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ソジャーナ・トゥルース 9バウムフリーの末路

 映画『風と共に去りぬ』で黒人として初めてアカデミー賞を受賞(助演女優賞)したハティ・マクダニエルの役は、主人公の召使い(明らかに奴隷だけど、メイド服を着た世話好きのおばさんキャラで悲壮感なし)。舞踏会の前に「レディーのウエストは蜂のように細くなくては」と、お嬢様のコルセットをぎゅうぎゅう締め上げるシーンが印象に残ります。

 家畜以下の扱いを受けたり家族が離散したりという背景は出てこず、主従双方にとって幸せなプランテーションの生活という誤ったイメージを広めるとして、いまだに批判を浴びている役柄です。

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 隣人と遠く離れた、人気のない森の中に立つ粗末な小屋。自由を手に入れたわれらの友が与えられた援助はそれきりで、ほかのものはなにも期待できなかった。バウムフリーはこの時から、自分の最低限の欲求ですらほとんど満たされることがなくなった。彼の面倒を見ることになっていた二人も、自分たちが生活していくのに精いっぱいだった。

 しかも状況はさらに悪くなった。すぐベティが亡くなり、シーザーも間もなく彼女を追って「旅人が二度と戻らぬ小川」(訳注:シェークスピア作「ハムレット」からの引用)を渡っていったからだ。哀れなジェームズは以前よりもいっそう惨めで寄る辺ない身の上になってしまった。小屋に親切な家族はいなかったし、アーディンバーグ家の人びとが彼を呼び寄せることは二度となかった。孤独で目が見えず困りはてても、ジェームズはしばらく一人で暮らし続けた。

 ある日、ソーンという年配の黒人女性が小屋を訪ねてくれた。ジェームズは世にも哀れな様子で目に涙をためながら、「自分はノミがびっしりとたかって垢まみれだから、しばらく小屋にとどまって洗いものをしたり、繕いものをしたりして、もう一度さっぱりと快適に過ごせるように助けてほしい」と頼みこんだ。

 ソーンも自由の身になったもと奴隷だったが、そんな大仕事を引き受ける勇気はとてもなかったし、自分も病気になるのではないかと不安だった。そこで彼女があとになって語ったところによると、気の毒なのはやまやまだったがしぶしぶその頼みを断り、荒れ果てた汚い小屋の住人をあとにした。

 この訪問のあと間もなく、誠実な奴隷にして世間から見放された哀れな老人は、粗末な寝床でかちかちに凍死しているところを発見された。慈愛に満ちた天使がついに訪れ、ほかの人間に痛めつけられ続けた老人を、あらゆる苦しみから解放してくれたのだ。彼は困窮をきわめた人生の果てに、ほかのだれからも優しい言葉一つかけられることなく、一度も親切にしてもらうことなく、飢え、凍えて息絶えた。

 ジェームズの訃報が届くと、大佐の孫にあたるジョン・アーディンバーグは「ボムフリーほど穏やかで忠実な奴隷はいなかった。あいつにはいい葬式を出してやろう」と言った。心優しい読者のみなさんは、「いい葬式」と聞いてなにを思い浮かべるだろうか。答えは黒いペンキを塗った棺桶と、強い酒の入ったピッチャーが一つきりだった。

 生涯身を粉にして働き、あらゆるものを繰り返し奪われて、最後は見殺しにされた悲惨な人生に対する代償がたったそれっぽっちとは! 人はしばしば他者に不親切にしたり残酷なことをしたりしたことを、その人が死んだあとに罪滅ぼししようとするものだ。しかしジョン・アーディンバーグの場合、彼は一壺のペンキとウィスキーを、自分のどす黒い良心をすすぐ贖罪ではなく、自分の奴隷をなだめるアヘンのようなものと考えていたに違いない。

9バウムフリーの末路 了 つづく


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