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短編小説:「ギョギョギョ」

(国語の授業で、泣く子なんて私以外にいないでしょ)
 私は、未だに飼っていた猫のダイが死んでしまった事から、立ち直れてない。
 去年、ダイが、ママのベッドの上で息を引き取っていた。
 肥大型心筋症という病気で、突然死を引き起こす原因の病気だと獣医さんに説明をされた。なので、体調が悪くなさそうなのに、急に死んでしまう事があって、ダイも兆候が無いまま、死んでしまった。パパとママと、家族三人で、その日は泣いた。
 ママは、天然なところがある人だから、こんなに大人って泣いていいの?と思うくらいに、わんわん泣いていた。意外だったのは、パパも涙を流して泣いていた事。パパが泣いているのを初めて見た。もっと冷静な人かと思っていたけど、まあ、あれだけ優しかったら、ダイが天国に行ったら、涙も出るのか。
 ダイは、私が幼稚園生の時から一緒だった。私がソファーで寝転がって本を読んでいると、私のお腹の上にダイが乗ってきて、凄く重かった。私がインフルエンザで寝込んでいる時も、掛布団の上に乗って来て、凄く重かった。足が大きくて、前足の肉球が柔らくて、ぷにぷにで。ダイは、本当に可愛かった。ダイの事が大好きだった。

 不覚にも、国語の『坊ちゃん』の授業で、先生が夏目漱石の他の代表作の題名をいくつかタブレット端末の画面に表示した時に、その中に『吾輩は猫である』という題名があって。
 『猫』という文字だけ。それを見たら、ダイを思い出しちゃって。気が付いたら勝手に涙が出てきてた。

 1時間目の国語の授業が終わると、同級生で仲の良い友達であるムギちゃんが、私の席に来て、言った。
「ねえ、タイちゃん。さっきの授業で、泣いてなかった?」
 私は、(見られたか)と思った。誤魔化せないなと観念して、
「うん。何かね。急に、ダイの事を思い出してさ」
と言った。それを言ったことでも、又、ダイの事を思って泣きそうになってしまった。
 ムギちゃんは、唇をぎゅっとしてから、
「そうかぁ。大好きだったもんね。だけど、その大好きだった気持ちは大切にしていいと思うよ。楽しかった思い出とか、寧ろ、沢山思い出して、一緒に居たんだって思えば、それが当たり前になって、いつか涙も出なくなるかもね」
と言ってくれた。
 私は、そのムギちゃんの言葉を聴いて、涙が出てきてしまった。それを見たムギちゃんは、一瞬驚いたけど、その後に、私をギュッとして、頭を撫でてくれた。
「おい!泣いてんのかよ!」
と大きな声が直ぐ横でした。
 ムギちゃんが私をハグするのを止めたので、私とムギちゃんとで、その声の主を睨みつけると、やっぱり浅田だった。

 浅田は、とにかく声が大きい男子で、目立ちたいのか何なのか、私には分からないけど、大きな声で他人を馬鹿にしたり、授業中も授業を妨害するような事を言ったりする。
 しかも、馴れ馴れしい。
 同じクラスというだけで、私たちは浅田と仲が良いという事はない。寧ろ、普段は会話すらしない。それは、私達に限った事ではなく、浅田は一方的に誰にでも話しかける。前にも浅田に嫌なことを言われたことがあって、それが嫌だと先生に相談した時に、先生は「浅田は、フレンドリーな性格だから」と言っていたが、私は納得できなかった。
 セラピードッグなどで、人懐っこい性格の犬をフレンドリーな性格と言うのは理解できる。
 犬の場合は、人間の言葉を喋らないから、患者さん等の傍に来て、犬の体を触らせたりすることで、人を『癒す』。
 それに、私が想像するフレンドリーな人は、人の輪に入りたいのに上手く輪に入れない人がいた時に、その人に話しかけたりして、自然と人の輪に入れてくれるみたいな、そんな人だ。
 私は、フレンドリーという言葉の先には、『癒し』があると思っている。
 だけど、浅田には『癒し』は無い。皆無だ。
 『馴れ馴れしい』のと『フレンドリー』は、全く別だ!

 浅田は、教室中に響くような大きな声で、
「ギョギョギョ~!泣くなよ~!」
と言って、教室に居る生徒達の視線が、私に集まるようにした。
(本当に、ムカつく!)
 私は怒っていたけど、それを言葉にしなかった。
 だって、そこで浅田に「うるさい!他人の気持ちを考えたら?」とか浅田に言っても、私が浅田を蔑むような感じになって、私が浅田と同じになってしまう。それもどうかと思う。それに、私が浅田に説教をするのも嫌。なんで、私が浅田を教育しなくちゃいけないのか?私が浅田の成長の手助けをするのは嫌!
 そんなことを考えてたら、涙は引っ込んでた。
 だけど、浅田は、このまま私が黙っていると、更に大きな声で何かを言い続けることが分かっているから、私は全然違う話を浅田にした。
「ねえ、浅田」
 浅田は、私の目を見て、
「何?」
と素直に聴いた。
「浅田は何で、私の事を『ギョギョギョ』って呼ぶの?浅田だけだよ。『ギョギョギョ』って呼ぶの」
と私が質問すると、浅田は、答えた。
「だって、ムギとかが、お前の事を『タイちゃん』って呼ぶだろう?『タイ』って魚の『鯛』だろう?だから、『ギョギョギョ』じゃん」
 私は、呆れてしまった。ムギちゃんも呆れた表情で、浅田の顔を見た。
(どっから、魚の『鯛』が出てくるんだ?)
 ムギちゃんが、浅田に説明した。
「タイちゃんの名前は、漢字で太陽(たいよう)って書くでしょ?だから、タイちゃんのタイは、タイヨウのタイなの!」
 浅田は、眉間に皺を寄せて、不満そうだった。そして、
「いいよ。俺は『ギョギョギョ』って呼ぶ。俺だけが『ギョギョギョ』って呼ぶの、いいじゃん」
と言って、逃げるように、その場から離れて行った。そして、浅田と仲が良い池田と森田のところに行って、又、大きな声で話していた。
「ギョギョギョが泣いてた。中2にもなって、教室で泣いてるって、ヤバくない?」
 それを聴いた池田と森田が私を見てニヤニヤと笑った。
 私は、腹が立った。だけど、ここで浅田達に文句を言いに行くのは、馬鹿らしいと思った。

 それから、半年が経った。
 あの時、私が浅田に文句を言わなかったことを思い出した。
(浅田みたいなタイプの人って、怒っていることを伝えなかったら、その人が怒っていないと思うのかな?)
 教室の窓の外から、隣の校舎の屋上が見えた。そこには、浅田が居た。
 浅田は、屋上のフェンス際に座って、タブレット端末を操作している。
(あれが浅田の授業スタイルか)
と、それを見て私は思った。
 屋上の出入り口の日陰になったところに、浅田の担当の大柄な中年の男の先生が座って、汗をタオルで拭きながら、浅田の様子を見ている。

 新しい制度が始まった。『適性適合学習制度』だ。
 何年も前から準備がされていたんだけど、ようやく実施されることになった。
 夏休みに入る前に、IQテストの図形のテストや短い文章のテストとか、専門のカウンセラーの先生の面接を受けた。夏休み中に、その検査の結果が、専門機関によって整理された。テレビのニュースでもやっていたけど、全国で一斉に行われたので、地域によってはトラブルが発生していたみたいだった。検査結果の整理だけでなく、苦情を言う保護者の対応が大変だったみたい。
 夏休み中、私達子供はのんびりしていたけど、大人たちは慌ただしかったみたい。
 だけど、最終的には、全ての都道府県で整備が間に合った。
 そのテストによって、一人ひとりに合った学習方法が割り当てられるようになった。
 と言っても、今年度は試験的な運用とかで、何か気になる事や、問題だと思う事があったら、生徒達からも行政に意見するようにと言われた。文部科学省のサイトに、生徒からの意見を集める入力フォームが作られた。そして、集められた意見はAIによって分析処理され、随時、国会と文部科学省とで話し合われる仕組みになっていて、実際に改善されるのには、少し時間がかかるとのことだ。

 その結果、浅田は、今までのクラスとは別の学習方法を受けることになり、隣の校舎で授業を受けることになった。浅田と仲の良かった池田も浅田と一緒だ。だけど、森田は、今までどおりで。浅田と池田が居なくなったら、他の男子と仲良くやってて、前みたいに意地悪な事をしなくなった。浅田と池田に影響されていただけだったんだと分かった。
 それと、少し不思議に思ったのは、浅田と森田が別校舎に移った後に、誰かが浅田達を馬鹿にしたりするのかなと思っていたけど、誰も馬鹿にするようなことは言わなかったこと。
 たぶん、私の中で、いつも浅田が誰かを馬鹿にしている印象があって、その『馬鹿にする印象』が、誰かが浅田達を馬鹿にするイメージに繋がったのかもしれない。
 それに、私もそうだけど、他の同級生達も、浅田と学校内などで会った時に、今まで通りに浅田と喋ってる。私の場合は、ほぼほぼ悪口を言われるんだけど。それでも「あっそう」と言って、そこで浅田に対しての悪口を言い返したりしない。
 今思えば、誰かの悪口の発信元は、だいたい浅田だった。浅田が他の生徒を巻き込んで、そういう時は教室中が嫌な雰囲気になっていたけど、最近は、そういうことが無い。
 それに、浅田みたいに、他の子と授業のペースが合わないケースとは違って、他の子よりも速いペースで勉強できる子も、いずれは海外みたいに『飛び級』になって、早ければ13歳になる年で大学に入学する子が出てくるらしい。うちのクラスの長谷川君も、たぶん、『飛び級』をするだろうな。個人的には、もう高校の勉強をしているらしい。この前、少し話をしたら、何年か前のイグノーベル賞で日本人の研究者が『哺乳類が肛門から呼吸が出来る事』を発見して受賞した事を情熱的に話してくれた。私は(肛門から呼吸?たまに散歩中の犬の肛門が少し開いてパクパクしているアレのこと?)とか思ったけど、それとはどうも違うらしかった。長谷川君は、もの凄く真面目に「僕は、手先が不器用だから外科の手術とかは向いていないけど。そういう新しい視点で、医療の可能性を広げる研究者になるんだ!」と言い切っていた。
 私は、研究者になることを宣言して言い切る長谷川君は凄いなと思ったし。自分が不器用で手術には向かないと自分の欠点も堂々と言えるところも格好いいと思った。
 長谷川君が『飛び級』をしたら、少し寂しいと思うけど、将来、凄い研究者になる人と同じ教室で勉強したっていうのは、自慢になると思った。
 だけど、それを一緒に聴いていた浅田は、長谷川君の事を「なんだよ。不器用なのかよ」と言って馬鹿にしていた。

 そうだ、この前、朝に校門で浅田と会った時も、私の新しい緑色のスニーカーを馬鹿にされた。それも悔しかったけど、浅田と話をしていたのを、浅田の今のクラスの子が、「おい!浅田!朝からナンパしてんじゃねーよ!」とか言って、からかってきた。浅田は、ムキになって、「そんなんじゃねーよ。こんな女、ナンパしねーよ!」と大きな声で言っていた。
 別に、浅田に好かれたくないから、浅田の好みでない事は、寧ろ、ありがたいんだけど、周りに沢山人がいるところで、それを言われるのは、凄く嫌だった。
 浅田と別れた後で、一緒に居たムギちゃんが「浅田のクラスって、常に、あんな風に悪口を言い合ってるのかね?私だったら耐えられないよ。浅田ってメンタル強いよね」と言った。私も「本当だね。私も、悪口ばかりの環境って無理だわ」と同意した。

 それから、浅田達の授業は、映画やアニメなどの映像を見る授業が多いらしくて、少しだけ、羨ましいと思った。
 隣の校舎の屋上を見ると、浅田は、屋上のフェンスに、もたれかかって、タブレット端末を操作している。あれが浅田の授業スタイルなのだ。
 浅田は、予定が組まれている授業をこなすよりも、その時に興味を持った授業をこなす方が、勉強が身に付くタイプらしくて。それに、タブレット端末だけで出来る授業に関しては、好きな場所でやっていいそうなのだ。
(浅田。暑くないのかな?)
 10月は、まだまだ暑い。季節的には秋なのだけど、地球温暖化のせいで、昔と違って10月は暑い。時々、浅田の事を見ている先生が、何かを浅田に話しかけているのは、きっと、熱中症を心配して、声を掛けてるのか。
 浅田のいる屋上の出入り口の扉が開いて、若い女性の先生が、浅田を見ていた中年の男性の先生に話しかけて、中年の男性の先生が扉に入っていった。どうやら、女性の先生と交代したみたい。
 すると、浅田は、さっきまでフェンスのところに座っていたのに、すくっと立ち上がって、女性の先生の隣にピタッと座って、何かを楽しそうに話しかけ始めた。
(浅田らしい)
と思った。

「17番、谷さん!」
と急に、大きな声で呼ばれてビックリした。
「はい」
と返事をして先生を見た。
「パワポ作成は終わったの?外が気になるなら、カーテンを閉めようか?」
と言われた。
「はい。パワポは終わりました。だけど、カーテンを閉めて貰ってもいいですか?」
と言うと、先生はホワイトボードの脇のカーテンの自動開閉のボタンを押して、カーテンを閉じて、
「パワポの作成が終わっていても、まだ時間があるから、見直しをやってくださいね」
と言った。
 私は、
「はい」
と答えて、PowerPointで作った自分の資料を見直した。

 因みに、『17番、谷さん』と言うのは、教科担任制になってから使われる呼び方だ。
 教科担任の先生は、1つの学校だけではなく、2つの学校の授業を受け持っている。それに、教科の授業を行うだけなので、生徒一人ひとりのパーソナルな深い情報には関与しない為に、基本的に生徒の氏名を覚える事は強制されていない。私たち生徒も、特に先生が名前を覚えない事に関しては何とも思っていない。なので、教科担任の先生は、授業が始まる時に生徒が登録した席の配置データを参考にしている。そこには、席の番号と生徒の名前が表示される仕組みになっている。
 しかしながら、下の名前の読み方が特殊なケースが多いので、基本的には、どの先生も、席の番号と名字を呼んでいる。

(そういえば、私って、誰も私の正しい名前で呼んでないんだよなぁ)
と考え始めてしまった。
 パパとママは、私の事を『天使ちゃん』って呼ぶ。もう、それが当たり前になってる。
 ムギちゃん達は、『タイちゃん』って呼ぶ。
 他の同級生たちは、名字で呼んでくるし。
 そして、浅田は、『ギョギョギョ』って呼んでくる。

「谷、太陽(それいゆ)さん!ぼーっとして、大丈夫ですか!」
と急に、先生にフルネームで呼ばれてビックリした。
 だけど、先生が『大丈夫ですか?』と言葉では言っているけど、心の中では『ぼーっとするな!』と怒ってるのが分かって、
「すみません、大丈夫です」
と言って謝った。

 授業が終わって、ムギちゃんが来た。
「タイちゃん、大丈夫?」
と言ってくれたものの、私は本当に、ただ、ぼーっとしてただけだったから、申し訳ない気持ちになった。
 ムギちゃんに正直に言った。
「あっちの校舎の屋上に、浅田がいて、何してるのかなって、思わず観察しちゃってた」
と言うと、ムギちゃんが、
「ああ。それは、気になるよね。浅田じゃなくても、屋上に誰かいたら気になるもん」
と同意してくれた。
 カーテンが自動で開いていく。隣の校舎の屋上を見ると、まだ浅田が居て、こちら側を向いて立っていた。
 浅田も私たちに気が付いて、
「ギョギョギョ~!」
と学校中に響き渡る大きな声で私を呼んで、大きく両手を振った。
 私とムギちゃんは、真顔で、浅田のそれに比べると小さく手を浅田に振って、何も言わずに、窓から離れた。

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