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問われる客のふるまい

近所に、ロットで大まとめで売っている八百屋さんがある。営業時間は決まっているものの、在庫がなくなり次第終了(時には午前中で営業終了することも)するというお店だが、安くて量があることにメリットを感じて、近所の人たちや、飲食店の人たちが買い出しに来たりする。かご一杯は当たり前で、箱買いもざら。

熟れすぎ(≒腐りかけ一歩手前)だったり、逆に青すぎない?みたいな野菜だったり、普段スーパーでみかけるような均一的な品ぞろえとは対極な店だ。以前から、店の前を通るたびに周りを囲むように行列があるのを見るたびに、気になっていた。もちろん、規格外すれすれの品物を売ること自体は悪くない。実際食べられるのだし。ただ、スーパー、あるいは市場などだと、売る側が優しいというか、客側に歩み寄っているんだなと実感する。

たびたび利用している住人によると、客側の姿勢、どれが「ヤバくないか」を見極めんとする本能的な身構えが必要。大げさに言ってしまうと自分の身体にどのような食べ物が入るのか、入ってOKなのかを、邪念なしで目の前の野菜を見つめることなのだ。時には行儀の悪い客を「もう来なくていいから!」て語気強い口調で言って半分つかみ合いになっている場面もあったり、その店のやり方を理解しない客は無用、という強い姿勢が感じられた。私たちは、売上向上だったり、自分たちの食い扶持を稼ぐために顧客=お金を落としてくれる人に対して必要以上に「確実安心、品質高い」をセキュアに保障することがカスタマーサービスの理想的なふるまいとして教わることが多いと思うが、この八百屋のように自分たちのやり方に対して「嫌なら来るな」という客に媚びない姿勢を貫くことも、また違った商売のやり方ではないだろうか。

今日、買い物をして普段どれだけ無防備で食べ物を選んでいるか、いのちを繋ぐ直結のところをおざなりにしていたことを実感した。本能を呼び覚まされたような感触だ。

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