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vol.09 4月1日・記憶というツール

赤信号で車を停めると、目の前に山の連なりが広がっていた。山の景色を見るたびに、僕は故郷を思い出す。
やまのあいだファームに来て、もう1年になる。

生まれ育った富山は、片方に日本海が黒く広がり、その反対側には立山連峰が屏風のようにそびえていた。京都の亀岡で暮らしはじめて、戸惑ったのは、どちらを向いても山があることだ。富山では、景色を眺めれば、だいたいの方角がわかる。けれども京都ではそういうわけにはいかない。だからよく迷子になってしまう。グーグルマップがなかったら、たぶん大変なことになっているはず。

IoTとかAIとか、いろいろと便利な道具のある時代だけれど、アナログなものの方が良いなと感じることが多い。たとえば記憶と経験。
道に迷ったときに、道路沿いの看板に見覚えがあって、すんなりと目的地にたどり着けたことがある。優れた機械でなければできないこともあるけれど、曖昧な記憶や、ちょっとした経験が力を発揮することも多いはず。

だいぶ前に、デジタルはマッピングができないという文章を読んだ。本を読むとき、人は無意識のうちに、今、どのあたりを読んでいるか、あとどれくらいページがあるかを知っている。電子ブックではそれができないという話。
マッピング。今、自分はどこにいるのだろう。富山で生まれ育ち、大工として働き、京都に移り住み、畑を耕している自分の位置を測れるのは記憶という道具なんだろうか。

●ケンゾー

※本記事は「坂ノ途中・やまのあいだのダイアリー」からの転載です。

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