誠意をくれや
誠実でありたい。
そう言うたび、Vシネやアウトローものが好きな父親には「やくざみたいだな」とわかりにくいジョークを飛ばされるが、これは本心だ。私は誠実でありたい。たとえ誰かが不誠実であろうとも、はなはだしい不誠実を受けようとも、せめて私が誰かに何かを与えるときは出来る限り誠実でありたいと思っている。だって後ろめたくなりたくないもの。かつて、思春期だった私が憎悪し嫌悪した、不誠実な大人たちと同じ道をたどるなんてこと、絶対にしたくないもの。あと自分が真に誠実なら、他人に言い返されることがなくなるだろうし。
そんな利己的な理由で誠実でありたいと思っている。そして誠実であるためには、出来る限り自分にも他人にも公平でいなければならない。公平さとは理不尽さを排したものだ。いわゆるダブルスタンダードに嵌ってはならないし、吐いた唾を飲まないように(出来る限り)細心の注意を払ってもいる。100%誠実であるとは決して言えないが、おおむね誠実に生きたい、という願いの通りに動いている、と信じている。
表向きはなんとなくポジティブそうな話だが、そんな前向きな話をするつもりは毛頭なく、この性質があるがゆえに、ある心理傾向が生じているなあ、と痛感していることが最近あるのだ。
近頃、怒りが持続しやすくなった。
多分加齢にともなう一般的な変化のひとつでもあるとは思う。ホルモンバランスの変化かどうかは知らないが、世の中で怒っているのはだいたい壮年の男女だ。もちろん若年層や老人もいようが、経験則ながら傾向として、壮年の男女は何かと怒りを抱えている印象はある。
一般的な変化のひとつではあるが、けれども同時に私の中で、上の『誠実さ』は間違いなく怒りの持続性とつながりがあると確信している。
上の、誠実でありたい、という考え方は、大なり小なり多くの人が持っているものではなかろうか。人は自分の中の『誠実』、言い換えれば倫理に基づき、自分の倫理が許す範囲内で行動をするものだ。ごみが出た時、ポイ捨てをしたくない人はゴミ箱に捨てるし、ポイ捨てをする人であってもたいていトイレで用を足す。倫理は俗人化しているから、境界線は人それぞれではあるものの、自分の中の倫理観から大きく逸脱しないように人は行動するものだ。
その行動は最終的にはすべて自分のため(満足感や納得のため)ではあるものの、副次的に『誰かのため』になる場合もある。ポイ捨てをしないのは『ポイ捨てをした罪悪感を味わいたくない』からだが、自分以外の第三者にも利益のある行為だから、副次的に誰かのためになる。電車で席を譲るのは『自分より弱い存在が立っている気持ち悪さを解消したい』からだが、当然副次的に誰かのためになる。そして何より、誠実な行動は、気持ちいい。
身もふたもない偏った見方の意見ではあるが、私は人の誠実さを否定するつもりでこれを書いているわけではない。本来生物とは利己的であると思っているのでこういう書き方になってしまうが、発生のしかたがどのようなかたちであろうとも、結果的に利他的な行動なのであればそれは尊い行いである事実に異論はない。そういう、誠実なひとびとの善意にあこがれを持っているからこそ、私も誠実でありたいと願っているからだ。
話を戻すと、この『副次的に誰かのためになる』というのが裏目に出ることもあるのではないか——おのれの誠実にもとる不誠実をこうむった、それによって湧き出た怒りが中々収まらない時、ふとそう自省した。
さっきの話で言うと、目の前でポイ捨てされたとか、電車で困っている人が目の前にいるのに不遜な態度でどっかと座り続ける人を見たとか、そんな事象でもある。直接怒鳴られたわけではなく、べつに自分は具体的な不利益を被っているわけでもない場合でも、何となく怒りが生じて、それが尾を引いてしまうのだ。
『私は誠実であろうと努めているのに』『こんな不誠実さがあっていいのか』『不公平ではないか』、こういった怒りは鎮まることがない。具体的な矛先が存在しないから当たり前である。でも怒りは発散させなければならないから、とりあえず似たカテゴリの存在に矛先を向ける―—そんな人たちが嫌いで嫌いで仕方ないから誠実でありたかったのに、これでは本末転倒である。誰かのためになる、という副次的な利益を他人に求めてはいけないし、『誰か』が『自分』になってはいけない。そういった真に利己的なすり替えがあるから、矛先のない怒りが生じてしまうのだ。
まあ我慢し過ぎるのも狂いの原因になるので、ムカつくこと自体を我慢する気はない。ただ、怒りが持続して止まらないのが普通になることだけは避けよう、と思った。
この世にはびこる怒れる多くの人々のごとく、まぼろしの矛先を作り出さないようにくれぐれも気を付けなければならないな、と改めて居住まいを正した次第である。
何しろ、私はただただ誠実でいさえすればいいのでね。
画像はこの前行った佐渡の選鉱場跡地です。
ゲーミング仕様のライトアップが大変に愉快でした。