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温泉施設を継ぐということ

趣味で温泉を巡る人は多くても、そこから温泉施設の経営側になった人はそんなに多くないと思います。大きな温泉施設には当てはまりませんが、私が経験したことを書き留めておきます。

内容は私自身が温泉施設を引き継いだ時のことと、初めて温泉運営を任された(指定管理者になった)小さな会社をお手伝いした時のことです。また、同じ境遇の方からお聞きした話も含まれます。

居抜きでは営業できない

「小さな温泉施設を譲り受けて、スローライフを送りながら運営したい」といった夢をお持ちの方は意外に多いと思いますが、はっきり言ってスローライフとは逆の生活になりますし、譲り受けたそのままの状態では施設は使えません。むしろ使えるものがあったらラッキーです。最初にとても苦労しますし、1人数百円の入浴料では最初にかかった経費は取り戻せません。そんなものです。

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温泉運営の引き継ぎ補助をした際の話ですが、
3月31日まで前の指定管理者が営業を行い、
4月1日に建物の引き渡し(休館)、
4月2日から通常営業するようにというミッションでした。

前日まで営業していた温泉なんだから簡単でしょ」というのが、現場に立ったことのない方の普通のイメージだと思います。でもそれはとんでもない誤解です。

この温泉施設の場合、前管理者からの引き継ぎは一切なく、建物の引き渡し日時として指定されていた4月1日の午前9時になってもまだ引き渡せる状態になっていませんでした。前管理者が現場に居続ける中、待ってるわけにいかない私たちはやっとお昼近くになって荷物を搬入し始めました。

そして、町有の建物(設備含む)以外に引き継いだ物で使えそうなのは扇風機2台・掃除機1台くらいでした。残りは捨てきれなかったガラクタばかり。前日まで営業していたのにそんな状態です。与えられた時間の少なさを把握しているのは私だけで、内心焦りまくっていました。

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写真は事務室です。ここも使えないものとヤニだらけ。魔改造もされていました。

このミッションの場合、要求されていたのは「引っ越し(搬入から段ボールの開封まで)を数時間で終わらせ、残りの時間で翌日の初出勤の準備をして、翌朝から何事もなかったように働く」ということでした。普通の家庭でこれができるでしょうか。せめて数日は欲しいところですよね。

前管理者は「やれるものならやってみればいい」という顔でしばらく現場にいましたが、何がなんでもやらねばなりません。そのために作業工程を2つに分けて対応しました。

ボランティアスタッフとして前経営者と関わっていた心ある方々がお手伝いに来てくれて助かりましたが、実際に施設を運営するスタッフは全員が初めて温泉施設に関わる方です。新人に一気に全てを伝えても意味はないので、搬入されたものの配置や事務室を使える状態にすることなど、通常の引っ越し作業をメインにお任せしました。というよりそれでいっぱいいっぱいの状態だったので、私だけ別働隊になりました。

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私は高圧洗浄機で浴室の清掃を始めます。と同時に、温泉として運営するのにネックとなる不具合を炙り出しました。

「前日まで通常営業していた施設なのに?」と思うでしょう。でもそれが間違いなんです。傷・カビだらけのイスやオケなどの備品は全く使えないので、事前に用意していた物と総交換です。
ずっと徹底した掃除がされていなかったので浴室の汚れもひどい状態でした。男女を隔てる壁のドアには鍵どころかラッチすらなく、つっかえ棒が男湯側に。つまり悪意のある男性が棒を外せば簡単に女湯に入れる状態でしたが、そういった部分も手持ちの資材と工具で修正。掲示が義務付けられているものは適正に掲示されました。

管理上の問題もあり、湯船のお湯がどれくらいの時間で溜まるのか分かりません。それが分からなければ、何時から湯抜き清掃を始めれば良いのかも計算できません。どれくらいの湯量なら源泉に負担をかけずにいられるか、湯量と温度のバランスをどのレベルで維持するかは、実際にやってみないと分かりません。
私が一番焦っていたのはそこでした。できるだけ早く浴室の清掃を終え、修理できるところは突貫工事で修理して、1分でも早くお湯を溜め始めたかった。なぜなら温泉施設の要は(事務室やロビーではなく)浴室だからです。

ちなみに、前管理者からの引き継ぎが一切なかったことはラッキーでした。人が変われば管理の仕方も変わります。「今までこうだった」という情報は固定観念になりやすいので、必要のない事まで刷り込まれるより、苦労しても自分たちで管理運営の手法を作っていく方が遥かに良いのです。実際この施設では、現在のスタッフの誰がどのポジションに入っても同じように管理運営できるような方法が確立されています。

話を戻しますが、新築の施設なら最初から壊れたり汚れたりという心配はありませんし、多少なりとも設計段階からスタッフの動線を考えることができます。でも居抜きの場合は、自分たちの管理の仕方・動線に合わせて作られた施設ではないので、前日まで営業していたとしても引き継ぐことは簡単ではありません。上記の場合も無事に営業を始めることができたものの、「直すべきところをきちんと直してから」と考えたら4桁万円の資金と数ヶ月の休業期間が必要だったでしょう。

でもこの場合はまだ優しいケースです。

私が引き継いだ温泉では、引き継いで3日目にボイラーが1台壊れました。致命傷だったため、営業を終える6年後まで直せませんでした。
建物の中に常に湯気と水があり、使用時には湯船だけで数トンの重さがかかるのが温泉施設です。そのため一般住宅より壊れやすく、築年数によって壊れ方はどんどん大きくなります。時間と経費の両方の理由から全ての不具合に対応することは不可能になり、応急処置のまま目を瞑らなければいけない箇所も増えます。

また、営業を終了するまで前管理者から建物の図面をいただくことはありませんでした。それらの書類がなければ、壊れた時にどう直せば良いか判断できません。配管がどこを通ってどこに繋がっているか等、現場を観察して(あるいは壊れてから)知り、その経験の積み重ねで対応できるようになりましたし、電気工事の資格を持つ常連さん・ボランティアで修理に来てくださった常連さんに本当に助けられました。それでも、可能な限りのリカバリーはしましたが、最後まで仕組みが分からないままだった部分が幾つかありました。

魔改造されているパターンもよく聞きます。温泉通によく知られていた道内のある温泉宿は魔改造されていただけでなく、何と建物の登記すらされていませんでした。旅館を買ったのに使用できる状態ではなく、更地に戻すしかなかったケースもあります。でも現場の裏側はそのようなものです。ないはずのものがある、あるはずのものがない。動くはずのものが動かない。何のスイッチやメーターか分からない。少し前にお邪魔したある温泉宿では、火災報知器のサイレンが常に鳴り続ける状態になっていました。逆にぱっと見おかしいと思うようなことでも、実はきちんと納得できる理由がある…そんなこともあります。

温泉運営は∞mハードル走

温泉施設を継ぐということは、次々に大小のハードルが現れるゴールの見えない競争に参加することです。それを知ったうえで飛び込むのと知らないで飛び込むのでは受ける衝撃の度合いが変わるので、今はそこをサポートさせていただいてます。

でも、趣味で温泉を巡る方のほとんどはそういう裏側を知りません。多くの経営者たちはそのハードルを受け入れ、公にするようなことをしないからです。実際、それらを自分たちで乗り越えてやっとスタートが切られるものだと思いますし、そこでの反応の仕方はどんな管理者かを明らかにすると考えています。

経営者や管理者の思考はお湯の質に現れます。類は友を呼びます。質が上がればそこを評価してくれるお客さんが集まりますが、質の落ちたお湯に質の高いお客さんは味方しないのです。

温泉経営者だった経験を生かし、北海道の温泉をさらに盛り上げる活動をしていきたいと思っています。サポートしていただけたら嬉しいです!