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「淪落の人」ー時を忘れて打ち込むその先

気づけばつぶやき抜きでは久々のノート更新。当初予定していた約束がコロナもあり延期になったため映画また観たいなと思い立ち、向かったのが新宿武蔵野館。12月の「わたしは光を握っている」以来だ。(ノート)今回はアンソニー・ウォン主演の「淪落の人」を観に行った。(あらすじ、概要はこちら)彼をスクリーンで見かけるのは久しぶりだなと思ったら、昨年から続いている香港の逃亡犯条例改正に対する反対デモに応援のコメントをメディアを通して発信していたため、映画のオファーが断られたり一時的に「干された」状態だったようだが、今作の若手の監督を応援したいという気持ちもあってノーギャラでの出演という。

一環して「夢」を追うこと、そして変化することでの人間関係の出会いと別れが丁寧に描かれている。子どもの頃は卒業文集とかスピーチとかで皆の前で堂々というチャンスがあるのに、大人になるにつれて見えなくなってしまうこと。自分の能力が客観的に分かってしまうと言うこと自体に気後れしたり、却って分からなくなってしまう。でも、好きなことを続けていくうちに気づいたり、関わる人たちを通してふとしたタイミングで立ち返ることもある。夢、というと大きくなるが「時間も今置かれている状況も忘れて打ち込める、行動する積み重ね」なんじゃないかと思う。趣味を超えて、1日の生きる時間の大半を捧げたくなるような。
もちろん、実現したらしたで居心地がいい環境を離れたりしないといけないし、将来安泰に保障されているわけではない。映画でも、主人公が夢の実現の1歩を目の前にしながら、家政婦としてお世話している彼を置いてきぼりにするのではと、喜びから不安や躊躇で顔を曇らせるのが印象的だった。かなりリアルな心情だと思う。でも、その先の不安もいっそそのまま抱きながら、思い切って飛び込んでみたら、て背中を押してくれる、そんな映画だ。

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