は、創造主である萩尾さんが(言い方は悪いですが)何も考えてない点にあると思うのです

つまり、その「自由さ」は、萩尾さんが普通の人間とは少々ズレている点から生み出されるのです。萩尾さんが世間のルールなど(実は)気にせず、社会の価値観についてもほとんど気にしない人である点です。他人の原作で描いた「ケーキケーキケーキ」にローマ字で自分の主張をあれこれ書いたことなんてとても象徴的。普通の人間なら「こんなことはやってはいけないことだ」と誰に教えられなくても気づくこと。「大泉本」も同様です。
つまり、萩尾さんには、普通の人間が当然感じる「しばり」がないんです

だから、エドガーやアランを従来の少女漫画の真面目な主人公たちのアンチテーゼとして描いたわけでもないと思います。なんせ萩尾さんの中にそうした「軸」が存在しないのですから

エドガーやアランは「悪」や「不真面目」を追求することもありません。彼らは存在自体が「災害」というだけで、何も目指してないし、自分たちがいかに自由であるかをアピールすることもしないし、人間たちがいかに多くのしがらみに縛られているかを哀れむこともない
もう、はなっからそんなことは眼中にないからこそ、エドガーやアランはとことん自由なんです。自由を求めないゆえの自由とでもいうべきか……
(ひょっとして、萩尾さん自身がどこかで、エドガーたちを自由な存在として描いたって言ってるかもしれませんが、だからと言って真に受けてはいけません。一般人が100のことを考えるとしたら、萩尾さんは10くらいしか考えてないと思います。それでも萩尾さんは「考えた」って言うでしょうから)

萩尾さんと森博嗣との対談の中で、森博嗣が

「僕は、萩尾先生の他に好きな漫画家はいないし、好きな作家もいない。萩尾先生おひとりだけ。」「(天才漫画家は)萩尾望都先生のことです。それ以外にありません。もう20世紀には一人だと思います。基準が何かとかじゃないです。」

「物語るあなた 絵描くわたし」(河出書房新社)

と語っていて、最初に読んだ時は、いったい何をこの人は言っているんだろう?と不思議だったのですが、今はわかるような気がします。
萩尾さんは良くも悪くも「唯一無二」の漫画家なんです
森博嗣が惹かれているのも、その「唯一無二」性に由来する何かなのでしょう。おそらく私に理解はできても、まったく共感できないものだと思いますが……

知人と私はよく、萩尾さんのことを「ハギオ星のハギオ星人だから」ということで、自分たちを納得させているのですが、それは萩尾さんは普通の人間ではないということです。「普通でない」ことにはいろんなケースがあるのですが、萩尾さんの場合は人間にとって肝心なものが「欠落」している、そこに尽きると思います。つまり「ポーの一族」がとことん自由であるのも、萩尾さんに「欠落」があるからということになります

萩尾さんの卓越した表現力と、常人が普通に考えることを考えない「欠落」という「特技」?「才能」?
この二つが絶妙に融合して、「ポーの一族」は少女漫画史に残る傑作となったのです

仮に萩尾さんが常識人だったら、どんなに表現力があろうと、「ポーの一族」のあの軽やかな魅力は出せなかったでしょう。普通の漫画家だったら「社会」を意識してもっと堅苦しい漫画になっちゃったはずです

そういうわけで、ある意味、「ポーの一族」ほど「革新的」と言っていい漫画もないでしょう。普通の人間には「考えずに描く」なんて芸当はできません(知人はこれを「無知の無知」と名付けました)

萩尾さんには後継者はいないし、以後も、萩尾さんのような漫画家は出てこないでしょう。「考えないこと」はもう強烈なオリジナリティと言っていいと思いますが、オリジナリティがあれば優れた漫画になるわけでもないと、萩尾さんの数多くの凡作が物語ってます

つまり、「ポーの一族」は非常に幸運な例だったということになります
ただし、旧作のみですが……

もちろん、新ポーも萩尾さんにしか描けないものである点は同様でしょうが、それが読者に受け入れられるかは、少々疑問です

例えば、エドガーは人間に戻って、子育てを通じて、人間の愛を知り、人間社会の一員となって、限りある生をまっとうする……というのが私の予想ですが、うーん……「ポーの一族」ってそういう話だったの?そんなのあまりにも夢がないと思うのです。そんなことを旧ポーの読者は望んでいるのでしょうか?
と、まだ描かれてもない部分に口出しするのも馬鹿げてますが……

前にも書きましたが、私がエドガーは人間に戻ると予想したとき、知人はそれは許されないと言いました。彼女が旧ポーで一番衝撃的だったことは、殺人ではなく、「小鳥の巣」でアランがグロフ先生の懐中時計を湖に投げ捨てたことでした。人を殺すのは、彼らが生きるためにやむを得ないという側面がありますが、亡き娘の写真が貼られた思い出の時計を捨てるのは、ただただ人の気持ちがわからない無益で思いやりのない残酷な行為にすぎません。これが許されるのは、ひとえにアランが人間ではなく吸血鬼だからでしょう

いったん彼らが人間に戻ったならば、今までは吸血鬼だったからスルーされてきた、過去のさまざまな行為の責任を読者に追及されることになるのです……

そこで「記憶喪失」が必要になるのかもしれませんが……

なんにせよ、人間に戻った場合、旧ポーの一番の魅力だった底抜けの自由は失われてしまうでしょう
まあ、今現在も、大勢の吸血鬼だのクランだの登場して、吸血鬼の世界も意外とめんどくさいことになってますけどね

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