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偶然との向き合い方

連休の中日、非常に豊かな学びをこちらのシンポジウムで得ることができた。

東工大の未来の人類研究センターが主催するオンラインカンファレンスの一日目に参加した。創設当初から、理工系大学の中での人文系な視点から「利他」を考えるという、特徴的なテーマが興味深く、昨年も一部オンラインで聴講した。

一日目は、都市計画の現場と、移民・ホームレス支援のコミュニティの視点から利他について議論がされた。いずれも根底には2つのメッセージがあると感じた。

「偶然性が良き縁をもたらす」

誤解されるのは、「自分がしてもらいたいことを人にする」ことが利他だと思われがちなことだと思う。ただ、このことわざを読み解くと、人にいいことをしたんだから自分にもお返しが来て当然だよね、といったリターンの意図も見え隠れする。自分にとってメリットのある未来を意図的に作り出すということは、必ずしも相手が満足のいく行動を起こすとは限らない。私は○○したのにあなたが▲▲しないのはおかしい/べき、というフェーズになると分かりあえるのがなかなか難しい。
一方、分科会1・2のゲストの方々の取り組みは、ある意味自然に他者や対象に任せながらも、相手のよいところを相乗効果によって引き出していく、双方を尊重しているものの対し方の印象を受けた。お互い無理をしない、といったあり方だろうか。特に、分科会2の奥田さんのホームレス支援をお話しくださった中で「共感できないけど連想すること、それはそれとして理解すること」なのだと思う。自分にいいことが来るから相手に良くしておこう、ていうのは自分が勝手に引いた世界に相手を巻き込むことであり、相手と分かり合えなくて当然、という前提を無視している。完全一致はどんなに気が合った他人でもあまりありえなくて、時にはクロスしたり時には平行線になったりしながらも、相手が「在る」ことを認識することと、あまり自分の世界に引きずりこまず、偶然の作用を活かすこと。コンフォートゾーンから半歩でも踏み出して相手を観ることなのではないか。

「その偶然性がもたらした結果について傷つくことを恐れないこと」

もう一つのメッセージとしては、偶然性がもたらす結果について傷つくことを恐れないこと。コンフォートゾーンの外なのだから、自分にとって不本意の結果が来るのは避けられない。もともと、誰かと出会う、何かに触れる体験は不均衡なのだ。大事に思っていることも、培ってきた価値観もバラバラなのはしょうがない。だけど、その異質性を認識したうえで関わりつづけていくこと。
印象的だったのが、まとめでセンター長の伊藤さんがおっしゃっていた、昨今のダイバーシティを尊重する動きの中で、学生と話す中で極端に違いを怖がったり、配慮しすぎたりしている傾向がみられるということだった。相手から拒否されないか、どう思われるかが先に立ちすぎるあまり、自分の殻を防御しすぎてしまう。20代の前半ぐらいまでは、「分かり合える」と信じて疑わなかったけど、今は違って当たり前なのを受け止め、どこかでクロスするかもしれないし、しないかもしれない。それもご縁だよなあと思いながら日々を過ごしている。境界線を過剰に意識しないことが、利他の始まりであり、素敵な偶然を引き起こすのかもしれない。


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