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悪質な傍観者

職場はいわゆる賃貸オフィスだ。給湯室にあたる箇所は共有エリアにあたり、原則賃貸者のみの使用となっているが実質誰でも使用することができる。
パートさんに給湯室へペーパータオルを置いても良いか?と聞かれた。なぜ私に聞くのか、いやまあ備品管理もなぜか担当していることになっているからなのだが。聞いてくれたのはありがたいなあと思いながら却下した。
私は原則他人が嫌いだ。まったく信用していない。備品の設置箇所が一つ増えるということは、即ち備品を散らかす箇所が一つ増えるのと同義である。既に今ある設置箇所ですらまともな使用ができていないのに、更に増やすなど見当違いもいいところだ。そうやって人は物を散らかすのだ。良く知っている。何しろ私自身がそうなのだから。私は他人をまったく信用していないが、それは私自身がまったく信用ならないからに他ならない。
信用ならないからこそ、物は集約して管理したいのだ。分散させればその場その場の省力化には成功するだろうし、自分ひとりで運用する場合に限っては補充に際する労力も自分ひとりが承諾すれば良いが、この場合は職場だ。パートさんが使うだけならまだしも、設置してあるとなればどうせ皆使う。何なら外部、他の階の連中だって使う。そして我が職場には備品を補充しようなんて頭の人間がほとんどいない。つまり補充という労力だけが一部の人間に押し付けられることになるのである。押し付けられるのはたとえばパートさんであり、そして私だ。
まったく論理的でも道徳的でもない、この権力勾配を、私はとても嫌悪している。そして既に職場に蔓延っている。しかし蔓延っているからといって増やしてもいい理屈にはならない、あなたは自宅であなたの嫌悪する害虫の卵を見つけた時に処分せず孵化するがまま見守るのか。
あとこれはごく個人的な嫌悪感の話だが、水場のすぐ近くにあるペーパータオルって不潔な感じがしてものすごく嫌だ。衛生感覚は基本的にガバガバな方なのだが、濡れた物/濡れていたかもしれない物に関しては嫌悪感がある。おそらく、小学校の掃除ロッカーで濡れたまま放置されヌルヌルになった雑菌まみれの雑巾を触ったせいなのだろうが、今だって誰かが使った後のビショビショのスポンジを触ってげんなりしてきたところだ。せめて水を切ってくれ。

とまあ、職場内外にかかわらず他人への不信感から共用部分に必要以上の何かを置くのを忌避しているのだが、かといってパートさんにそのまま伝えるわけにはいかない。
少し考えてから、「職場の皆のことはもちろん信頼しているが、他の階の人たちを信用していないから」という理由を添えて設置を却下したところ納得してもらえた。嘘はついていないわけではないがまあ80%真実を伝えているわけで、その点が説得力の向上につながったのだろう。やはり嘘には真実を混ぜると信憑性が上がるな。


最近、移動中にゲーム配信動画を観ている。生放送動画のアーカイブのコメント欄には、しばしば自己顕示欲の痕跡が残されているのだ。アカウント名やアイコンで工夫する人はまあよくいる範囲なので痕跡とまではいかないが、見つけてもらえるように連投する人、感嘆符を大量に付ける人、語尾に必ず特定の絵文字を付けて他の視聴者との差別化を図っている人もいる。その熱意の高さを眺めるのも楽しみの一つだ。だからもしこれを読んでいる人で上記の行動をしている人がいたとしてもそのままのあなたでいて欲しい。外野のその他大勢の一人として私は楽しませていただいている。
点眼薬の影響で昨日今日と画面をハッキリ注視することが困難なため、移動中でなくとも作業BGMがてらに動画を流すことしかできない。何もできてねえ~、とこういう時には反省したフリをするのだが、まあ特にここ一年ずっと何もしていないのだから今更だ。
来週、体調と私生活に目処が立てば反省を活かしたい。活かすか。活かそうね。