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過ぎて初めて自省する

トラブルや懸念事項のただ中にある時、誰かにそれを伝えるのが苦手だ。
たいていは解決した時になってから知人友人に共有をし、そういう時はしばしば、相談してくれて良かったのにと言われることもある。これは前にも言ったかもしれないが、手負いの獣のごとく、おのれのウィークポイントを晒したがらないのである。
…と書くとまるで友人諸氏を信用していないかのようだが、そういうわけではなく、むしろ自分を信用していないからこそ共有しないのだ。相談するハードルが高いと言ってもいい。何かしらを抱えて、一人では抱えきれないぞ、となったとしても、『まあ他人から見たら大したことないかもしれないから』としり込みしてしまうわけだ。要するに自意識過剰である。
実際、抱えている間は楽になりたいと考えている。解決するわけではなくても、誰かに話すだけでも少しは気が軽くなるものだ。誰かに話したいし書きたい、でもなあ、大したことではないしなあ。……と、ふだん大したことのない話をしこたま喋ったり書いたりしまくっているくせになぜか気後れするのである。あとは『むやみに心配させても仕方ないしなあ』と思うこともあるが。



これはトラブルでも何でもなく、本当に『大したことない』が何となく開示しなかった話。
少し前まで喫煙者だった。
友人によっては(ニオイなどで)気付いていた/知っていたかもしれないが、少なくとも同じく喫煙者の友人の前以外では目の前で喫煙を見せたことはほぼなかった。足掛け10年、ズルズルと止めてはまた吸ってを繰り返してはいたものの、私の喫煙サイクルは完全に習慣に依存しており、外出時は吸わなくとも気にならなかったからだ。
数時間喫煙しなくても平気、というのはたぶん他の喫煙者からすると理解しかねる感覚だろうが(少なくとも身近では誰の理解も得られなかった)、自分一人でいる時に吸えないと脳みそがソワソワして落ち着かなくなってもいたので、依存していなかったわけではないと思っている。喫煙者が帯同している時はつられてバカスカ吸ってもいた。吸わない人がいる場所で吸ったことが(ほぼ)なかったため、『吸ってもいい』習慣に入ることもなかったのだろう。思えば、過去に一時的にやめたタイミングもだいたい引越しの時だった。新居で新しく喫煙するまでは、その家で喫煙をするという習慣がインプットされないので禁煙できていたのである。まあ結局禁煙もできていなかったのだが。

禁煙した理由。
死ぬほど体調悪化しまくったからです。
学生の頃にメタルバンドのボーカルをやっていて、デス・ボイスを出しては幾度となく喉を傷つけてきたのもあってか、何年も前から喫煙のたびにえずくようになっていた。その上、調子に乗って吸いすぎた翌日には決まって扁桃炎を起こすようになってもいた。
とどめにチンチラが来て(主に砂のせいで)呼吸器に更なる負荷がかかったのか、去年秋から年始まで5回くらい喉を腫らした。何度目かわからない高熱と嚥下障害に見舞われたとき、さすがにやめるか、と思った。
肺がんリスクやら何やら、将来的な健康を考えているような奴はそもそも喫煙なんぞするわけがない。寿命が縮まるならそれはそれでどうでも良いと今でもそう思っている。ただ、命にかかわらない目先の体調悪化は、将来的な深刻な疾患の恐怖よりも余程うんざりする事項だった。あといまだに発熱外来が適用される社会なので、発熱するたびに諸々の検査を受けなければ受診できないのにも嫌気が差した。

まあそんなこんなで、今禁煙半年くらいになります。
別に隠すようなことでもないが、今更『わたし喫煙者で~』などと申告するのもおかしいので言わなかった(そして知らない情報をいきなり出すのも何なので喫煙にまつわる話題も何となく言い出せなかった)些事がこれです。
知り合いの何人がここを見ているかは知らないが、とりあえずスッキリした。やったぜ。
今のところぶり返しは来ていないが、禁煙を破る時はたいてい『脳が無性にニコチンを求め禁断症状を起こした』時……ではなく、『イライラするから何かのスイッチが欲しい』という逃避願望で再開することが多いので、日常の些細なあれこれでムカついた時にはだいたい誘惑されている。今日も新人に指導をしたら喧嘩腰で返されむしゃくしゃしていて、あ~禁煙やめちまおっかな~~!!という気分になったからこれを書いている次第だ。苦手意識があるのもあって余計にむしゃくしゃしてしまう。手軽な逃避先に依存するよりも根本的解決に取り組んだ方がよほど建設的かつ有益だろうあ~~禁煙やめちまおっかな~~~~~!!!!!
今回の話に触れる必要は一切ないが、喫煙者視点のネタの提供ならできるのでネタが欲しい知人がいればお気軽にお尋ねください。

画像は旅行先の新潟の魚市場です。
カワハギの肝の煮つけ、食べたい。