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「かけ流し」の真実 (後編)

前の記事では、温泉好きの方なら気になる「かけ流し」「循環ろ過+塩素殺菌」について、かけ流しの利点とされるところと、主に塩素殺菌の弱点とされるところを書きました。

実は気にしない人が大半で、かけ流しかどうかを気にするのは温泉マニアと、それを売りにできるメディア・事業者だけかもしれません。それでも、北海道では過去に「かけ流しかどうか」で温泉の良し悪しを判断するような評論家が現れてブームのようになったことがありました。

そのような著名人の言うことを鵜呑みにし、お湯を自分の肌で確かめず受け売りの表面的な知識で判断する人は、私が温泉施設を運営している時にも何度か来ています。「ここは"正しい温泉"ですか」と(管理者の私ではなくその辺にいるお客さんに)質問、その質問の意味を知らない人の答えを聞き、入らずに帰るという大変失礼な種類の人たちでした。

では、改めてお聞きしますが…かけ流しは正義なのでしょうか?

かけ流しの弱点

物事は常に表裏一体、かけ流しには利点とともに弱点があります。それは「浴槽内のお湯が入れ替わるスピードが循環ろ過方式より遅い」ということです。

汚れた水でいっぱいのバケツを想像してみましょう。
上から新しい水を入れ続けても、なかなか綺麗にはなりません。
一方で、バケツの底に穴を開けて汚れた水を抜きながら、上から綺麗な水を入れればあっという間に入れ替わります。
それこそがかけ流しの弱点であり、循環ろ過の強みです。

「ちょっと待ってください。かけ流しの温泉は"汚れた水"ではありません。お湯に浮いた汚れはお湯と一緒に溢れてしまうから、綺麗なままのはずです」。
と言いたくなりますよね。そこのところを調べてみましょう。

浴槽のお湯は汚れているのか

浴槽内のお湯がどれほど汚れているかは数学(濁度の計算)で概算の数値が出せますが、計算が面倒なので触れないでおきます。「レジオネラ対策ーこうすれば安心」(泉書房)によれば、浴槽に人が持ち込む汚れは1人0.5gとされています。
※学校のプールでは1人1時間1.5g、一般のレジャープールでは1人1時間2-3gとされており、そこから算出

お湯を入れ替えたばかりの一番風呂でなければ、一緒に入っている誰か・自分より前に入っていた誰かが持ち込んだ汚れがお湯に混ざっていることになります。それまでに10人入っていれば5グラム、100人入っていれば50グラム。ただそれは平均的な数値であり、きちんと身体の汚れを落として入ればもっと少なくなるでしょうし、脱衣場からいきなり浴槽に飛び込むような人はもっと多くの汚れを持ち込むことになるでしょう。

温泉施設を管理したことのある方、温浴施設でアルバイトしたことがある方なら、そういう光景を何度も見聞きしていると思います。私は1人で温泉施設を運営していたため良くも悪くも私がルールであり、お湯を汚すタイプの方・頻繁に苦情が出るような人は出禁にする等の対応をしました。一方でお湯を大切にしてくださるお客さんは大切にし、そういった常連のお客さんを中心に会員制を取り、会員だけの時間を儲けたり混雑時に優先入浴できるようにしていました。

具体的にどんな汚れがお湯に混ざっているかというと、髪の毛や垢や衣類の繊維など。それらは目に見え、かけ流されることもありますが、沈んだまま除去されない汚れ・目に見えないものもあります。
分かりやすいのは絆創膏や湿布。時にタバコの吸い殻があって激怒した記憶もあります。海水浴の後に来る人は大抵砂だらけ。温泉の成分と反応して落ちた皮脂、汗(1回の入浴で800mlの汗をかく)、体についたままのトイレットペーバー、排泄物、ウイルスや細菌などは目に見えませんが、確実にお湯の中に存在しています。最悪の場合肺炎を引き起こし、死者が出てしまうレジオネラ族菌もほとんどは入浴客が持ち込んだものです。肩までお湯に浸かると水圧で利尿作用が働きますから、トイレを覚えていない子供の場合はお湯の中で用を足してしまうかもしれません。

温泉ではありませんが、外国のプールでの調査を参考にしてみてください。

アメリカ疾病予防管理センター(CDC)は
人がプールで軽くひと泳ぎしただけで、次のような微生物(微小な生物で病気の原因になるものもある)を水中に持ち込むと指摘しています。
・毛についた1000万個の微生物
・つばをひと吐きした中に含まれる800万個の微生物
・手についた500万個の微生物
・糞の1400億個の微生物
・鼻や口、皮膚についている何十億個もの微生物
・炭酸飲料1~2缶分の汗
・1カップ分の尿

プールで起きることは温泉でも起きます。温泉で泳いでるような人たちが極悪人に見えてきますね。
温泉を研究する著名な先生方が「混んでいる時は入るのをやめましょう」「浴槽内のお湯をすくって顔につける人がいるが、それは絶対にやらない」と口を揃えて言うのも納得です。事実を知れば温泉に行くのが嫌になる人がいるかもしれませんが、これが現場で経験する温浴施設の実態です。
身体の汚れを落とすのはお風呂の役割の一つですが、そこに入る人数やその人たちのマナーによってはとんでもない状態になっているのです。

私はこういった事実をある程度知ったうえで温泉運営を始めたので、お湯そのものとお湯を大切にしてくださるお客さんを守る運営方針は当然の方向性でした。売上のためにキャパオーバーでもどんどん人を入れることはせず、一般には厳しいと思われても毅然とした対応をしていました。
さらに現場で鍛えられたおかげで、客として他の温泉に行った時に、浴室に誰もいない"独泉"状態であっても「身体を流さないで湯船に飛び込んだお客さんがいた」「自分より前に、子供が入って粗相してる」というのがある程度判断できるようになりました(結構あります)。

話を元に戻しますと、これらの汚れをかけ流しの温泉水だけで一掃しようとすれば、とんでもない量が必要になります。こういった汚れを除去し、お湯の中に漂う菌などを無害なものにする点では、循環ろ過・塩素系薬剤での殺菌が非常に効果的であり、効率的です。
循環ろ過の場合、お湯を衛生的に保つため1時間に1ターン(浴槽のお湯が1回入れ替わる)以上の能力が求められています。それでも札幌近郊の温泉事業者の方にお話を伺うと「混雑時には循環ろ過の処理能力が追いつかなくなる」そうです。

逆に言えば1時間1ターンの湯量が確保できない温泉や、都市部や都市に近く1日に数百人の入浴客が来る日帰り温泉では、かけ流し方式での給湯は現実的ではないことになります。
また、現状かけ流しの温泉で1時間1ターンを実現できている施設は道内にほとんど存在していません。その貴重な温泉の一つは奥尻島の神威脇温泉。1階浴室はかなりお湯が溜まるのが速く、特に女湯は1時間以内で溢れ始めます。そして毎日きちんと湯抜き清掃しています。その代わり、ぬるくても45度を切ることはありませんが…。

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全ての温泉がかけ流しだった時代

温泉であっても、かけ流しであってもお湯が汚れる可能性は分かりました。でも、もともとは全部の温泉がかけ流しだったのではないですか?
そう言われる方もおられます。

その時代のデータはあまりありませんが、前述の本の中には過去の調査を基にしたデータが複数記載されています。そのうちの一つに、昭和35年ごろに箱根温泉の旅館で一般細菌数と大腸菌の数が計測されたデータがあります。

大腸菌といえば…ちょうどオリンピックの真っ最中ですが、オリンピックのトライアスロン競技等に使われる会場の水質についてこんなニュースがあったのを覚えておられるでしょうか。

この記事によれば「大腸菌数は100mlあたり最大5300個で、国際トライアスロン連合が定める基準値の約21倍だった」とあります。単純に数字を挙げても多いのか少ないのか分かりませんので、このITUが定めているトライアスロン会場の大腸菌の基準(100ml中250個以下)を物差しにしてみましょう。

昭和35年ごろの箱根温泉の大腸菌数は、
温泉地A:0〜5400  温泉地B:0〜>18000  温泉地C:0〜2400
温泉地D:0〜>18000 温泉地E:0〜780
どの温泉地も競技に使えませんね。お台場の海より多い温泉地もあります…。

実際のところ、全ての温泉がかけ流しだった時代、細菌数が多くてお湯が汚れていたために循環ろ過殺菌が温泉に導入されたのです。その事実を無視して「昔はみなかけ流しだった」と主張しても本末転倒。ダメだった昔に戻れないのは当然です。

かけ流しの真実

かけ流し方式の温泉には、本来の温泉のパワーや特徴を五感で直接感じられる良さと同時に、お湯が汚れたときの自浄作用が弱いという弱点があります。
特に大きな汚れには無力です。幸い施設運営時にそのようなクリティカルを喰らったことはありませんが、清潔さに関してはどの温泉施設よりも徹底することを目指していたので、他の温泉施設ではサッと洗って流すだけの処理で終えるケースでも営業を停止してお湯を抜き、備品を含め浴室全てを塩素系薬剤で殺菌し洗うことをしていました。

それでも、かけ流しの温泉に入りたい!と思いますか?
そうであれば「入った時より綺麗にして出る」くらいの心意気で
・どんな場合でも湯船に入る前に必ず身体を洗う
・キャンプ、登山、海水浴、庭いじりの後の入浴は特に念入りに洗う
・長い髪はまとめる。髪の毛を浴槽内に入れない
・使ったオケや椅子は元の場所に戻す


入浴料・宿泊料を払っているとはいえ、浴室や温泉はお客さんのものではありません。利用している間だけ借りているに過ぎないのです。

一緒に入っている方にも良い影響力があるように、自分のあとに入ってくる知らない誰かも気持ちよく利用できるように、お湯を大切に扱いましょう。

そして、玄関に入った途端に塩素臭がする場合は予定を変更するのもありです。塩素は温泉水に入っているだけならそれほど強い匂いを出しません。あの独特の匂いは、汚れや細菌と塩素の壮絶な戦いの後に出るものだからです。つまり、あなたが入る前にもうお湯は少なからず汚れています。

事業者は使える湯量から逆算してお風呂の設計をしないなら、循環ろ過に頼らざるを得なくなるでしょう。でも営業が始まってからできることは徹底した清掃、このひとつだけです。清掃の重要性はかけ流し方式でも循環ろ過方式でも変わりません。塩素系薬剤はワクチンのようなもので、効果が発揮できる時とできない時があります。万能ではありません。
むしろ水回りの設備が多い循環ろ過方式こそ、定期的に清掃する必要があります。それをきちんと行なっている施設なら、いつタンクや濾過器の清掃をしたかを堂々と答えられるはずです。

でも施設側がいくら徹底して清掃しても、その日の最初のお客さんが盛大にお湯を汚せば、事業者の努力はあっさりと無になります

もし温泉を楽しむ全員がお湯を大切にするようになれば、塩素殺菌など必要なくなるかもしれませんね。その時に初めて、私も「かけ流しは正義」と堂々と言える気がします。

温泉経営者だった経験を生かし、北海道の温泉をさらに盛り上げる活動をしていきたいと思っています。サポートしていただけたら嬉しいです!