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成果・努力の安売りは冷笑と短絡的な「選択と集中」になる

自分的暮れの振り返りとして、28日・29日と日頃YouTubeで貴重な視点で時事を評論しているチャンネル主たちによる公開収録に行ってきた。

28日:「2022 TOP 10/最悪ヘイト王決定戦」(C.R.A.C.)
youtube→https://www.youtube.com/@CRACtube

29日:「クレナンデス」(「#ヒルカラナンデス(仮)」)
youtube→https://www.youtube.com/playlist?list=PLUeR1Qpyz7Tq2Wp_pr6dqx4VKU9Eot6qS

それぞれ、取り上げるテーマ・内容は様々だったが今年の国内外の政治的・社会的出来事を振り返る上で通底していたのは「日本人の冷笑と短絡的な選択と集中」ではないのかと思った。ウクライナ侵攻・安倍元総理の銃撃事件・それに伴う旧統一教会問題・東京五輪疑獄等、もう岸田政権のそれに対する無策ぶりを見ていると風前の灯でひっくり返りそうなものだがおそらくこのまま年を越しそうな感じだ。ぬるぬるとなんともいえない歯切れの悪さを保持しているものは有権者の諦め、もう何しても無駄という冷笑的態度な気がする。それと同時に進むのはスマートだと勘違いしていて、弱みを見せている短絡的な選択と集中だ。例えば、科研費だと将来国に役に立つ分野に有利になり、一方で人文系は無駄だと冷や飯を食わされていることだ。今こそ、軍事費増強していることが過去同じことが起こっていてどのような結末になったのか、歴史に学ぶべきなのに軽視してしまっている。

損得、技術の習得とは別に人間の性や行動について長期的な視点で学ぶことがお金にならないと切り捨てられ、企業にしても新卒でも即戦力を期待され、短期間での圧倒的成長を求められる。かといって成果に対してフェアな労働環境、対価は十分でなく時間外多くした方が偉いなど、昭和的価値観がまだ根強い。いわゆる家父長制が残っている中で他国に負けまいと一分一秒の競争をせざるを得ない状況なら、冷笑的な態度になってしまうのは仕方ないのかなと思う。抵抗する元気を奪われている状態だ。

このような状況はいつからだろうとよく考えるが、バブル崩壊後からだろうか。私自身は90年代前半の生まれなので物心ついてないのだが、第一次安倍政権以降、消費税増税など(2回も!)で実感している。要は労力の搾取で、成果を求めるのはいっちょまえなのに対する環境・考え方は前に進まない。社会的弱者に対しての当たりの声は強く、不利益だと声に出したら「あなたが努力していないからだ」「文句言う前に自分でやってみろ」とカウンターが飛んでくる。もう個人の努力で何とかできる範囲は超えていることを認めようよ。
障がい者やLGBT、在日外国人、「わきまえない女」たち等に対する非難はSNSでもデモや抗議運動の場でも強い。なんで彼ら・彼女たちに文句言うんだろう。その元凶作ったのは政治家・社会構造なのに。こんな周りは風当り強かったけど自分は一人でこんなにがんばったんだ(涙)という美談が好きな日本人らしい。

近年の第二次安倍政権からは更に加速して国民から搾り取れるだけ取って政府側のリターンはしょぼいorほとんど0,の事態が続いていることが私たちの成果を安売りしていることで、それに対して冷笑しても何も変わらないことを実感した。(今年の旅行支援とかその最たるもの。まあ私も一回滞在先で2万近くクーポンもらってぶっちゃけ嬉しかったけど)
個人的にも努力は安売りしちゃだめだ、ということは仕事でも学んだし、ベストは尽くすがその分の対価は求めていいんだということ、また私が消費者、ユーザー側だったとしてもそのことを理解してものを買ったり応援することが、社会を前に進めていくことを今年一番実感したことかもしれない。

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