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『萩尾望都がいる』(長山靖生)の謎

前回とりあげた『萩尾望都がいる』(光文社新書)の中で、著者の長山靖生氏と萩尾さんが、毎年年賀状のやり取りをしているリアルな知人であることが書かれてました
『萩尾望都がいる』の終わりにも

 本書での絵画使用をご許可くださった萩尾望都先生、ご協力いただいた小学館『flowers』編集部、早川書房の皆様に心から感謝します。

と書かれているように、萩尾さんから絵画使用の許可を得ているようです。ということは当然、長山氏はこの『萩尾望都がいる』を萩尾さんに贈呈していると思われます

ここが不思議なんですよね、だって大泉本で

 なので、執筆が終わりましたら、もう一度この記憶は永久凍土に封じ込めるつもりです。ちゃんとお墓を作り、墓碑銘も書きましょう。

埋めた過去を掘り起こすことが、もう、ありませんように。

と書いている萩尾さんに、竹宮さんへの悪意がちりばめられている『萩尾望都がいる』を贈呈して、萩尾さんに喜んでもらえると思ってるってことですよね?
つまり萩尾さんはそういうことを喜ぶ人なんだと長山氏は考えているということになりませんか?「竹宮さんについてはどんな話題でも名前も見るのもイヤ」って萩尾さんが考えているとは思わないんですかね?竹宮さんの悪い部分なら、萩尾さんに楽しく読んでもらえると思ってるんでしょうか?

これが、長山氏が萩尾さんのリアル知人でなければ、萩尾さんの気持ちなんてまるで考えない一方的で熱狂的なファンがやったこと、と捉えることもできたのですが、リアル知人ということで、二人の気持ちは通じ合っているのだろうか?と考える読者は私以外にも出てくると思うんですよ

萩尾さんが『萩尾望都がいる』の竹宮さんへの悪意まみれの記述を喜んだのかどうなのか、実際のところはわかりませんが

仮に、『竹宮惠子がいる』という本をリアルな竹宮さんの知人が書いたとして、絵画使用許諾も与えていて、その内容が萩尾さんへの悪意に満ちていたとしたら、長山氏はどう考えるんでしょう?興味がありますね
自分が何をやったのかわかってないんでしょうか、それとも確信犯的に書いたのか、私は前者だと想像しています

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