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「死んでもいい」と言える人生

朝のニュースで「イチロー選手引退」会見の映像を見た。

会見の彼の表情が いつもよりも少し柔らかいように思えた。
言葉を選びながら、でも表情はとても清々しかった。

本当のところは知る由もないのだけれど
「一流選手」であり続けることは重圧であったろうし
50歳まで現役でと自らに課していて、
日々の鍛錬を怠らなかった人だから
その日々からの解放を勝手に想っていたから。

印象的だったのは
スタジアムに残って声援を送り続けたファンに
カーテンコールのように登場して その声援に応えた場面と
その時の心境を「死んでもいい」と表現したこと。

そのあと「死にませんけどね」と付け加えたのも いかにも彼らしいが、
普段のイチロー選手にはありえないような言葉だったと思う。
現役引退の決断をした彼ならではの言葉だったんだろうとも感じた。

イチロー選手は30年を越える年月を、
努力と鍛錬を怠らないで妥協をしないで生きてきた。
その日々からついに開放されるときが来たんだもの。

スタジアムに集まった日本人、米国人、それ以外のひとも
マリナーズのファンも相手チームのファンも みんなが
イチローの功績をたたえ、声援を送った。
その声援にこたえる瞬間は 最高の栄誉に違いないじゃないか
あのイチローだって「死んでもいい」って言いたくなったって
いいじゃないか わたしは許す。(オマエハダレダ?)

それに比べて、わたしはどうだ。
わたしのようなヘタレは 努力をロクにせずに
ちょっとままならないことがあったらすぐに
「もーやだ死にたい」とか平気で言ってしまうが、
死んでもいいと言える人生か?
少なくとも、成し遂げなければならないことが あるんじゃないのか? 

イチロー選手は引退するけど
もちろん、鈴木一朗氏は死なない。
これからだって また違う場で輝き続けるんだろう。

今後の彼の活躍を見るたびに、
「あなたは今、死んでもいいと思えるほどの努力をしているのか?」
と問いかけられ続けるのではないかと思うのだ。

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