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神格化と意思の確認ー国際女性デーで思うこと

Twitterのフォロワーの方でたびたび音声で時事・社会問題などを発信されている方がいらっしゃる。アウトプットの機会が多いからなのか、痒いところに手が届く言語化にはいつも舌を巻いている。

彼の直近のポッドキャストを聴いてみた。テーマはハラスメントと男女の不均衡についてだ。

タイトルにもあるが、福島第一原子力発電所関連の生業訴訟の一線に立ち続けていた弁護士、馬奈木氏が親しい関係にあった女性の依頼人に性的関係を持つよう、セクハラの実態があったことが一部メディアでも報道され、その話にも言及されていた。

以下、ここからはポッドキャストを聴いた私の感想になるが、このハラスメントがなぜ起こったか、男性側の心理的な側面は女性からだと分からないことも彼は話しており、目から鱗だった。(加害者本人が必ずしもそうであったということではないです)
尚、これから書く話は日本社会での異性愛のパートナー関係を想定していることをご了承ください。

○女性に対する神格化(アイドル化)

上述したポッドキャストの中でも話されていたが、女性の方から好意を持たれているらしいと感じたとき、男性側から自然と女性を崇め奉る(神格化)メカニズムが働くらしい、といったこと。女性である私にとってなかなかピンと来ないが、わからなくもないかも、といった感触だ。女性側からもそういった思いはあるが、一般人に向けるというよりも、アイドルや芸能人といった、実在の人物だけど現実生活送る中でおそらく接触する可能性はほとんどないだろうといった、半ばバーチャルな存在に向ける感情というのはよく聞くからだ。
つまりアイドルに向ける感情と一緒で、彼女が笑顔を向けたり、感じのいい態度で接してくれた時、好意があるのかもしれないとある意味錯覚するのは同感する。彼も指摘しているが、神格化というのは一方通行の片思い、どんな意思・考えを持っているかコミュニケーションを取っていない。でも、すり合わせするというのは緻密でかつ現実を直視せざるを得ないため、なかなか食指を向けづらい。真意を確かめた結果NOだったら、あまりにもやるせない、もうちょっと甘い時間過ごさせてくれよと感じるのも人情としてあるだろう。

逆に、女性から見た男性の神格化に似た感情が起こるメカニズムも何だろうと考えた。やはり、それは男性側が「意思を自在に言動に現わせる心身の安全性が女性と比較すると担保されている」だからなのだろうかとも思う。そして、突拍子もない行動でもそれがある意味能動的でポジティブな行動と世間的に解釈され「男らしさ」に転化していくのではないだろうか。自分から思いを発信、行動するのが何よりも男としての自信になる、いいことなんだと。
脱線するが、私は仏教徒で仏様を信仰し礼拝するが、それができるのは、極端なこと言えば仏さまたちから「朔日のちー、お前からの思いやお布施はいらない」と絶対言われない、思われてない、という安心感があるからだ。

○女性側の「モテテク」、意志表示の恐れ

はっきり客観的に、火を見るより明らかな好意だったり、あるいは拒否の意思がなさそうだと男性側から読み取れるとき、女性側はどういうことが理由なのだろうと考える。主にぱっと浮かんだのは2つ。1つは所謂「モテテク」で、気になる男性に対して明確に好きとか愛してるとか、意志を表明すると狩猟本能がある男性は追いかけられることに恐怖を覚えてかえって逃げられてしまう。だから、曖昧にして泳がせて懸想している相手に追いかけさせろ、というものだ(私もコイバナを女友達によくしていた20代前半、彼氏持ちの彼女たちからこのモテテクをよく伝授されたものだが違和感感じたまま実行したことはないし、しようとも思わなかった。Yes/Noをはっきり言わないのがなんで良いんだろうという気持ちが、とりわけアメリカ留学直後だったので強かった)。ただ、これが行使されていると第三者からでも分かるのはお互い力関係が割と平等だったり、ハラスメントが起きにくい間柄かと思う。
もう1つははっきり意思表示、特にNoの場合の時にそのあと起こりえるストーカーや嫌がらせ、性被害などのハラスメントの恐れがあるのも要因だろうと思う。再度私の話になって恐縮だが、数年前10歳上の友達付き合いしていた男性から突然告白されたことがある。恋人としては見ていなかったのだがとっさにNoといえなかった。なぜかというと、ドライブに連れてってもらって家まで送ってくれた時のことで、車中という極めて密室性が高い空間だったからだ。彼は冷静だしハラスメントまがいなことをするとは思っていなかったが、ほんの数%、そのようなリスクも本能的なところで察知していた気がする。後日LINEで改めてごめんなさいと断ろうとテキスト打つ前に、先方からいきなり告白してごめん、これからは友達でいようと先回りした返信があった。

結果ハラスメント0でよかったというのはあるのだが、意思の確認はなかったなと今になって思った。男性は夢想的、女性は現実的とモテテク的なこと書いてあるWebサイト等にはたびたびそうしたステレオタイプ的な記載が見られるが、あながち嘘でもないのかもしれない。例えば、夫が誰にも相談せずに仕事を何らかの理由でやめてきた、と事後報告として妻に打ち明けた際、なんで事前に相談してくれなかったの、というワンシーンが思い浮かぶ。つまり相手の意思を確認する中で自分の意見を述べる、相談する・してほしいといったのは、まだまだ日本社会において、男女の意思表示できる安全性の不均衡が理由なのかもしれないし、全員ではないと思うが、私も含めて何の担保もなしに意思を表明することの危険を、こびりつくように感じ取ることもないのではないのだろうか、とポッドキャストを聴いた後反芻する中で思った感想だ。

そして、3/8は「国際女性デー」。女性だろうと誰であろうと、一人の人間として意思を心身の脅威にさらされず表現でき、行動できる日本社会が一刻も早く訪れますようにと心から願って私も日々の生活を送る。

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