好きなバンドの話しかしてない

信仰。
信仰なんだよ。

突然何を言い出すのかという話だが、私の最も敬愛する存在の一つがTOOLというバンドである。
ここ最近はチンチラとの生活に追われ、日記を書くということすら脳内タスクからすっぽ抜けていたのだが、そんな折久々に彼らの曲を聴いたのが今日だ。生活に追われる日というものは生命としてある種充実した状態に他ならないが、情緒は緩やかに麻痺していく。その方が『生きる』ために有利だからだ。つまらない繊細さは生存において枷となり得る。
惰性的な生活が続いた時、私は決まってTOOLのアルバムを開く。つまりそれが今日だ。そして彼らの曲を聴いた時、ある言葉以外の形容が出来なくなる。それが冒頭の言葉である。

いや、いきなり『信仰』などと形容するとちょっとアレなのだが、どうか怖がらないで欲しい。TOOLはとても良いバンドなのだ。信者の言動が信仰対象の好感度を下げる、なんて事態はあってはならないことだ。別にTOOLそのものは信仰だとかそういうものを謳っているわけではないし、むしろキリスト教には懐疑的な視点がしばしば見受けられる。というか現代において一般的に常識と定義されるものの全てに対しておおむね批判的だ、いやこれ反論材料になるか?
言葉を重ねれば重ねるほど訳がわからなくなりそうなので、どこが好きかという話。
いわゆるプログレッシブ・メタル(ロック)に分類されるためぶっちゃけすこぶる聴きにくい音楽ではあるものの、初見のとっつきにくさを紐解いていけばそこにあるのは完全な構造美。とにかく彼らの音は、リズムは美しい。そして悲しい。混沌と秩序、怒りと祈りがそこにある、……と私は感じている。音楽の専門的な知識は皆無だ。プログレッシブというジャンルは超絶技巧が大前提にあり、つまりTOOLもまた音楽に詳しい人からすればテクニカルなアレコレを色々と評価できるバンドなのだろうが、そのあたりはさっぱりである。非常に主観的に、私は彼らの音楽に敬愛をおぼえているわけだ。
特に最新アルバムのFear Inoculum(和訳すると『恐怖の接種』みたいな意味と思われる。TOOLの操る言語は非常に難解で真意の1%も理解できていないがそれはさておき)には強い祈りを感じるのだ。もう本当最高。最高としか言えない。発表されてから4年、腐るほど聴いているが未だに語彙力が消滅し、『最高』『信仰』『祈り』以外の言葉が出てこない。TOOLを聴くことで私の第3の目が開くいやまた怯えさせる言い回しをしてしまった、うすい膜一枚隔てた心の奥底の燻る情緒が爆発的に膨れ上がる感覚があるのだ、その膜を突き破るほどに。TOOLの音楽はどれも傑作だと思っているものの、Fear Inoculumは少なからず彼らのキャリアにおける頂点をまた更新した傑作だ。TOOLはいいぞ。万人受けしない曲なのは重々承知なので軽率に誰かに押し付けることは決してしないが、心の中では全人類TOOLを聴いて信仰しろと思っている。いややっぱり言葉が強いな。信仰とは恐ろしいものだ。

狂信者の自我が簡単にまろび出てしまうので普段は意図的に話をしないように努めているため、ここで吐き出させてもらった。
日記とは一体なんなのか。いやもう今日はTOOLに感動した日記だよ。これからまたじわじわと書く習慣を戻していきたい、この記事もまた、起爆剤になれば良いのだが。下書きにやたらと書きかけが溜まってはいるので、手始めにそれらを消化していくのがちょうど良いかもしれないな。
ちなみに、Fear Inoculumも当然全曲好きなのだが、その中でも特に強い『祈り』を感じる部分は

TOOL - Invincible

ここの10:52からのパートだ。
一瞬の静寂を置いて、突如牙を剥くような凶暴なギターを初めとした楽器の音。相反した無機質無感情なボーカルの声。機械のような、念仏のような歌を終えるなりバックグラウンドはエモーショナルな変化とともに更なる盛り上がりを見せる。そして再びボーカル。同じ音程にもかかわらず、ここで発せられる声は紛れもない『慟哭』が潜んでいる。
更に言うと、このパートは8:00から始まるパートの発展系でもあるので本音を言うなら8:00から聴いて欲しい。8:00の静寂とともに紡がれるこのメロディがあればこそ、10:52からのクライマックスがより強く響くと思ってるので……。
(これらは全て超主観的な個人の偏った感想です)
今更だが、再生時間が13分弱あるのは仕様だ。ボーカルだけが音楽だと思うな。まあそれにしても長いのは事実なので、特にJ-POPに慣れている人たちにはやっぱりおいそれとすすめられないのである。でもそれでいいのだ。これはあくまで、私の信仰なので。