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中絶=優生思想

女性の権利として中絶に賛成している人が多いのです。でも優生思想を考えると簡単に答えを出してもらえたくないのです。
私は産まれつきの障害者です。女性の権利で障害が分かれば中絶をするでしょう。今でも出生時前検診をしてダウン症と分かれば殺している女性が殆どなのです。
自分の遺伝子が異常だったらみなさんはどうするのだろうか?殆どの人が殺す側になるでしょう。人間の深層心理に障害を否定しているのです。
街で車椅子の人を見たらどういう事を思うだろうか?「可哀想」「あんな人になりたくない」「みっともない」色々な気持ちになるでしょう。その気持ちが「優生思想」なのです。

人間の赤ん坊の成長は、個人差がありますが、おおむね以下のような段階を追って運動能力や発達が進みます。
首すわり、生後1カ月頃から少しずつ首すわりが始まり、うつ伏せにすると頭を持ち上げるようになります。
完全に首が座るのは、生後3~5ヶ月頃です。
寝返り、寝返りの時期には大きな個人差があります。一般的には生後5~6か月頃までに寝返りをします。
早い赤ん坊は、首すわり前の生後2~3か月頃から寝返りを始まることもあります。
お座り、生後5~6か月頃から少しずつお座りが出来るようになります。最初は支えがないと不安定ですが、徐々に安定してきます。
ハイハイ、生後8~9か月前後になると、ハイハイを始まる赤ん坊が多くなります。ただし、個人差があります。
つかまり立ち、一般的には生後8~9か月前後から始まります。早い子は生後6か月頃につかまり立ちをすることもあります。
一人歩き、1歳前後にあんよが始まります。最初は転んだりしゃがんだりしますが、慣れると長い距離を歩けるようになります。

私の子供の頃は旧優生保護法があって、不良な子孫の出生を防止し母性の生命健康を保護することを目的とした法律でした。この法律は、強制不妊手術、人工妊娠中絶の合法化、受胎調整、優生結婚相談などを定めていました。現在は母体保護法という名で残っています。
これを見ると不良の子孫とは私のような障害者ではないかと思ってしまうのです。日本にとって障害者はいらない存在でした。今もなおそういう風潮があるのです。
2016年に起きた相模原やまゆり園殺傷事件は障害施設の職員が19人の重度障碍者を狙って殺傷したのです。障害施設の職員がそんな事件をしたから私達は改めて障碍者は殺される側なんだと思いました。健全者は立場や環境が変われば、障碍者の存在が変わってくるのです。新人の施設職員が、利用者を人間扱いをしなくなってくるのです。それは施設と言う隔離とした空間で、コミュニケーションが分からない障碍者を相手にしているので慣れて扱うようになって雑な介護になったり、虐待行為をしたりするようになってくるのです。それはどこから出て来ると言えばやっぱり優性思想から出て来るのです。健全者の「愛と正義」はコロコロ変わるのです。1973年頃横浜市で母親が自分の我が子を殺した事件がありました。住民が嘆願運動をして、刑を減刑してくれと訴えていました。その子供は障碍児でした。どうして親が殺したのか、その事は考えないで刑を軽くしてくれと活動していました。
横浜市の重度障碍者達が嘆願運動に対して反対声明を出して、母親を普通の子供を殺した親と同じ刑にしてくれと言う活動をしていました。母親の言い分は「この子の将来を思って」と殺したらしいです。この言葉は障碍者が生きていても何もならないから子供のうちに殺した方が諦めが付くと思ったからでしょう。

日本の社会は、発育のデータから外れたらよそに追い出されてしまいます。
療育と言う名の下で分けられます。障碍があるので特別な支援・特別教育が必要だからと言って、特別支援学校が作られています。特別な支援や特別な教育とはどういう事なのだろうか?私達障碍者は特別な存在なのかな?私達障害者の身体にも赤い血が流れているし、胸の奥に鼓動が響いているのです。同じ特別な支援・特別な教育は必要なのだろうか?社会の中に当たり前のように障碍者が存在すれば、特別な支援・特別教育は必要にはならないのです。明治維新以前の日本では、障碍者が当たり前に存在していました。「落語」や古典芸能に触れたら分かります。
医療が進んでない時代は障害を持った赤ん坊は早く死んでいたのです。
昔の社会は出生時前検診がありませんでした。だからどんな赤ん坊が産まれて来るのかを知らないから産んでいました。産んでしまったら育てなけば行けないと言う動物の本能があるので育ていたのです。それが出生時前検診で奇形や障害が分かれば女性の権利として中絶をしてしまうでしょう。

私は女性の権利は認めるけれど、中絶を女性の権利としては認めたくありません。




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