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Netflixで「ミッチェル家とマシンの反乱」観た

分かってても泣くよね、家族の絆の物語は。娘が欲しかったなぁ…(遠い目

内容はもうそのものずばりタイトルどおりで、ちょっと風変わりなミッチェル家がスマホ(AI)の反乱に立ち向かうSFコメディなんだけど、

日本でアニメ化するともう少し湿っぽくなりそうじゃない?この手のテーマって。

「ロボットの反乱」って言うとどうしても手塚治虫先生の「火の鳥」シリーズ、ロビタを想起する人が(日本人では)多いからかもしれないけれど。

いいです、とにかく明るい。陽キャラの集団が作ってそう。

結構テーマは社会派と言うか、誰しもがふとした時に考えることだと思うんですよね。

スマホ依存(PALの会社がほぼアッ○ルなのは笑った)、デジタルジェネレーションギャップ(インターネット使えないオジサンあるある)、他者(肉親含む)との関係性…

でも物語の根底に流れているのは「なんとかなる」じゃなくて「なんとかなるようにする」っていう精神なのかなって。

この辺が実にアメリカっぽい(偏見かもしれないけれど)。

「寛容である」ことが正義なんじゃなくて、「寛容であろうとする」ことこそがあるべき姿なのだと。

努力(する姿勢)is ジャスティス。

自身に与えられた役割に対して真摯であろうとすることこそが美しい。

皆がその姿勢を全うすればワールドイズビューティフルなんだと。

そんな空気感。

元気が出ます。

LGBTQ+に対する描写も見事で、ケイティのモヤモヤがラストシーンで晴れると言うか、私自身はあれ?ジェイドって男の子だったっけ?って思いました。そのあとのケイティのママ(本作中最強)に対する「私って病気に見える?」って台詞でハッとさせられました。ママもごく自然にそれを受け入れていて、まだまだ修行が足りないなぁ、と。

こういうのもとかく重くなりがちなんでしょうけど、サラッと描いているのが実にいい。

いろんな人(生き物)が当たり前に存在する世界の肯定、やはりエンタメこそそういう装置であるべきと思うわけです。

そうやって思い返してみるとモンチを犬とも豚とも食パンとも識別できなかったロボットたちは多様性を受け入れ(られ)ないことへのアンチテーゼだったのかもしれません。

2時間時間があるなーって人はぜひ観てほしい。

★★★★★

全人類に果てしなくオススメ。

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