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夜さん聞いて、昼寝したら苦しくて。

大体十五時から十七時。遅ければ十八時くらいまで気絶したように眠っていることがある。夜寝るのが遅い分、ここで睡眠不足を解消しているのだと言い聞かせているのに、その効果は寝起きの自分には全く届かないようで、寝落ちる寸前の自分への御呪いは無駄になってしまう。

目が覚めると、時間のわからない恐怖と視界の暗さに襲われる。そんなものはスマホを確認すればすぐに現実を掴めるのだけれど、胸を叩く激しいノックは止まらず焦りだけが秒針に継承される。これがトイレなら怒鳴られて終わるか、意味不明な恐怖に耐えるしかない。いやそんな話はいい。とにかく激しい鼓動に殴られて胸が割れてしまいそうになってしまう。

「起きていていい時間を三時間も使ってしまった。やばい、今から何しよう。何からしよう。何から楽しめば今日を楽しんだと思って夜眠れる?えーっと、何からしようか。まずは...」

と考えてしまって焦燥感が消えない。こうして覚め切らない脳を回していても当の時間は削れていくばかりなのだから、早く起き上がって呑気に大きなあくびでもすればいい。そうわかっているけれど、全身があまりにも重たくてそれどころではない。何か興味や興奮を煽るものに誘われないと、胸の激しいノックが止まらないのよ。

書きたいことも読みたい本も溜まっていて、洗い物だって溜まっている。お夕飯までの有意義な時間を過ごしたい欲求も溜まっている。それなのに、やっとのことで起き上がったと思えばとりあえずお手洗いに直行し、スッキリしたと思えば次はお手洗いに行くまでに目に入った気になるもの(散らかった物や物の配置)に手をつけはじめてしまい、また時間がなくなっていく。

背を伸ばすこともできず、全身のだるさと激しい鼓動に襲われて吐き気もあったというのに、無駄なことに生を出しているうちに消えてしまい、あっという間に夜に笑われているという始末。

子供の頃から夜とは仲良しだったはずなのに、気づけば眠るだけで心が苦しくなるような大人になってしまった。でも幼馴染って呼べるほどには夜に泣かせてもらったし、寄り添ったことも何度もあった。
「そろそろ夕方とも仲良くおなりよ」
と呆れられている。
「いや、知らんかった?朝とも仲良くないのよ」
「夜と朝と両方親友みたいなお人は耽ることをあまり知らん者が多い。それはええ。朝はええから、夜との幼馴染っていう関係は忘れたらあかんよ」
「関西におると時間まで関西弁なん?」

全然関係ないとこまで進んでしまったけれど、こんなことが書けてる今は苦しい鼓動も消えてます。十八時四十九分。

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