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水を注ぐ、あるいは咲いた花の行方


 今週の金曜日の夜は、何もしたくない、が爆発しそうだった。行きたいところを考えてみた。プール、もしくは水族館。水の側にいたいと思う時は大抵だめな時だ。これが例えば、ミラーボールの下、みたいな場所ではないことを喜ぶべきかどうかはわからない。

 私の推しは、歌詞を書く。 新曲が発売されてから1週間後にライナーノーツが公開された。それまでの自分の解釈の浅はかさに途方に暮れた。考え方が根本的に違う、のはまぁ間違ってないと思うけど、そもそもの思慮深さだって違うのだろう。恋を考えた時に肯定感にまでたどり着くことは、多分私にはできない。もしくは彼にとってあの歌は恋の歌ではないのかもしれない。分かりえない、ことは恐ろしいけれど、私は同じであることに価値をあんまり見出せないタイプなので、そんなところも含めて私の推しだなぁと思う。
 初めて読んだ時、ほんの少しだけ涙腺が緩みそうになった。一体どれが本当のあなたか、どれもすべてあなたで、その全部をきっと好きになる。そういう肯定の愛を示してくれて許された気がしたから。というわけではなかった。書けるということは彼が自身に対してそれを少しでも許していることの証明のようで、それが嬉しかったからな気がする。草木に水をやれば花が咲くように、人は愛されることで愛し方を知るのだと思う。彼がそういう風に愛されているのだとしたら、それは私が望んだ姿でもあってなんだかとても都合がいいなと思った。それから、そういう風にしか思えない自分に少しだけ絶望した。彼が好きでいてくれる対象の中に自分を入れることを自分自身が許さない。線引きの仕方は性分だから仕方がないけど、随分と薄情なことだ。観測者、とはつまりそういうことである。

 バレンタインのことを、言葉以外で思いが届く素敵な日、と彼は表現した。私には言葉以外なにもないな、と思って心臓の奥が冷たくなる。そんなつもりなんて毛頭ないだろうに、あれこれひとりで好き勝手しておいて被害者面とは当たり屋もびっくりである。自意識がF1カーに乗って爆走している。コーナーで差をつけろ、じゃないんだわ。
 今年に入って、もうすぐ2人目のメンバーの誕生日だった。そういえば彼に向けては詠んだことがないな、と思いながら机に向かった。言葉が出てこなかった。そういう日もある。その矢先のアレで、まぁひとえにタイミングが悪かったということに尽きるのだけど、私の愛し方は果たしてこれでいいのだろうか、とそれからずっと頭の片隅で考えている。考えたところで変えられないし、どうしようもできないことは自分が1番わかっているのに。


君のこと大好きだって言うことが鎖じゃなくて羽ですように

偏頭痛,2022



 アイドル短歌に初めて出会った時に知った句のひとつ。私がここにいる間の立ち振る舞いの全てはこれに尽きるなと思う。言葉は祈りであり呪いだ。私は、私の言葉が彼と出会って、彼を少しでも変えてしまうのがこわい。自意識がマッハで暴走した上にえっぐい角度でコーナリングをかましている。と言われればそれまでだが、変わってしまってからでは遅い。変わることが悪いことではないだろうけど、彼は創作する側の人間なので、変わらなければ作り出されただろう失われたものが存在することになる、ということが、私はひどく恐ろしい。私の人生の推しは二次元なので、これまでもこれからも私の言葉を受け取ることはない。それにずっと甘えてきた奴に、急に責任を取れと言われても無理なのである。我ながら開き直りも甚だしいな。おもちゃが欲しいとさっきまで床に這いつくばり泣き喚いていた3歳の坊やも、目をまん丸にしてこちらを見つめるに違いない。こいつ、正気か?声にならない声が聞こえそうだ。そう、だから私のやることは全部、私のわがままなのだと思っている。何よりも怖いと恐れながら、それでもやることの中に優しさなどどこにもない。


 美しい花が咲くと信じて与える水の、甘さも量も注ぎ方も、何ひとつ正解がわからない。それでも、私の人生が楽しくあるために彼を好きになったはずだ。私の悲しさや孤独の理由にしたいわけではない。根が深くはるように、葉が茂るように、太陽に向かって伸びるように、咲いた花の枯れぬように、遥か遠くから私はこれからも水を注ぐ。いつか未来で失ったとしても、これが愛と呼べなくても。


 昨日の夜、十年来の友人が結婚すると知った。楽しい飲み会だった。今日の朝、ふと思いついて焼いたパンケーキはギリギリまずくはないけどすごく美味しいとは言えない出来だった。ベーキングパウダーが足りなかった。午後は都内で1番大きいユザワヤに行って、たいしてやりもしないのにノリでシロクマのビーズ刺繍キットを買った。無駄遣いしたなと電車の中でちょっと反省した。帰ったら明日のためにカレーを作るので、昼から豚角切を梅酒に漬けている。しめしめ。人生はこういうものの積み重ねで、どうにかこうにかバランスをとって生きている。いつか咲き溢れた花を一輪、押し花にして抱きしめながら生きることができる人生であったらいいな、と思う。

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