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水の底にいる君へ


私の推し、歌って踊れて作詞までできるスーパーアイドルでありながら、自己肯定感がなぜかそれはもうべっこべこに低い。楽観的で能天気な私とは対照的すぎて、言いたいことがそれはもうめちゃくちゃにある。
こんな独り善がりでTLを埋めるのも忍びないし、代わりにここに書いて捨ておくことにした。


君へ、

言いたいことがある。
会いに行きたい、とすら思う。
でもこんな後ろ向きな気持ちを原動力に会うなんてちっとも素敵じゃない。私と君は真逆の人間で、君を1ミリも傷つけずにかける言葉を私は多分持ち合わせない。ついでに君に会う勇気もない。
君の弱さを目の当たりにして、私の言葉はまだ届かないのかと寂しくなる権利は、どこを探しても存在しない。



ただ思うことだけ勝手に残しておくことを許して欲しい。あ〜落ちてるなこれ、と思ったタイミングで記すことの全ては、私のために書かれている。ただし万が一君がこのnoteに辿り着いたと仮定して、いつ読んでくれても大丈夫なようにしよう。私は君を否定しないと約束する。

忘れないで欲しい。これは私の記録だ。







2023年8月18日。べたりと暑い夏の夜

毎週木曜日のラジオ配信が金曜に振替になった。
忙しいことは悪いことばかりではないと知っている。頑張ってることも知っている。2時間ほど前に後輩の配信にゲストとして出ていた。
前回のラジオは聖誕祭直後だったから、もうあれから1週間経ったのかと思うとちょっと引く。毎日毎日飽きもせずアーカイブ見るくらいにはまだあの時間に囚われている。内緒だけど、再生回数の50回分くらいは多分私だ。
ぬるりとコメントを読み進めていく声をききながら、疲れてそうだな、とだけ思った。
同じ時を共有しているはずなのに律儀にコメントをひとつひとつ拾っていくから、話している話題とその瞬間のコメントが何にも噛み合わないのがなんだか滑稽で、少し寂しい。好きなかき氷のフレーバーを聞いたせいでぽんぽん投げられる、はるか上に蓄積されたコメントを見てこれどうするんだろうと静観していたら、そのコメントたちを10分後くらいにようやく回収しはじめた時は笑った。ブラジルのビーチのことだってライブカメラでリアルタイムにわかる時代だってのに。

ふと思いついたみたいに本の話をし始めた。
心に刺さった言葉と、今日の後輩との配信の反省の弁を述べる言葉が電波に乗って聞こえてきた。自分は喋るにも句読点が多いから、テンポが遅くて嫌になるという話、もっと面白い話ができればいいのにという話。時間がきて配信はいつものように終わった。

本の中の「卑屈になるにも飽きた」という言葉が刺さったという話。それから、そんな日が自分にもいつかくるのかなぁ、という本音。

毎日聖誕祭のアーカイブを見続けていた私に、その様子はいつも以上に弱く感じられた。弱々しくいてくれるな、という気持ちと、本音を少しでもこぼせる場所が私たちの前であることがとても嬉しい、という気持ちはどちらも本物で余計に苦しい。
そんな寂しいこと言わないでよ、と書いた私の気持ちは君にまっすぐ伝わっただろうか。

だって私は、その日は永遠に来ないと思っている。


卑屈になること、は正しくあなたの一部で、だからこそ見えたもの、得たものがあるのだと私は信じている。私がそうではない人間であるが故に。隣の芝生は青いし、人は無いものねだりばかりするようにできているのは、最早種の生存本能だと割り切るしか無い。

卑屈になるのを飽きる、だなんて、それはもうあなたではない別の人間だ。そうじゃないか?エンゼルパイにマシュマロが入ってなければ、それはもうチョコパイなんだよなぁ。あなたはそういう人間だ、と言い切られることはきっと好きではないだろうけど、でももう何年も生きてたらさ、ちょっとは自覚してるところもあると思う。
多分、あなたが卑屈になるのを飽きる日がくるのだとしたら、それはきっと一度死んで生まれ変わるくらいの衝撃をその身に受けた時だけだと思う。それを生きながら得るってものすごい確率の奇跡に近いし、死んで、今の自分の何もかもを捨ててもいいと思えるほど、



あなたはあなたのことが嫌いでしょうか。



君の、好きな曲はなんですか。
お気に入りの映画はありますか、何を食べていると嬉しくて、どんな季節だと心踊りますか。お部屋に置くならどんな植物がいいですか、欲しいインテリアはありますか。何度も繰り返しみてしまうお笑いのネタはなんですか、行ってみたい街はありますか。どんな書き心地のノートが好きですか、ペンは何色が気分ですか。
好きなステージはどこですか、忘れられない景色はありますか。アイドルをしていて良かったと、思う瞬間はいつですか。


好きなものを思い浮かべて、それでもまだ、嫌いだ、と思ってしまうのなら、それはとても寂しいことだと思う。 





君の人生と切り離せない音楽の話を少しだけしよう。私に寄り添ってくれた3曲について、正確には2組のバンドのこと。

私にとって沈むこととは、水の中にいることだ。
今はもうほとんどないけど、昔はよく横になって丸まって音楽をききながら目を瞑った。光の届かない、底の無い水の中をゆっくり沈んでいく。沈んで沈んで、輪郭をなくしたその先で無いと思っていた水の底に辿り着く。水の底にそのまま横たわってじっと耐える。


胸の中の荒波に共鳴するみたいに。


やがて悲しみに暮れて、凪いで。


また規則正しく、波を刻むまで。





あなたがあなたであるから得られたものがきっとある、と私が信じているのは、卑屈であるからこそ持ち得るエネルギーがあると思うからだ。


私は楽観的で能天気で、だから諦めることがほんの少し得意だ。あの人がこんなこと言うの、そういう人なんだな。仕方ないねぇ。これもあれもできない、今の自分はそういう自分なんだな。仕方ないねぇ。
仕方ない、と思うことは他人にも自分にも期待をしないということだ。期待しない、だからありのままを事実として受け入れる。できない自分を受け入れるから、自分のことを嫌になっても嫌いにならない。めんどくさがりな私はそれと引き換えに、できる自分になるのにとてもエネルギーを要する。変わらなければ、と必要に駆られない限り、そこに停滞し続ける。変わらない、変われない、ということは時に人を悲しませる。
あなたがそんな人間ではないことが、私は好ましいと思うよ。ほら、他の生き方だって案外そんないいものじゃないでしょ?


あなたが卑屈でついでに負けず嫌いな人間であることを好いている一方で、できれば悲しい時間が少なければいいな、とも思う。
だからいつかの言葉のように、強くなることが弱い時間が少なくなることなのだとしたら1番素敵だな、と思うから、それを信じることにした。

あなたはあなたのまま、強くなれる。


聖誕祭の最後の曲の歌詞にある「素直になることはとてもあたたかい」というフレーズが好きだ。歌声含めて、すごくいいなと思う。陽之鳥、という曲のこともそう。あんな風に人の心に響く歌を歌えることは、間違いなく君が君として生きてきた積み重ねの結果だ。私はそれがとても愛しい。
私が言葉を尽くしてあなたが好きだと伝えるよりも、君に自分の好きなところを思い出してもらう方が沈んでる時は多分よっぽど効果的だろうから、ここら辺にしておこうかな。

全部全部私の我儘だから、君が背負う必要はどこにもないよ。


おやすみなさい。







2023年12月14日。風の冷たい夜。

2週間ぶりのラジオだった。
実は最初から聴いていたけど、こんばんは、とはコメントできなかった。夜遅くに帰ってきて、やろうとしていた家事を放り投げてぼーっとしていたところだったのでなんだかちょっと気が引けた。それだけの理由だった。


ちょうど1週間前の金曜日、横浜アリーナで先輩の卒業公演があった。OPAと、それからとても名誉なことにバックダンサーを務めていた。美しい9色のペンライトの海に囲まれてステージで頑張る君を見れたこと、とても不思議で信じられないくらい楽しかった。アンコールから先はずっと泣いていた。先輩方が卒業した実感は、まだない。


もう12月も半ばだね、という話からはじまって久しぶりだね、こうしてみなさんとお話しできるのが嬉しいです、という少し上擦った言葉。
間にクラシックメイド服の話(コンセプトチェキの衣装だった)をはさんだりして、それから、少し言い淀んで。喋りで伝えるのが、苦手だから。だからまぁ伝え方は色々あって、ブログとかね、そこにも書いたからね、よろしくお願いします。

ちょっとだけ、ちょっとだけ期待していたから寂しい気持ちになった。それがあなただ、ということは知っているつもりだった。人がそう簡単に変われないことも、知っているつもりだった。言葉にして伝えることから逃げること、4th singleのライナーノーツを思い出しながら、まぁ無理なものは無理だよなと思った。素直にね。私は君に望んでばかりだ。精一杯のあなたの気持ちがそこにあるのなら、私はそれを大切に読もう。あなたは言葉で上手く覆うのが得意だし、根本的に考え方が全然違うので咀嚼するまでに時間がかかるのは、うん、ごめんね。


アーカイブの話になって、実はこわくてまだ見れないということ。話せて嬉しいという高い声音に反して、色々思い出しちゃうからね、という声がとても遠くて、今日これを書こうと決めた。




結局、端々にあらわれる横アリ関連のコメントに引っ張られていくつか教えてくれた。

先輩の円陣動画をみて泣いたこと、ベースのかっこいい弾き方を研究したこと、バックダンサー紹介の振り付けは自分で考えて、でもちょっと不安で先生にもみてもらったこと。

全部あなたの愛ゆえで、それを直接知れたことが嬉しい。気持ちを吐露するだけが誠実の全てではないし、たとえ行動のひとつだって、こうやって知れたことでまた大切になっていく。結局誰も彼もあの金曜日からずっと抜け出せないままだ。だから言葉にすることはとても大事だと私は思っている。言葉にするとは、わけあって、たしかめて、かたちづくって、色をつけることだ。自分なりに、自分だけの。自分のために。決して忘れないために。



私は、あなたの愛ゆえの淋しさも悲しみも苦しみも、何ひとつ分かりえない。

私の我儘と意気地なしのせいで私はあなたと直接話す機会を持たないし、だからきっとあなたを励ますことも、一緒に分かち合うこともない。

それでも、あなたがその痛みと涙と素晴らしく美しい記憶を抱えて、ステージの上で生き続けることをこんなにも嬉しいと思う人間がいることを、刻んでおきたくてこれを書いている。





あなたの標は決して失われてなどいないし、
あなたの憧れは永遠にステージの上に在り続ける。
それを、忘れない限り。






君に寄り添う言葉が、この世界にありますように。

おやすみなさい。

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