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#サリ菓子 こと『宮廷楽長サリエーリのお菓子な食卓』刊行から半年経ったので2019年を改めて振り返る

 2019年は『宮廷楽長(カペルマイスター)サリエーリのお菓子な食卓』(春秋社)の刊行に代表されるように、サリエリイベントに明け暮れた1年だったのかなとふと振り返ってみて思いました。
  この通称 #サリ菓子 がどのような経緯で出版となったのかまとめていなかったので、刊行から半年を過ぎたので振り返ってみたい次第です。

宮廷楽長サリエーリのお菓子な食卓 - 時空を超えて味わうオペラ飯
 遠藤 雅司(音食紀行)/春秋社

モーツァルトの好敵手アントニオ・サリエーリを案内人に、総合芸術オペラの世界に花開いた音と食のコラボを楽しむ異色の文化誌。

 この本を出すことになった経緯は、本書のあとがきでも触れていますが、2018年8月↓に出演することになったこと。

【トークLIVEアーカイブ】いまだから語る!音楽家アントニオ・サリエリ #サリエリ生誕祭 【2018.8.16】

この放送の中でサリエリイベントやっちゃいましょう!と言ったことが本当になってしまったこと。

2019/2/3(SUN)「サリエリナハトフェスト」イベントレポート

などのサリエリムーブメントに自分も加わってしまったので、既知の編集者である春秋社の中川さんにお話を振ったのが、2018年10月のことでした。私自身サリエリを調べているうちにサリエリという人物が面白いこと、2つの食文化の架け橋となっていること、後世で有名となっている人物のコネクションが豊富などの観点からサリエリと食についてまとめた本は魅力的だと感じていました。

 また、自分の名前である音楽と食事で時代旅行と世界旅行を体験できるイベントを発信する「音食紀行」の初めての音楽に関する本を刊行できることもモチベーションの高まりとして大きかったです。

 そして、期せずして日本で唯一のサリエーリ伝を刊行している水谷彰良さんとお知り合いになることができ、復刊が決まった『サリエーリ 生涯と作品 モーツァルトに消された宮廷楽長(新版)』(復刊ドットコム)を記念したサリエーリトークショーを「サリエリナハトフェスト」と銘打ってイベントができたことが良かったです。

 なお、水谷先生にサリエリの料理の本を作る予定ですとお伝えしたら「なんと、無謀な!」という回答が…。なるほど、風車に向かっているドン・キホーテのカラ元気な心情のような心地となりました。もう一つ、水谷先生から助言を受けたのはサリエリの表記を「サリエーリ」にした方がよいと言われたことです。芝居の「アマデウス」も一貫して「サリエーリ」で、かつて「サリエリ」とした音楽雑誌(『音楽の友』『レコード芸術』他)も現在は「サリエーリ」に変更されているとのことで、この言葉に従い、サリエーリに統一することとなりました。

・企画が通り、執筆へ

 2018年12月、春秋社編集の中川さんから企画が通ったと連絡を受けたので、こんなツイートをしました。

 すっごい、適当なツイートをしていますね。このツイートで本当のことを言っているのが、1行目の【出版企画通りました!】だけです。反響は大きいのですが、RT数がいいね数を越えているので、ある意味、史実のサリエリを愛している方々からの反感を喰らったような晒されてしまったような状態だったのかも。。。反省しています。この時は、サリエリの人生を食のエピソードを絡めて描くということだけでした。

 2019年に入り、1~3月は資料集めと割り切り、資料を集めながらどういう具体的な方向性を決めていくことにしました。あと、上記にも出てきたサリエリナハトフェストの主催となったので、そちらを成功させるために動いていたというのが本当のところでしょうか。それの後始末などもあり3月までは執筆に身体が向けなかったというのが正直なところです。

 4月に編集中川さんと改めて打ち合わせをし、何を書くか書かないかを整理しようということになり、構成案をまとめてみることに。まとめたのがこちら。

<メイン題材>
1.北イタリア:レニャーゴ、ヴェネツイア(1750~1766)
 1-1 水
 1-2 パン
 1-3 砂糖 通称 「お砂糖へそくり事件」
 1-4 砂糖菓子:ザエーティ、ガラーニ、フォカッチャ、ピンツァ他
2.オーストリア:ウィーン(1766~1825)
 2-1 パスターテ、カパウン  通称「黒い犬事件」。
判明すればガスマンとの翌朝の料理メニューなど
 2-2 ホット・チョコレート  
モーツァルト:オペラ《コジ・ファン・トゥッテ》(1790年)より
作中に出てくる飲み物。舞台は18世紀ナポリのコーヒーハウス。コーヒーとコーヒーハウスから話を書き始めたい。
サリエーリとダ・ポンテとモーツァルトの絡みもまじえて。
 2-3 カフェ・ラテ (1797年ごろ)
      ウィーンにコーヒーが入ってこないエピソード
 2-4 ザッハトルテの原型ウィーン会議風チョコレートケーキ (1814,1815年)
 2-5 砂糖菓子:シュプリッツクラプフェン
     ベートーヴェンの会話帳該当箇所も引用。
<サブ題材> *メインの分量やバランスが悪い場合に追記。
・サリエーリ:オペラ《ヴェネツィアの市》の中に出てくる食エピソード(探す)
  モーツァルトは《サリエーリオペラ《ヴェネツィアの市》のアリアによる6つの変奏曲 K.180(173C)》を作曲。
  これがサリエーリと関わる最初の話なので。オペラ作中食エピソードがあれば。
  *グルックとモーツァルトのオペラ作中を出すので、サリエーリ作品でも出したい。
・マリー・アントワネットとサリエーリの食エピソード(探す)
・ガスマンの義娘とサリエーリの食エピソード(探す)
・ベートーヴェンとサリエーリの食エピソード(クラプフェン以外で。探す) 
・シューベルトとサリエーリの食エピソード(アイスクリーム以外で。探す)
・リストとサリエーリの食エピソード(探す)

 最初はイタリア編、オーストリア編と分けていました。この時に分かっていたのが、セイヤー著のサリエーリ伝{正式名称(Ignaz Franz Edler von Mosel: "Über das Leben und die Werke des Anton Salieri" (1827))}では具体的な料理名が書いておらず(水と砂糖と砂糖菓子を好んでいたことくらい)、ドイツ語版しかないモーゼル著のサリエーリ伝を掘っていくしかないという結論に達しました。

  ここで、心強い仲間が表れます。千葉大学のアントニオ・サリエリの伝記『サリエリの生涯と作品』講読ゼミ、通称:サリエリ読むゼミです。こちらの特任研究員大塚萌さんに監修の依頼をいただき、ドイツ語テクストの読解および解釈についての確認ということで了承いただきました。この依頼した時点でサリエリ読むゼミで精読しているのは43ページまで。残りはピンポイントで該当箇所を指定してそこを解釈いただくというものでした。それを受けて、モーゼルのサリエーリ食エピソードを見つけてくるというところから始まりました。

 当初の構成案の1-1 水、1-2 パン、1-3 砂糖がモーゼル伝の 通称「お砂糖へそくり事件」です。こうして拾っていくと次の4つがエピソードを読み込むことが分かりました。

・レニャーゴ時代 通称「お砂糖へそくり事件」
・パステーテとカパウン 通称「黒い犬事件」
・カフェコルラテ 通称「ウィーンからコーヒーが消えた日」
・ズッペ 通称「家族との団らん」

 そして、メイン題材サブ題材とあったものを思い切って、書かないところを決めて、書くことをはっきり決めることにしました。上記の構成案は次の通りとなりました。

第1章 1760年 レニャーゴの食卓 あるいはサリエーリ事件簿その1「クローゼットの中の砂糖」
第2章 1768年 《アルチェステ》の食卓 あるいはサリエーリ事件簿その2「黒い犬に気をつけろ」
第3章 1772年 《ヴェネツィアの市》とお菓子 あるいはモーツァルトからサリエーリへの返答
第4章 1784年 《ダナオスの娘たち》の食卓 あるいはマリー・アントワネットとサリエーリの練習三昧
第5章 1788年 家族との幸せスープの思い出 あるいはリウマチ回復祈願
第6章 1790年 《コジ・ファン・トゥッテ》のドリンク あるいはヨーゼフ2世、サリエーリ、モーツァルト及びダ・ポンテの四角関係
第7章 1799年 カフェ・ラテとヨーロッパ情勢 あるいはサリエーリ事件簿その3「消えたカフェラテ」
第8章 1799年 《ファルスタッフ》
の食卓 あるいはベートーヴェンからサリエーリへの返答
第9章 1812年 教え子シューベルトとの楽しきレッスン あるいはアイスクリーム食べある記
第10章 1816年 会議の終わり あるいはサリエーリウィーン生活祝50周年祝い、伝統菓子を添えて

 ほぼ、出来上がりのものに近い形となりました。1章イタリア2章オーストリアから本編10章にし、これで終わると奇麗すぎるのと映画「アマデウス」と毒殺関連との乖離が大きいため、ボーナストラックをつけることに決まりました。

初期案からの動きがこちら。

〇初期案「1-1 水 1-2 パン 1-3 砂糖」
⇒「第1章 1760年 レニャーゴの食卓 あるいはサリエーリ事件簿その1「クローゼットの中の砂糖」

〇初期案「1-4 砂糖菓子:ザエーティ、ガラーニ、フォカッチャ、ピンツァ他」

〇サリエーリ:オペラ《ヴェネツィアの市》の中に出てくる食エピソード(探す)
 
モーツァルトは《サリエーリオペラ《ヴェネツィアの市》のアリアによる6つの変奏曲 K.180(173C)》を作曲。
これがサリエーリと関わる最初の話なので。オペラ作中食エピソードがあれば。
⇒「第3章 1772年 《ヴェネツィアの市》とお菓子 あるいはモーツァルトからサリエーリへの返答

〇初期案「2-1 パステーテ、カパウン」  通称「黒い犬事件」
判明すればガスマンとの翌朝の料理メニューなど
⇒「第2章 1768年 《アルチェステ》の食卓 あるいはサリエーリ事件簿その2「黒い犬に気をつけろ」

この時は、モーゼルと水谷先生のサリエーリ伝から《アルチェステ》だとばかり思っていました。

〇初期案「2-2 ホット・チョコレート」
モーツァルト:オペラ《コジ・ファン・トゥッテ》(1790年)より
作中に出てくる飲み物。舞台は18世紀ナポリのコーヒーハウス。コーヒーとコーヒーハウスから話を書き始めたい。
サリエーリとダ・ポンテとモーツァルトの絡みもまじえて。
⇒「第6章 1790年 《コジ・ファン・トゥッテ》のドリンク あるいはヨーゼフ2世、サリエーリ、モーツァルト及びダ・ポンテの四角関係

〇初期案「2-3 カフェ・ラテ (1797年ごろ)」   
ウィーンにコーヒーが入ってこないエピソード
⇒「第7章 1799年 カフェ・ラテとヨーロッパ情勢 あるいはサリエーリ事件簿その3「消えたカフェラテ」

出版時には第8章 1810年となりました。すっかり、モーゼルの書き方(消えたコーヒーの話題のあと、段落変えてベートーヴェンへ)に騙されました。4か月くらい振り回された格好で、結局ウィーンでコーヒー禁令が出たのはいつなのかを調べて結論が出ました。1806年以降だと大陸封鎖令が発令されるので非常に書きやすくなったのでした。モーゼルめ…。

〇初期案「2-4 ザッハトルテの原型ウィーン会議風チョコレートケーキ (1814,1815年)」

〇初期案「2-5 砂糖菓子:シュプリッツクラプフェン
     ベートーヴェンの会話帳該当箇所も引用」
⇒「第10章 1816年 会議の終わり あるいはサリエーリウィーン生活祝50周年祝い、伝統菓子を添えて

<サブ題材> *メインの分量やバランスが悪い場合に追記。

〇マリー・アントワネットとサリエーリの食エピソード(探す)
⇒「第4章 1784年 《ダナオスの娘たち》の食卓 あるいはマリー・アントワネットとサリエーリの練習三昧

メインに昇格。マリー・アントワネットとの交流を書くことにしました。

〇ガスマンの義娘とサリエーリの食エピソード(探す)
⇒カット(見つからず)。


〇ベートーヴェンとサリエーリの食エピソード(クラプフェン以外で。探す) 
⇒「第8章 1799年 《ファルスタッフ》の食卓 あるいはベートーヴェンからサリエーリへの返答

実際には第7章。サリエーリとベートーヴェンの絡みを音楽だけにして、食の話はオペラ飯へと持ってくることにしました。クラプフェンはそのまま10章へ。


〇シューベルトとサリエーリの食エピソード(アイスクリーム以外で。探す)
⇒「第9章 1812年 教え子シューベルトとの楽しきレッスン あるいはアイスクリーム食べある記


シューベルトとサリエーリの食エピソードはアイスクリーム以外なかったというオチです。

〇リストとサリエーリの食エピソード(探す)
⇒なかったので、ボーナストラックでなんとかリストとの絡みを入れ込みました。

〇「第5章 1788年 家族との幸せスープの思い出 あるいはリウマチ回復祈願

こちらは初期案にはなかったのですが、サリエーリがスープを飲む描写はモーゼルに書いてあることは掴んでいて(水谷サリエーリにも記載あり)、自然な流れでいれるしかないよねと。

・沢木耕太郎さんの『深夜特急』の執筆経緯を読みながら

 現在、手持ちの資料がないため、沢木さんがどこで言ったものなのか確証がないのですが、昔読んだインタビューが、若いころに巡った『深夜特急』の物語を随分寝かせてから、「26歳の《私》」の物語を書こうとすると面白いポイントとそうでないポイントのメリハリが出来ていて、その浮かんできた面白いものを抽出し肉付けして書いたというものでした。

 今回の #サリ菓子 もサリエーリの人生とオペラ作品を食という観点からポイントとして浮かび上がらせようと考えました。水谷先生の『サリエーリ』のように全体を映すのではなく、何年の出来事とポイントを作ってエピソードを載せていこうというやり方です。

 サリエーリは映画「アマデウス」のように、モーツァルトのライバルという側面だけでなく、子供のころの音楽一途な面、ヤンチャな面、情熱に燃えた音楽家の卵、ウィーンのみならず海外でも評価された面、一線の音楽家から次代を育てる先生の面、しかしながら宮廷楽長としての矜持が垣間見られる面など色々なエピソードが詰まったある意味魅惑のおもちゃ箱のような心ウキウキさせてくれる人物でした。74年と9か月あまりの生涯をどの年代からも映し出せるように抽出していきました。

 1750年生まれのサリエーリを10代(1760年、1768年)、20代(1772年)、30代(1784年、1788年)、40代(1790年)、50代(1799年*このエピソードは1802年まで続くので、こちらに入れます)、60代(1810年、1812年、1816年)そして70代(ボーナストラック)とほぼ人生のあらゆる年代を切り取ることができたかなと思います。本当は20代~30代の音楽家として成り上がっていくところも入れたかったですが、食のエピソードが見当たらず。1772年(22歳)⇒1784年(34歳)と一気に跳んでます。しかし、メリハリはつけられたのではと思っております。

・タイトルについて

『宮廷楽長(カペルマイスター)サリエーリのお菓子な食卓 時空を超えて味わうオペラ飯(メシ)』となりました。私が適当に言っていた「砂糖はどこへ消えた」も捨てがたいと言われましたが、2秒で考えたタイトルになってもなんだかな~と思ったので、ちゃんと考えることにしました。

 サリエーリとお菓子は入れる。デビュー作『歴メシ!』から続くXXメシというものはサブタイトルでもいいだろう。おかしに、おかしい(Funny)という意味も含めたいので、中川さんには『サリエーリのお菓子な食卓』にオペラ飯をつけたものにしたいと話したら、上記のタイトルでまとめていただきました。宮廷楽長と書いてカペルマイスターと読む。食文化とサリエーリの人生を行き来するという意味合いから時空を超える。

 著者の案を残し、最大限に生かしていただいたので読者の皆さんはさておいて、著者からすれば100点満点の5億点くらいのタイトルになりました。とはいえ、長いので速攻で #サリ菓子 というハッシュタグは作りました。この戦略で、宣伝いこうということも決まりました。

・改めて刊行スケジュールを。

2018年10月 初回打ち合わせ
2018年12月 出版社編集会議で企画通過
2019年1~3月 資料集め
2019年4~5月 構成案提示と改善
2019年5~7月 初稿
2019年7月 料理撮影
2019年8~10月 第2稿
2019年11月 校了
2019年11月26日 刊行

 何を書くべきかで悩んでいたと思います。構成案をまとめながら、何を捨てるか(書かないか)を決めていってようやく書き始められたという感じです。そこまでが長かったですね。書き始めてからも長かったですし、色々史実に振り回された面もあり、関係者の尽力がなければ本書は出なかったと思います。特に編集中川さんがいなければ本書は陽の目を見なかったと思いますので、本当に大感謝です。

 そして、サリエリイベントなどで2018年から急速に接近した音楽ライターの白沢達生さんには本当に大感謝で、第3章の《ヴェネツィアの市》のイタリア語翻訳、第1~3章でのイタリアとフランス、ドイツのパイネタ(イタリアがパスティッチョ、ドイツ圏がパステーテ、フランスがパテ。当然イギリスではパイ)など細かいところで助けてもらいました。細部に宿った魂は白沢さんのお助けから生まれたといってもいいでしょう。

 また、中世ヨーロッパではいつもお世話になっている繻鳳花さん、古代世界では増井洋介さんにお世話になりました。アントニオ・サリエーリ(1750-1825)の本なのに古代や中世が登場するというのが自分らしくていいのではないかと思っています。

料理撮影

 togetterでまとめていたりします。

『宮廷楽長(カペルマイスター)サリエーリのお菓子な食卓 時空を超えて味わうオペラ飯』

 いつもお世話になっているばっはさんがフォトグラファーで登場。今回の料理写真の特徴は、自然光のみで撮るというものでした。これはヨーロッパの深い陰影の写真のように撮ってみたいというところや18世紀当時の光の当たり具合も考えて、歴史を考えつつアプローチしてみようというものでした。なお、コンセプトはシック&セクシー。洗練さと艶やかさ。いい写真いただけました。

 あと、今を時めくレンタルなんもしない人さんもかけつけてくれました。もとい依頼しました。激しく放置プレイしちゃって申し訳ないなぁと思ったり。楽しんでくれたようで何よりでした。

各章の雑感と特徴

第1章 1760年 レニャーゴの食卓 あるいはサリエーリ事件簿その1「クローゼットの中の砂糖」

 サリエーリ事件簿その1。モーゼルで出てきた若き日というかアントニオ少年のレニャーゴでの幸せな日々。エピソードについては、サリエリゼミ等でも既にサイトにアップされており、史実サリエリに詳しい方々にとってはある意味ミミタコでああ、アレねと言われるもの。しかし、水谷先生の『サリエーリ』には載っていないのですし、日本語訳として載せるのは面白いだろうと考えました。そもそもこの本、料理本ですし。料理はパン・トラヴェルソとパナダ。ヴェネツィア共和国の全粒粉パンとパンのスープをご紹介。個人的にトラヴェルソという単語は古楽の人にとって運命的なものでこれしかないというものでした。個人的にはお酒の話とヴェネツィアにおける砂糖の話を入れ込めたのが良かったです。

第2章 1768年 《危ない夜》の食卓 あるいはサリエーリ事件簿その2「黒い犬に気をつけろ」

 サリエーリ事件簿その2。水谷先生の『サリエーリ』にも載っていますが、モーゼル完全版の日本語訳を載せました。「黒い犬事件」は何で起こってしまたのかとどのオペラ作品での事件だったのか。これに尽きます。最初は《アルチェステ》だと思ったのですが、このオペラ最後まで観ても、料理シーンが出て来やしない(涙。中川さん白沢さんチームで《危ない夜》ではないかということで掘り進めていったことで、まずオペラ作品が判明。続いて、なんでこんなことをしたのかを考えました。長考する事3か月。一つの推測を立てることができたのですが、この推理でチェックメイトしていいのか考えに考えた結果、当局は大阪に飛びました。

水谷先生の講演会で講演前の先生を捕まえて、これでいいかを確認し、そのまま筆を進めました。《危ない夜》の食卓は難産でしたが、サリエーリの面白さが詰まっているので、この章もうまい事着陸できてホッとしています。

 料理はパステーテとカパウンしかないですね。やらかし事案の料理模型。当時のウィーン料理としてここに登場。

第3章 1772年 《ヴェネツィアの市》とお菓子 あるいはモーツァルトからサリエーリへの返答

 モーツァルトとのファーストコンタクトが本章。とはいっても、直接会ったわけではなく、作品を通してのコミュニケーションというのが音楽家の面白いところですね。この章の主役はオペラ作品。《ヴェネツィアの市》のリブレットを入手し、第1幕・第1景から食描写が出てきているので、これも本邦初で白沢さんに訳していただきました。

 パスティッチョとコンフェッティから蠢いていくヴェネツィアのお菓子の歴史とコンフェッティの古今東西の変遷。金平糖とドラジェが同じルーツを持つだなんて考えるだけでも面白いです。ここぞとばかり、サリエーリの本なのに井原西鶴や織田信長を出していくというのはこの本だから許されるだろうなと食の歴史についてはアクセル踏みっぱなしで突き抜けました。

 あとはザエーティを紹介できたのも良かったです。作っている時はハッピーターンが頭をよぎります。なんででしょうね。

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コラム ヴェネツィアのアマデウス~モーツァルトの食卓1~

ヴェネツィアと来てモーツァルトも登場したので、幕間としてモーツァルトのヴェネツィアでの食エピソードを挟んでみました。やっぱり、サリエーリもモーツァルトもどちらも愛でなければいけませんね。情報が少ないサリエーリに比べ、モーツァルトの食エピソードは豊富にあるので展開はしやすいですね。


第4章 1784年 《ダナオスの娘たち》の祝宴 あるいはマリー・アントワネットとサリエーリの練習三昧

 サリエーリ初フランス訪問での大役。私の作曲家サリエーリのパリ公演!期待と不安で爆発しているヨーゼフ2世からのマリー・アントワネットの支援が直接的過ぎて最高です。ヴェルサイユ宮殿に3度呼んで、ダナオスのリハをやるなんて!そこにシビれる!あこがれるゥ!というものです。

 二人の食エピソードは当時、マリー・アントワネットがはまっていた田舎風生活とプチ・トリアノン北端の村里(アモー)での楽しみから持ってきました。イチゴのシャーベット。作ったらとんでもなく甘かったです。イチゴと砂糖の分量が同じという。当時のイチゴと現代のそれの甘味の乖離を実感しました。

 あとは、《危ない夜》《ヴェネツィアの市》と続いたオペラ飯の世界をここでも紹介。《ダナオスの娘たち》の舞台が古代エジプトだったので、これ幸いとばかりに古代エジプトの宴を敢行しました。食のほうは手綱を緩めずフルスロットルで突き抜けろとばかりやらせていただきました。

コラム 「パンがなければ…」~マリー・アントワネットとパン~

 期せずして、マリー・アントワネットも本書に登場してしまったので、これでデビュー作から3回連続マリー・アントワネットが登場するという。無意識的なのか意識的なのか、彼女への想いをつづることになるという。

 パンがなければの話とマリア・テレジアの手紙でのマリー・アントワネットの感想の対比が面白いと感じたので、その方向で書きました。 

第5章 1788年 激務のあとの癒しのスープ あるいは家族との幸せな思い出/リウマチ回復祈願

 第5章が一番早く執筆に着手できた章でした。思い出のズッペはズッペとしか紹介されていなかったので、当時のウィーン料理書にフランス、オーストリア、イタリアスープが載っていたのでこれ幸いとばかりに3品出すことにしました。ここも水谷先生の『サリエーリ』で出てきますが、改めてモーゼルのドイツ語を読み、それを日本語訳してこなれた形に直すことで落とし込みました。

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 5章を書いて面白かったのがダ・ポンテですね。台本作家の一年の動きとドタバタ珍道中(プラハからのウィーン大返し)は書いていて楽しかったです。ある種のオアシスでした。

 CDも色々出てきましたので、《タラール》と《アクスール》の作品の違いを楽しむということも出来てきますのでいい時代になったなぁと感じます。

コラム 酒と煙草とコーヒーと ~ロレンツォ・ダ・ポンテの食卓~

 ダ・ポンテコラム。ここも楽しんで書きました。調子いいこと言ってるな~と史料読みながら、まとめました。1年間に3本の台本を書くことはそれほど多忙ではないという意見もいただきつつも、3本同時制作というのはなかなか難儀ではないのかと思いながら、ダ・ポンテの愛すべき行動を堪能した感じです。

 あと、どうでもいいことかもしれませんが本書ではセビーリャが何度も出てくるので、食文化的には避けても通れない都市なのかもしれません。

第6章 1790年 《コジ・ファン・トゥッテ》のドリンク あるいはヨーゼフ2世、サリエーリ、モーツァルト及びダ・ポンテの四角関係

 個人的に友情・努力・勝利を感じさせてくれた四角関係の最終仕事。《コジ・ファン・トゥッテ》の制作過程でのそれぞれの相手へのパス。そしてゴールを決めたモーツァルト。そして作品に出てくるキーとなる飲み物のお話。うーむ、この章も楽しく書けました。想像以上にダ・ポンテの愛すべきキャラクターに楽しませてもらった形です。

 チョコレートの歴史を追ったのとイタリア各都市とウィーンでのチョコレートの価値の違いなどチェックすべき項目を潰していった章となりました。サリエーリとモーツァルト。もうここで、ガッチリ握手だよね~と思いつつ書いてます。

コラム ホットチョコレートの思い出~モーツァルトの食卓~

 このコラムでモーツァルトはお役御免なので、しっかり前章でのチョコレートとモーツァルトのエピソードを紹介しようと思いました。けっこう、エピソードもありましたね。モーツァルト研究が花盛りになる由縁を味わった心地です。

第7章 1799年 《ファルスタッフ》の食卓 あるいはベートーヴェンからサリエーリへの返答

 ヨーゼフ2世、モーツァルト、ダ・ポンテがいなくなったウィーンの音楽界に若き旋風が登場。このあたりも少年漫画的な展開のようで面白いなと感じながら書いたところです。上の方で当初はベートーヴェンとサリエーリの食のエピソードをと探しましたが、そんなものはあるはずももなく、ここでもオペラ飯を追求しています。シェイクスピア伝説とワイン。ビールの歴史とワインの歴史を辿っていくのは楽しい時間でもありました。

コラム 音楽の名人、台所を支配する? ~料理人ベートーヴェンのフルコース~

 ベートーヴェンの食については取り上げたかったのでコラムで。しかも、食べたものではなく作ったものというおもしろエピソードがありましたので、ここでご紹介。このエピソードは本当にマンガしたいものですね。よくぞ、後世に残してくれました。

第8章 1810年 コーヒーとヨーロッパ情勢 あるいはサリエーリ事件簿その3「ウィーンからコーヒーが消えた日」

 モーゼルのせいで?完成まで3か月を要した難産の章。1810年と確定してからは、猛攻に次ぐ猛攻で完成となりました。この章の主役はナポレオンその人であり、被害者はサリエーリですね。なのでこれまでのやらかしてしまった事件簿ではなく、普通のふるまいなのですが、サリエーリのミルクコーヒーが飲めなかったことによる作曲のひらめきが消えてしまったことなどやはり面白いぞサリ先生となる役得章でございました。

 主役ナポレオン、もう一人の主役がコーヒー。特に「ヨーロッパ」の飲み物となっていたコーヒーの物語というべきでしょうか。

第9章 1812年 アイスクリーム食べある記 あるいは教え子シューベルトとの楽しきレッスン

 どんどん後世の有名人が登場し、物語に厚みが生まれるという。さすがの宮廷楽長です。本当に弟子の中でもサリエーリを敬愛し、日記に思いの丈を書き連ねたシューベルトとの貴重な食エピソードが残っているのも素晴らしい事です。

 このエピソードに関しては、いろいろなところで紹介されているので、ミミタコかもしれないので、新たなアプローチとしてサリエーリ家レッスンからグラーベン通りでのキオスク(屋台)の場所及びシューベルトの寮までの道を地図上に落とし込んでいます。

第10章 1816年 会議の終わりとサリエーリ ウィーン生活50周年祝い お菓子を添えて

 本当に終章にふさわしい物語があったと言えるでしょう。ここで終われば、本当にきれいな生涯だったと言っても過言ではないでしょう。そのくらいウィーン会議後に行なわれたサリエーリウィーン50周年イベントは心温まる素晴らしいものでした。シューベルトの日記も最高で、D.409をエンドレスリピートしながら書きました。

 食について。ザッハじゃないトルテはやってやろうと思いました。そうじゃないんです、と。歴史の盛り方、ブランディングなど現代に置き換えても行われていそうな手法をザッハ―一族はうまく使ったということでしょう。

ボーナストラック 1984年 虚構の食卓 並行世界の宮廷生活「アマデウス」の色彩

 死ぬ間際から1984年に映画公開された「アマデウス」まで。これを入れないと、現代までの話がつながらないので、重くならない程度に橋渡し的に加えました。ヴィーナスの乳首も、映画飯として加えました。「アマデウス」は事実に虚構を塗りつけて新たな事実を提示するという作りは、事実だけでも面白すぎるので蛇足だと感じていますが、映画から現れる説得力の度合いが強いのがただただ凄いと思わざるを得ません。

 今後も、サリエーリの毒殺なんてものは一蹴し、宮廷楽長ここにありを常にアッピールしていきたい所存です。

そんなわけで、最近電子書籍も刊行された #サリ菓子 こと『宮廷楽長サリエーリのお菓子な食卓』をどうぞよろしくお願いいたします。

【#サリ菓子 紹介記事】

高田馬場駅前の芳林堂書店で「宮廷楽長サリエーリ」のお茶会 バイオリン生演奏も

『Fate/Grand Order』経済圏 第3回/全5回
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