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琵琶湖に沈む夕陽がきれいだったから

先日の京都滋賀の旅の目的は大きく2つあった。1つは東大寺大仏さまにお礼参り、もう1つは1年半前に神奈川から長浜に移住した恩師に会いに行くことだった。中学受験の時に家庭教師としていらっしゃってから早15年、前回はたしか大学卒業を間近に控えた頃だったからなんだかんだ節目ごとに会っている。

長浜に住まわれていることを知ったのは、去年友人と一緒に長浜に行ったことをFacebookに投稿したところ、先生から住んでいますよ、というコメントをいただいたのがきっかけ。日帰りですぐ滞在先の京都に向かってしまったため、次回はゆっくり近くに泊まって滞在しようと思っていた。

改札で落ち合った後、4年のブランクを全く感じさせることなく、近況報告から私が小学生だった頃の思い出話など花が咲かせながら、私は素朴な疑問を先生にぶつけた。「地縁もない長浜になぜ住もうと思ったのですか」と。一瞬間が空いて「琵琶湖に沈む夕陽がきれいだったから」とおっしゃった。長浜や県内の他のエリアを訪れていた際、帰り際に琵琶湖に真っ赤に沈む夕陽を見た。それを見た途端、とっさに「住もう」とピンと来た、とのこと。でも周りの友達に話したら、そんなことで移住したのと呆れられたというが、私にとっては全然「そんなこと」ではないし、何より話されている先生の表情がとてものびやかで、日々を楽しく生きていることがうかがえて嬉しかった。

勤務先に近い、家賃が安い…いろいろ住む理由はあるが、別に必要性がなくたっていい。素敵な夕陽が見れないよりも、見える場所にいたほうが心休まるし、もしかしたら夕陽のために毎日生きられるかもしれない。住まいは、人間の感性やこころの健康に大きな影響があるし、機能や便利さだけで人は選ばない。大家さんとは育てた野菜をいただく間柄で隣とも程よい距離で交流がある。好きな植物を育てたり近くの商店街のお店の人たちと仲良くなったり、時には電車移動しながら車窓から琵琶湖を眺めてほっとしたり、内心無駄だと切り捨ててきたものが心身を犠牲にしない本当の豊かさであることを、先生の暮らしから見た。

「琵琶湖に沈む夕陽がきれいだったから」。先生の言葉を脳裏にリフレインするたびに湖を赤々と照らしながら沈む大きな夕陽が思い浮かぶ。



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