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ソジャーナ・トゥルース 8バウムフリーの晩年

 赤ん坊が6か月くらいだったとして、体重およそ8キロ。それをベビーカーでもおんぶでも抱っこひもでもなく、手に抱いて片道15キロの道を歩いて父親に会いに行くイザベラ。靴はどんなものを履いていたのか・・・ごめんお父さん、私だったら無理。でも、幕末に生まれていたらできたのかなあ。奴隷でなかったらおぶいひもくらいは使えたと思うけど、草履ばきで往復30キロかあ。おしめも替えないといけないしなあ。

 末っ子のイザベラが生まれたのが両親が40歳を過ぎたころだったとして、バウムフリーはこの時50代前半。今の感覚でいうと70歳は超えているようなおじいさんぶりですが、戦前までの貧しい人たちの人生50年ってきっとこういう感じだったのでしょうね。奴隷でなければ、これほどの困窮はしなかったでしょうが。

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 イザベラとピーターは、細長い終のすみかである棺桶に横たわる母の遺骸に対面することが許された。また、おのおのの主人のもとに帰る前、一人残された父親を訪ねることもできた。

 老いさらばえたやもめの嘆きは、荒涼とした島でフアン・ヘルナンデス(訳注:16世紀に南アメリカ大陸を探検したスペイン人航海士)についに「さらば!」と告げた人びとのそれよりもさらに深かっただろう。手足が不自由で目が見えないバウムフリーは自分の身の回りのことをするには年を取りすぎていたし、そんな彼の面倒を見てくれる人はいるとは到底思えなかった。

「ああ」と彼は嘆いた。「神さまはわしを先に召されるとばかり思っていたのに! マウマウはわしよりずっと賢くて、まめに動き回って自分の用事は全部することができた。だがわしはこんなに老いぼれて、体もいうことをきかん。わしは一体これからどうなるんじゃ? わし一人ではなんにもできん。子どもたちもみんないなくなってしまった。わしは一人ぼっちで、もうどうしようもない」

娘はその時のことをこう語る。
「もう帰ろうとすると、父は声をあげて子どものように泣きじゃくりました。父があんなわんわん泣くなんて! 今でもはっきりとあの泣き声が聞こえるようーーまるで昨日のことのように。かわいそうなお父さん!! 神さまに見放されたと思い込むみじめな父の姿に、わたしの心は血を流しましたよ。父がご主人の許しをもらってときどき自分に会いに来てほしいとせがむので、すぐさまそうすると約束しました」 

 子どもたちが去ると、アーディンバーグ家の人びとは忠実なバウムフリーをまだ憎からず思っていたので、それぞれの家族が順番で彼を預かることにした。そうして彼は、ある家に数週間いることが許され、そのあとはまた別の家というふうにたらい回しにされた。

 次の滞在先があまり遠くない場合、バウムフリーは助けを求めず、杖をたよりに一人でなんとか歩いていった。行先が12マイルや20マイル(20~32キロメートル)のときは、馬車に乗せてもらうことができた。こうしてバウムフリーが暮らしている間、イザベラは許しを得て父を二度訪ねることができた。三度目のときイザベラは赤ん坊を腕に抱えて12マイルの道のりを歩いたが、イザベラがついた時には父親は20マイルほど離れた別の家に向けて出発したばかりだった。それ以降、イザベラが父をアーディンバーグの家に訪ねることは二度となかった。

 最後にイザベラが父に会った時、彼はどの家からも遠く離れた道ばたの石にぽつんと座りこんでいた。数マイル離れた別の家に移る最中だった。髪は羊毛のように白く、目はほとんど見えず、歩くときは足をずるずると引きずっていた。しかし気持ちよく晴れたうららかな日だったから、一人でそうして移動するのも悪くはなかった。

 イザベラが話かけると、父は声でそれが娘とわかり、とても喜んだ。イザベラは自分が乗っていた馬車に父も乗せ、例の地下室に連れて行き、そこで二人は地上で交わす最後の話をした。彼はいつものように自分の孤独な身の上を嘆き、大勢いた子どもたちのことを苦し気に語った。

「みんな連れていかれてしまった。今ではだれもわしに冷たい水一杯持ってきてくれん。どうしてわしは死ねんのだ。なんで生きなければならんのだ。」

 イザベラは父親の境遇に胸を痛めていたから、父と一緒にいて世話をするためならどんな犠牲もいとわなかっただろう。イザベラはこういって父をなぐさめた。
「白人の人たちが言ってたけど、アメリカの奴隷はみんな十年後に解放されるんだって。そうしたらわたしがお父さんの世話をしてあげる。マウマウが生きてたときと同じように、一生けんめい世話するよ」
「ああ、イザベル。わしはそんなに生きられん」
「お父さん、そんなこと言わないでがんばって。私が面倒見るから」
イザベラはその時のことをこう振り返る。
「あのとき私はあんまりものを知らなかったものだから、父がその気になりさえすればいくらでも生きられると思っていたの。ほんとにそう思い込んでいて、これっぽっちも疑わなかった。それで長生きしてと頼みつづけたけど、父は頭をふってそれは無理だと言うばかりだった」

 バウムフリーの丈夫な体が、寄る年波や長年の重労働や死にたいという願いに屈する前に、アーディンバーグの人びとはジェームズに嫌気がさしてしまった。そこで彼らは、マウマウ・ベットの弟のシーザーと、妻のベッツィーの二人に暇を出した。自由にしてやる条件は、ジェームズの面倒を見るというものだった(シーザーのことを「義弟」と書こうとしたが、奴隷は法律上夫でも妻でもないので、義理もへったくれもない)。実際は二人も老いぼれて、自分の身の回りのことをするのが精いっぱいだった(長年シーザーはヘルペスを、妻は黄疸を患っていた)。

 当時高齢の奴隷は自由を手に入れるとたちまち生活に困ったから、二人の解放は本人たちよりも主人のほうに分がいい話だった。しかし小さいころから自由の身になることを希っていた彼らは、この申し出を喜んで受け入れた。ソジョーナは当時の無知な奴隷のことを「あの人たちは私の指ほどの知恵も持ち合わせていない」と語っている。

8バウムフリーの晩年 了 つづく

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