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やっぱり

人間が生きていくには何が必要なのかを考えてください。
障害者が自立を考えていると支援者に相談すると必ず言われることがあります。生活をどうやってするのかと言う事すぐ言ってこられるのです。
生活なんて考えなくても出来ていたのです。実家にいれば家族がいるから、施設入所していても自動的に出来ていたのです。普通の人達は子供の頃から自分で勉強して来られたのです。遊んでいたら親はいつまでも遊んでいないで勉強しなさいと言われたり、朝起きて布団をたたんで、顔を洗いなさいと言われてきているのです。それが親のしつけなのです。重度身体障害者はそれが出来ないので、親がそれを免除してくれるのです。生活費がどのくらいかかるのか知らないで済んでいます。電気代や電話代やその他の必要費が生活費です。今の時代は法律によって障害者は守られています。日本の法律で障害者基本法や障害者虐待防止法や障害者差別解消法や障害者総合支援法があり、おまけに障害者権利条約があります。2006年からようやく国が障碍者を認めたと思っていいのでしょう。でも2016年障害者差別解消法が出来たけれど、神奈川県相模原市やまゆり園で障害者が殺傷された事件がありました。障碍者がやっと障害がない人と同じ土俵に立てたんじゃないかなと思ったに。どん底に突き落とされた気持ちになったのです。

あれかも障碍者の虐待は続いているし、障碍者差別も続いているのです。
あんまり法律が無かった時代と変わり映えが無いようにみえるのです。
駅にはエレベーターが付くようになったのです。障害者トイレが多目的トイレになったのです。低床バスやスロープが出てくるバスが走っているから車椅子でバスに乗車出来るようになったのです。UDタクシーで車椅子のままで乗車出来るようになったのです。外見のバリアフリーは進んでいますが、人間の本質のバリアフリーは相変わらずです。障碍児が普通の学校に行こうと思っても特別な支援がいるので特別支援学校に行ってくれと言われるのです
どうして普通の学校に特別な支援が出来ないのだろうか?それは普通の学校に障碍児を受けるやる気がないから特別支援学校に丸投げをしているのだろう。私は学校に行く事が良くも悪くもないと思っているのです。私は昭和生まれだから養護学校が全国的に出来ている時代なのです。あの時代だったから養護学校が出来たのです。特に地方の障害者は家族から邪魔にされて、生んだことが恥だという価値観が強かったです。今もそれは続いています。障碍児が普通の学校に入学を望んだら、普通の子供の親から反対署名を教育委員会に出していました。 だから国は障碍児を集めて教育させたら手取り早いと考えて養護学校を作ったのでしょう。障碍者の全国的な父母の会の陳情もあったので国がやっと動いたのです。
障碍者の父母は健常者なので、それが大きいかったのでしょう!

60年~70年に渡って日本は高度成長期でした。それで労働力が必要だったので男性だけじゃ足りないから女性も労働力にさせたいから共働きという意味が分からない価値観を社会に植え付けてしまいました。今もそれが続いているのです。家族が障碍者がいれば、誰かが付ききりで介護しないと行けなくならなくなります。だから国は障害者を集めて面倒を見たほうがいいと思い、土地が安い場所に巨大施設を作っていました。障害当事者の事を全然考えないでそういう施策でやっていました。
日本の社会は障害者を排除して出来ていたのです。2016年まで駅にエレベーターを設置する事を法律に書いています。
2003年の頃障害当事者が事業をすることが出来るようになったのです。
その前の時代の重度身体障害者は障害者年金と生活保護を受けて暮らしていました。最低限度の生活をしていました。ボロボロのアパートで部屋が傾いて、ボールを転がせれば傾き方が分かりました。冬は隙間があって雪が入って来ていました。夏はエアコンが買えなかったからいつも汗をかいていました。そんな生活を続けていると、それに慣れてくる自分がいました。
私も仲間と一緒に訪問介護事業所を立ち上げました。地元では障害当事者が介護事業所を経営する発想はありませんでした。山口県でも下関市と宇部市と周南市でした。今はどうかは私は把握していません。

私の今の生活は昔よりいい生活になっています。ヘルパーがいるから安心が出来ています。でも一人になりたいこともあります。
一人になったら不安になるのです。
今は何の不自由がなく生活をしています。





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