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Netflixで「Do the right thing」観た

オープニングから出自がプエルトリカンのロージー・ペレスが、

Pubric Enemyの「Fight The Power」に乗って何かと戦うように踊りまくる。これがもうこれから始まることのすべてを暗示しているような気がするんだけれど、

なんというか、暗ーい気分になった。

「今観ておかなきゃいけない」って使命感に駆られて観たけど、

今アメリカで起きてることとまったく一緒じゃん。

(以下ネタバレ)

なんならラジオ・ラヒームが警官に絞め殺されるシーンなんか心の底から「マジかよ…」って言葉が出たもんね。ジョージ・フロイドとまったく一緒じゃん、って。

ずっと続いてるんだな、って。

やっぱりますます浅はかには語れないなって。

だからここでは人種差別云々、と言うよりも「なぜ融和できないのか」を映画の観想込みで語ってみようと思います。

前に司馬遼太郎の「アメリカ素描」を読んだときに心に残った、

「本当の意味でのアメリカ人は黒人なのではないか」ってフレーズ。

アメリカって国は「人種の坩堝」って言われるだけあって、いろんなルーツをもつ人たちがそれぞれに自分のルーツを語る。あるいは自分以外のルーツを語る。

でも、いわゆる「(広義の意味でのアメリカに住む)黒人(この呼び方はあまり好きじゃないけど)」は、アメリカ大陸以外にルーツがない。

もちろん元々はアフリカからつれてこられた黒人奴隷たちなんだろうけど、この映画でも然り、彼らがルーツを語るときって別にアフリカを語るわけじゃないのよね。

たとえば物語の大きな鍵となる「サルのピザ屋」。

サルはイタリア系アメリカ人で、自分のルーツ(ピザを含む)に誇りを持っている。だから店にはアメリカで成功したイタリア系の有名人の写真を貼っている。それはアル・パチーノだったりロバート・デ・ニーロだったりするわけだ。

かたやバギン・アウトは「(店主のルーツはともかく)今黒人街にあってメインの客は黒人なのに店に黒人の写真がないのはおかしい、マルコムXやマイケル・ジョーダンの写真を貼れ」って主張する。

彼らは「アメリカ(この場合は合衆国の)黒人」であることの誇りを主張するわけよね。あるいは「同じアメリカ人なのになぜ俺たちだけが」って主張と言うか。

そこに「ルーツであるアフリカへの憧憬」みたいなものはない。

「ここは今俺たちの国なのに、なぜ今俺たちがこんなにも虐げられなきゃならねえんだ。立ち上がれ!」ってことなわけでしょ?

司馬遼太郎はだからこそ「黒人こそがアメリカ人」って語っているわけだけれども。

むしろ彼らは「今このとき自分たちが置かれている状況に納得がいかないから牙をむけ」って主張していて、

対して差別をする側は「過去に俺たちはこうだったんだから文句言うな」って主張になってる。

この辺が理由なのかもしれないなーって。

そもそも論点がずれてるんだもん。融和できるわけない。

でも、これってどこでも起きてることじゃない?

大きく言うならすべての対立がこの論点のずれから起きてるんだと思う。

「俺はあの神を信じてる」「そうか、俺とは違うけど遠慮なく」

でいいところを

「俺はあの神を信じてる」「うるせー、神は世界に一人だけだ」

ってなっちゃう。

「俺はサッカーが好きだ」「そうか、俺はバスケが好きだな」

でいいところを

「俺はサッカーが好きだ」「サッカーなんて足でしかボールを扱えねースポーツ is クソ。バスケこそがキングオブスポーツ」

ってなっちゃうから揉める。

信じているものが強固な(と思っている)人ほど自分と違う考えを受け入れられない(受け入れたくない)んだろうと思うんですけど。

今日本でも起きてますよね。

○○警察みたいの。

あれも根っこは一緒でしょ。

すべての人にそれぞれの主張があるんだから、それをただ受けいれて「ああ、そうだね、そんな考え方もあるね」でいいと思うんだけれど、なかなかそううまくはいかない。

そもそも最後に流れる偉大な黒人指導者2人のスピーチすら、まったく対照的なんだから奥が深い。


「暴力は愛ではなく憎しみを糧とし、対話ではなく独白しか存在しない社会を生む。そして暴力は自らを滅ぼし、生き残った者の心には憎しみを、暴力を振るった者に残虐性を植えつける。」

ーマーティン・ルーサー・キング・ジュニア

「私は暴力を擁護する者ではないが、自己防衛のための暴力を否定する者でもない。自己防衛のための暴力は『暴力』ではなく、『知性』と呼ぶべきである。」

ーマルコムX


おっと、映画の観想から遠く離れちまったぜ。

直接的なメッセージを放つ映画だからもちろんすべての人にはオススメできないけど、今世界中で起きている「差別」と名のつくあらゆる事象の中で一番大きくて根の深い問題を、「アメリカ合衆国」と言うフィルターを通して表現している、そしてそれが30年経っても一向に解決されていない、30年前と同じことがまた起きているって事に対してしっかりと向き合って少しでも融和への道を探りたい、って人は観るべき。

あとスパイク・リー含め登場人物たち(特に黒人)のあのスタイリングは最高だからその辺に興味がある人も観ておこう。

ドジャースのユニフォーム(背番号がジャッキー・ロビンソンなのもポイント)、にカラフルな短パン(と時にはスパッツ)、足元はエアトレーナー3(ボー・ジャクソンが履いてた)ってブラックカルチャーとアスリートを最大限リスペクトしたスタイルはヒップ極まりない。

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★★★☆☆

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