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日記(29歳6月7日)

すねてる、
って思う。

自分。

いろんなこと、書きたいこと、
描きたい絵、奏でたい音楽、
それらが

あふれ出るように動くからだと
ともに躍る心。

そういうときがあったことを思い出して
すねているのかな。

いまはとても
そんな気持ちとは遠いので。

過去の「自分」は、もう自分ではないや。
どうやって、何をしていたのか
わからない。
おもいだせない。

今における「他者」の方が
よほど仲間、という感じがする。理解ができる。

過去の「自分」を理解できない。
思い出せない こんな夜には。

少し自分を殴りたくなって。
痛めつけたくなって。

最近は、結局しないことが多いのだけれど。


自分を殴ることを、
文章や、絵や、音楽で、
できたら良いのに。

殴るよりももっと鮮烈に
自分の目が覚めるようなことを
書けたらいいのに。

書こうとして書けるものではないからこそ
覚まそうとして覚めるものではないからこそ
すてきなんだけど。

しおれているのは、
待つ心なのか。


潤いをなくして、
受容体がしおれているのかな。

受容体がしおれて、
潤いがなくなったのかな。

カサカサしてて。
まず水がほしいや。


ほしいほしいと言いつつ
日々、がぶりがぶりと飲む水が
体を素通りしてゆく。

そんな風に通り過ぎてゆくものたちを
たしかめて
ことばにして
だきしめる。

それができたならば。




そして手放して、
「またね。さようなら。」

そうやって抱き留めて、手放す一連の流れ




滞って
いろいろ凝っているのが
「今」

今という概念が、
もう凝り固まってしまっているな。

水の通った生き物ではなくて
乾いた標本だ。

もう一度深呼吸。
もう一度水をふくむ。

もう一度。

29.6.7,Mizuki

絵を描くのは楽しいですが、 やる気になるのは難しいです。 書くことも。 あなたが読んで、見てくださることが 背中を押してくれています。 いつもありがとう。