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同志なのか、単におにぎり持たせて帰りを待っているだけの存在なのか

戦争、経済不況のあおりを最も直撃するのは社会的に弱い立場だ。例えば、女性・高齢者・子ども・障がいを持っている方などだ。その中で自分とかぶる属性として「女性」として、この今の状況が続いている中で生きることについて日頃考えていることをつらつら書いてみたい。後半、赤裸々な本音があるがご容赦ください。

私は、比較的性別役割分業を押し付けられず自由放任な家庭で育ち、中高は女子校だったため、この21世紀に女性差別?ありえないと思っていたが、それは共学の大学入学時に崩れた。
ショックなのは、あるサークルの新歓コンパで先輩の男子学生がしていた話。ネタなのだが、うちの大学の女子学生は「一年姫、二年はただの二女、三年ババア、四年は屍」といった言説があることだった。それが本当なら私は卒業するときには屍になるわけだ。そして彼らはやけに女子大の学生たちと付き合いたがる。共学の女性はとっつきにくいとかなんとかで。もちろん、彼らが全員そういったことを信じてるわけではないし(大学内カップルも多い)、自虐的なネタの域は出ないと思う。にしても、男女雇用機会均等法もあるし、なんでそういったことが冗談とはいえ言われるのだろうか?

先日、定期視聴している「ポリタスTV」にて、ゲストの深澤さんがウーマンリブのお話でおっしゃていたことを聞いて、そうかと合点がいった。

ウーマンリブを率いた、田中美津さんの「便所からの解放」という言葉に、ああそうなんだ、とがつんと頭を殴られた気がした。(動画2時間:05~から説明あり)
誤解を恐れずに言えば、「三女以上は云々」の話をしていた男子学生は周りの女性を「(優しくて、セックスに拒否せず応じてくれる)便所」として見ていたのかもしれない、ということ。他方、私が見ていた限り女子大の彼女たちもそういった視線を読み取っていたからか、言動や外見がいわゆる「男子受けする」ものになっていたりすることがあって、媚びた環境とは無縁だった自分として個人的に苦々しさを感じていた。
結局そのサークルは辞めてしまったが、留学の準備とか授業とのスケジュールできついというのはあったけど、辞めた動機を今振り返ると、同じサークルの同志ではなく、ケア要員としての視線を感じたからというのもあったのかもしれない。恋愛の時は性欲処理の相手、結婚すると優しくしてくれておにぎりを作って持たせてくれる母性を求める、となると女性たちの人権はどこに?となる。難しいことやらなくていいよ、表は俺たちがやるから、ていうのは一見優しいと思うかもしれないが、表でずたずたになって傷ついた俺たちをいやしてくれるよな?そのために存在してるんでしょ、ていう蔑視も甚だしい意識が見え隠れする。守るって何?癒すって?モノではないんですけど、て。

「便所」的な男性の意識を思い起こさせるのが、最近読んだ韓国の小説『僕の狂ったフェミ彼女』の中に描かれている。男性主人公の友人の結婚式で、披露宴のパートナーとしてフェミニズム活動をしている元彼女を連れて行った際、彼の友人たちの夫婦の会話がそうだった。(子ども二人目を旦那が欲しがっていて、とか)経済的なやりくりや家事・育児の負担など、一つのプロジェクトとしてどうするかを対等に相談して、実行することもなしにただただ母性に甘えている状況を彼女は見抜いていたのだ。帰省して親戚から言われたりする日常によくある会話の一コマだと思うが、改めてテキストに起こすと無意識に女性を「都合のいい便器」扱いしているんじゃないか、と気づかされた。

私もいわゆる結婚適齢期にいるため、親から結婚してもいいと思う相手はいないかとか言われたり、友人が将来結婚するだろう人と巡り合ってお付き合いを始めたりといった姿を見ながら、今のところ「便器」的な生き方をせざるを得ないリスクが大きく見えるだけかもしれないが羨ましいとも思わない。と話すと「そこは教育するのよ、女が」て返ってくることもたびたびあり、うんざりするという繰り返しだ。(既婚未婚問わず女性から返される確率が高い)
なんで義務教育もとうに終わった大人を、女性は一人の人間ですというところから教えないといけないのか・・とそのたび絶句するのだ。そこが田中美津さんが言う「母性」なのではないか。もう濫用に近いが。ヨシヨシしてもらって戦場に行くあなたは偉ぶっているけど洗濯もできないよね?って美談にされがちだけどそこは突っ込んでいきたい。

ここまで書いといて、女性も男性を「ATM」扱いしているじゃないかという指摘もあるし、それに伴う不和や暴力などもあるだろう。だけど、生殖機能の違いから、女性をモノ扱いすることが赤ちゃんの問題も含め、人間の命の尊厳にもより直結するから、あえて本音を書いた。昨今の環境問題やSDGsなどに隠れがちだが、女性が幸せになることは「誰かにとって都合のいい存在=モテること」じゃないことはそうだし、変わり者だとか、男勝り(という言葉も今の時世的に差別的だが)とか言われても、自分が無理なく自分として呼吸できて、侵略される心配なく生きていける環境はあって当然であること。そのために、私も他の女性に対しても「便器」的な見方でコミュニケーションしないことを心掛けていきたい。


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