依存しない、だけど繋がっている関係
朝ドラ「おかえりモネ」を一週間遅れで先日、最終回まで観終わった。一貫して、風通しや空気が感じられるドラマだった。その中で強くで感じたことは、「依存はしないが人を信じる」姿勢だったと思う。人と暮らすっていいな、と心底思える描き方だった。
どんな人間関係であれ、嫌になってしまうのは根底に(こうしてくれるだろう)と依存/悪い方向への期待があるんじゃないかと思う。掛けられた方は甲斐性があるんだよとか、やりがいに繋がるんだよとか言う意見もあるみたいだが、ある意味性別役割分業みたいな前時代的な価値観で私は好きではないし、「らしさ」の枠組みに無理やりはまろうとしてしまう不幸な人間関係に陥ってしまう。でも、「いい人」「モテる人」などの指標として分かりやすいから、ハウツー的にこうあるべき価値観を目指して好きな人や大事な人に頼ってほしいという気持ちも分からなくはない。
でも、違う人間なんだから同じ時間でも過ごす場所や生活はバラバラになるのは仕方ない。主人公のお互い根を張る場所ややり方が違っていても、繋がっていると信じる心、お互い違う場所でもやれることをやっていこうという相手に過度に期待しすぎない姿勢が今の変化が激しい社会でしなやかに生きていけるコツなんじゃないかと思えた。特に、朝ドラ要素としてありがちのヒロインの恋愛だったり、友情だったりを、最初からラベル付きが予見できるような描き方をせず、未分類の存在が移り変わっていくように描くところがあったから、普段の近くも遠くも取り巻くあらゆる人間関係に近しいものとして無理なく見れた気がする。最初からこんなラベルを獲得しようとその人と関係を築くわけではないのだから。
よく、学生の頃は冗談で「友達は男性含めて多いんだけど、なかなか恋愛に繋がらないのはいい人認定されてるのかな~」なんて言ってたけど、異性関係に理想的だと勝手に思って、恋愛というラベルが得られないことを気にして苦しんでいたのかもしれない。最近は、というかモネが放送された今年から、別にそのラベルが得られなくてもいいや、名前がつかなくても良い関係が紡げればいいじゃないかと肩の力を抜いてマイペースに日々を送れている気がする。また、ちょうど「モネ」が放映され始めた4月のタイミングで、大学時代の友人やその友人のつながりで全くの初対面の人たちと一つ屋根の下に住む生活を始めたことも影響しているかもしれない。近すぎず遠すぎず、家族でもないのにあれこれ聞いたりすると余計なお世話になるし、かといってスルーして無関心すぎるとそれはそれでさみしいし冷たい気がする。距離感を測りかねているけど、おはよう・いってらっしゃい・おかえりなどの基本の挨拶は自分からしてるし、そこから人間関係は始まると思う。そのような広がりを日々の生活と、「おかえりモネ」は見せてくれた。
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